第一章4 心残り

 帰りの道行きは順調だった。

 紐を辿るだけだし、それが家まで確実に続いているという安心感が歩を速めた。


『おかえりなさいませ』


 そして、合成音声が家に到着したことを知らせてくれた。


「いやー、よかったよかった」


 ステラが安堵を言葉にして、二人もほっと一息つく。


 ガチャリとドアが自動で開き、エアカーテンの駆動音が聞こえた。

 ステラが先に立ち、家の中へ入っていく。

 エアカーテンの荒っぽい『おかえり』を受け入れて……


「ただいまー……あれ?」


 ステラの声は、突然不穏な色に変わった。


「お母さん? どうしたの……わぷっ」


 問いかけるルナの口をエアカーテンが塞ぐ。

 そして、理解した。


 エアカーテンを抜けたなら、そこは家の中。

 なのに、視界は闇に覆われたままだった。


「ウソ、なんで……」


 家を出るときは、扉を開けていても闇が入ってくることはなかった。

 なのに、どうして。


「とりあえず、奥に入ってみるしかないよ」


 ステラの言うとおりだ。

 考えてもわかるはずがないし、状況は変わらない。

 玄関が闇に飲まれたとしても、他の部屋が無事ならまだ何とかなる。


「ごめんなさい、私のせいで……」

「ミーナのせいじゃないよ」


 おずおずと言ったミーナに、ルナは反射で答えた。

 責めるつもりもないし、助けに行ったことを後悔したりはしない。


「そうそう、どうせいつまでも閉じこもってられなかっただろうし。とにかく、今は中が無事なことを祈ろう。行くよ?」


 そう言って、ステラは手探りで奥へと歩を進めた。

 不安と緊張で、心臓が激しく鳴る。


 扉が開く音、吹きつける風の音を聞き、奥へ。

 その先には。


「わっ」

「お母さん!?」


 ステラの小さな悲鳴に、ルナが大声を出して一歩前に出る。

 その勢いでエアカーテンを抜け――悲鳴の理由を知った。


「まぶしっ……」


 暗闇に慣れた目を、光が突き刺したのだ。


「ひゃー、目ぇ痛いー」


 ルナの後ろで、ミーナも同じ目に遭う。

 三人とも目をこすり、ぱちぱちと瞬きをして、眩む視界を落ち着かせた。


「……暗く、ない」


 そこには、平時と変わらない我が家の姿があった。

 後ろでガチャリとドアが閉まり、ここだけ見れば完全に日常の風景だ。


 一気に力が抜けたルナは、その場でペタンと座り込んだ。


****************


 リビングでステラの入れたお茶を飲み、ようやく一息ついた三人。

 しばらくぼんやりしていると、ステラのメッセージを見たフィーバスから電話が入った。


『遅くなって悪い。三人とも体調は問題ないか?』

「私は今のところ何とも。二人は?」


 フィーバス、ステラの問いかけに、ルナたちは揃って首を縦に振る。


「大丈夫みたい。ミーナちゃんは普通のマスクでけっこう長い間外にいたわけだし、人体には無害っぽいね」

『まだ断言はできないがな。一応体調の変化は気にしておいてくれ。それで、家の中に暗闇が侵入したというのは……』

「うん、玄関がね。今のところ、そこより中に入ってきてはいないけど……」

『時間の問題と言わざるを得ないな。外扉と内扉は、気密性にもエアカーテンの性能にも大きな差はない』


 ステラたちの会話を聞いて、ミーナの顔が曇る。

 それを見て、ルナはフィーバスに食ってかかった。


「ちょっとやめてよ。不安になっちゃうじゃん」

『事実を言っただけだ。むしろ知らなければ、いざというときにパニックになるだろう』

「それはそうかもだけど、ミーナの前でそんなっ……」


 思わず立ち上がりながら言い募るルナ。

 しかし言ってしまって、しまったと思った。

 ミーナの名前を出してしまうと、さらに彼女が責任を感じてしまうのではないか。


 そんなルナの袖を引いたのは、他ならぬミーナだった。


「ルナ、私なら大丈夫だから! それより、フィーバスさんの話ちゃんと聞こうよ」


 父親への反発心からカッとなってしまったことは、ルナ自身が一番よくわかっていた。

 そんなことで親友を傷つけるかもしれない言葉を吐いて、挙句気を遣われて。


 申し訳なくて、大人しく頷いて座るしかなかった。


『……話を戻すぞ。つまり、遅かれ早かれその家からは移動する必要がある。移動先としては、もちろんシェルターが理想なんだが……』

「現状難しい、と」


 珍しく言い淀んだフィーバスの後をステラが続けた。

 ああ、とフィーバスは話を続ける。


『シェルター内にはすでに外と変わらない人口が暮らしている。汚染のリスクを考えると避難受け入れの可能性はほぼゼロだ』

「まぁしょうがないねぇ。じゃあ、私たちはどこへ行けばいいの?」

『アーク社の民営シェルターだ。どうやら建造中のシェルターですでに実験を始めているらしい』


 アーク社は、世界的に有名な民営シェルターの会社である。


 国営シェルター計画が持ち上がって以降、その移住には常に懸念があった。

 歯止めの利かない環境破壊で、シェルターに全人類が移住するには時間が足りない。


 そこで登場したのが民間シェルター会社だ。

 国営シェルターの完成までの避難先として名乗りを上げた――と言えば聞こえはいいが、当然そこにはビジネスがある。


 政府シェルターは、政府に顔の利く権力者・富裕層が優先されている。

 そこには届かないがある程度の財産を持っている、いわゆる中間層が、政府シェルター移住までの繋ぎとして利用しているのが実態だ。

 民営シェルターは格差社会をより強調した、という意見もある。


 だが、アーク社は少し違う。


 突出した技術力を持ち、自社製の安価で高性能な浄化技術を開発。『全人類が安心して暮らせる社会を』という謳い文句と共に、低所得者層に向けた格安のシェルターをあちこちに建造し続けている。


「へー、さすが『正人せいじん』サマだねぇ。もうそんなことしてるなんて」

「ホントですね! 行動までイケメン!」


 ステラとミーナが騒いでいるのは、アーク社の社長ノアのことだ。

 その名前と行動(それとイケメンっぷり)から『正しい人』、『正人せいじん』なんて呼ばれている、名物社長というやつである。


『迅速なのは間違いないな。それでも避難受け入れを開始するまでには、まだ時間が必要だ。続報が入り次第知らせるから、そっちは移動の準備だけ進めておいてくれ』

「うん、わかった」


 少しの沈黙の後、フィーバスはわずかに沈んだ声で続けた。


『すまないなステラ、任せきりになって。俺もそっちに行けたらいいんだが、今はシェルターの出入りは全面的に禁止になっている』

「大丈夫。それより、原因の調査に参加してるんでしょ? そっちを頑張ってもらわないと」

『ああ……進捗は芳しくないがな』

「頼みますよ博士。天才でしょ?」


 ステラがそうおどけてみせると、電話口にフッと息が漏れただけのような笑いが落ちる。


『ああ、任せておけ』


 少し緩んだ声でそう言うと、フィーバスは『じゃあな』と通話を終えた。


「じゃ、準備しよっか。必要なのは水と食料と……あと着替え? それから……」


 と、ステラはそこで言葉を切った。

 ルナの表情が曇っているのを見て取ったからだ。


「どうしたの?」

「あ……ううん、何でも」


 ルナはとっさにそう答えたが――この家を離れることが嫌だった。

 より正確に言うならば、


 ――電子ピアノは、さすがに持っていけないよね。


 ミーナの荷物のアコギを見て、そう思ってしまったのだ。


「……って、そう言えばミーナは着替えとかどうするの? っていうか、お母さんに連絡は?」

「あー、そう言えば。すっかり忘れてたや」


 タハハと笑うミーナ。

 だが、ルナにはわかっていた。


 ミーナの母親は看護師だ。今日も病院にいるはずで、この事態でかなりの混乱が予想される。

 そもそも、本来なら真っ先に身内に連絡するべきだったはずで。


「心配かけたくないのはわかるけど、ミーナだって心配でしょ。電話したら?」

「さすがルナ、お見通しだねー。うん、そうする」


 そう言った矢先、ミーナのウェアラブル端末が鳴動した。


「わ、噂をすれば! もしもしママ?」


 明るい声を出すミーナを見て、ルナは安堵のため息を漏らす。

 しばらくして通話を終えると、


「シェルターで合流って話になったよ。私の荷物はママが持ってきてくれるって」

「そっか、よかった」

「うん。だからルナたちの荷物、運ぶの手伝うね!」


 そう言って、ニッコリ笑った。

 ようやく心から笑っていると思える笑顔に、ルナもつられてニッコリする。


「ありがとね、ミーナちゃん。じゃあ、ルナの荷物まとめるの手伝ってあげて」


 というステラの言葉で、ルナはミーナと自分の部屋へ行く。


「これはー?」

「あ、入れといてー」


 そんな言葉を交わしつつ、荷物をまとめていく。

 が、ルナはもやもやと考え続けていて。


「……」


 ――仕方ないよね、こんな非常時だし。

 そう思いつつも、ルナの視線はピアノに吸い寄せられてしまうのだった。

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