第2話 9

 僕の思考が戦闘用に切り替わる。


 名乗りと合わせた『いざ参る』は、僕にとってのスイッチで。


 それは師匠が施してくれた、修行と言う名の催眠暗示の成果。


 恐怖も、高揚も――あらゆる余分はカットされ、戦うことに特化された意識に切り替わる。


 <禍津日マガツヒ>より、さらに頭ふたつ分高い魔物は、クモのような見た目をしている。


 ドロドロとした粘着質な黒の体表は、鈍色の甲殻に覆われていて、幅は五メートルはあるだろうか。


 持ち上げられた大きく膨らんだ腹部には、十の眼が歪に配置されている。


 一方、地面スレスレにある頭部には眼がなく、一メートルほどもある巨大な顎の奥に、頭部のほぼすべてを埋め尽くすほどの口腔があって、無数の牙と、不気味にヌメる黒い舌が見えた。


 胴から無秩序に生えた脚の数は十本。


 そのうち前二対が、急襲する僕に抗うように掲げられて。


「ハァ――ッ!」


 気合と共に鳴刀が鳴いて、そのまま横薙ぎに一閃。


 刃と脚がぶつかり合って、火花が周囲を照らし出す。


 僕は弾かれた勢いを利用して身を回し、魔物はたたらを踏んでわずかに後退。


 ギチギチと耳障りな魔物の歯鳴り。


 直後、魔物はその口腔から、濃密な瘴気を噴き出した。


 紫電が散って、ステージが歪む。


 僕は歯噛みした。


 魔物との戦闘は、ステージによって瘴気から身を守りながら行われる。


 これほどの圧縮された瘴気に対抗するには、こちらもステージをせばめて密度を上げたい。


 けれど、いまステージを狭めたら、後ろにいる生徒達が瘴気に巻き込まれてしまう。


 その時。


『――悟、回収完了だ!』


 背後からカンちゃんの声。


 自身のステージに包まれた<迅雷>が、ふたりの生徒を両手に抱えているのが、横目に見えた。


『男子の負傷がひどい。俺はこのまま樹海を抜けて、麓に向かう。

 ――ひとりで行けるか!?』


 僕はステージの密度を上げて、噴射された瘴気を弾き飛ばす。


「……任せてって言えたら、カッコイイんだろうけどね……」


 落ちこぼれの僕には、そんな自信なんてない。


 なにせ初の実戦だ。


 ……でもさ。


 僕は桔花きっかに言ったんだ。


 ――桔花の技術は、人を救えると証明すると。


 そして、そんな僕もまた、誰かを救えるのだと、信乃が信じてくれている。


 ――だから。


「やれるだけ、やって見せるよ!」


 鳴刀を一振りすれば、笛の音が響いて。


 僕は肩がけに鳴刀を構える。


『――負けんな!』


 カンちゃんがそう告げて、<迅雷>が遠ざかっていく気配。


 魔物が脚を振り上げて。


 振り下ろされた、それを僕は鳴刀のしのぎで受ける。


 高い金属音が響いて。


 弾く動作で、刀身に刻まれた溝が風切り音を奏でる。


 まるでそれに共鳴するように、ステージが揺らめいて笛の音色を響かせた。


 魔道器官の高まりを感じる。


「――響け。<一欠片の勇気ブレイブ・ピース>……」


 呟いた喚起詞に応じて、ステージがより強く結ばれて。


 瘴気を押し流して、魔物の巨体を包み込む。


 抗うように魔物が脚を振るって。


「――ハァッ!」


 袈裟懸けに振り上げた刃が、真っ向から脚とかち合って、それを斬り飛ばす。


 宙を待った脚先が、周囲の木々を薙ぎ倒して、地に突き刺さった。


 傷口から黒い粘液が撒き散らされる。


 魔物はひるまず、さらに別の脚が次々と振るわれて、僕はそれに刃筋を合わせた。


 さらに二本の脚が宙を舞う。


 積み重ねた武道と魔道が、甲冑を通して合致している感覚。


 打ち合いではらちが明かないと思ったのか、魔物が不意にその身を沈め、こちらを押しつぶそうと宙に飛び上がる。


「――それは悪手だ」


 と、不意に女声がこだまして。


 跳んだ魔物のさらに上に、長柄を振りかぶった帯刀たてわき先生が現れる。


「オオォォォ――ッ!!」


 吼えるような気合の声と共に、長柄が振り下ろされて、魔物の腹を打ち据えた。


 生木を裂くような音がして、甲殻に亀裂が走る。


 轟音と共に魔物は地に叩きつけられて。


「――とどめだ、悟くんっ!

 唄えっ!」


 帯刀先生の言葉に、僕は鳴刀を響かせる。


 ステージに響く笛の音に、精霊が反応して燐光を放った。


 ――精霊光。


 高稼働された魔道器官に、精霊が反応して引き起こされる魔道現象だ。


 ステージ内で舞い踊る精霊光は、不意に左右に割れて、花道を作った。


 危機を察した魔物が、欠けた脚で身を起こそうとする。


 胸の奥から湧き上がる喚起詞。


 僕は地を蹴って花道を駆け抜け。


「――ハッ!!」


 逆袈裟に切り上げた剣閃に、魔物の甲殻が弾け跳ぶ。


「――ハアアァァァ――ッ!」


 鍛錬で何度も何度も繰り返した、乱撃を繰り出す。


 魔物の鈍色の甲殻は、どんどんとヒビ割れていき――


「開け! <黄泉平坂よもつひらさか>ッ!」


 叫んだ喚起詞に、直後、魔物の背後に黄金色の亀裂が走って。


 はじめは瘴気が、次いで砕けた甲殻が亀裂に吸い込まれていく。


 魔道器官が、さらなる喚起詞を紡ぎ出し。


「……祓え。<千引ノ禊ちびきのみそぎ>!」


 僕は真横に鳴刀を一閃。


 刹那、無数の斬撃が魔物を引き千切り、細切れとなって黄金の亀裂に消えていく。


 ――残心。


 魔物を吸い込んだ亀裂がゆっくりと閉じて、明けゆく森に静寂が返って来る。


 そして、納刀。


 鍔鳴りを合図にしたように、ステージがほどけた。


 深く息を吐き出すと、不意にひどい虚脱感が全身を襲う。


「――初陣で大金星。見事だ。悟くん」


 帯刀先生の声が、ひどく遠くから聞こえてくるような感覚と共に。


 ――目の前が暗くなっていく……

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