第2話 7

 仮眠を終えた僕らは、当初の作戦通り渓谷を甲冑で登り、北東の一般登山道に抜けた。


 そこからは一気に地面スレスレの――匍匐ほふく飛行で、山頂を目指している。


『――さすが加賀ちゃんの作戦だ。

 先生達、まるでいねえじゃん!』


 耳に着けたイヤーカフ型の伝話器から、カンちゃんの賞賛の声。


帯刀たてわき先生辺りには、読まれているかもしれないと考えていたのですが、杞憂だったようですね』


 信乃も心なしか、上機嫌な声色でそれに応えた。


 一方、僕はずっと無言のまま。


 桔花きっかが語った、一年生の時の事故。


 彼女が『自分の罪』と語るその出来事に対して、僕はなんと応えて良いのかわからなかったんだ。


 ――君のせいじゃない。


 そんな単純な言葉を、桔花は求めていないと思った。


 彼女は慰めなんか求めていない。


 むしろ、自罰的になっていて、もっと責められる事さえ望んでいるようにも感じた。


 ……でもさ、僕には桔花が悪いとも思えなくて……


 それで言葉を探しているうちに、カンちゃん達との仮眠の交代時間になっちゃったんだ。


 僕らの仮眠を終えて、出発する事になった時には、桔花はいつもと変わらないように見えて。


 なにか言わなくちゃと思ったものの、なにも思いつかないまま、今も僕は<禍津日マガツヒ>の鞍の中で、桔花にかける言葉を探している。


 そうこうしている間に。


『――見えた! 山頂だ!』


 三つの峰が、弧を描いて垂れ下がる独特な形状をした岩山は、山頂に間違いない。


『んん? なんか人が集まってねえか?』


 カンちゃんが発した疑問の声に、僕は視覚強化の魔法を使う。


 山頂に建てられた山小屋を囲むように、十数人の戦装束の生徒が集まっていて、それを囲むように、教官紋を付けた五騎の<武士もののふ一五式>が見えた。


 <武士 一五式>は手に獲物を構えていて、臨戦態勢だ。


 向こうもこちらに気づいたのか――


『――『ん組』ですね。

 『と組』担任の小山です。

 良かった、全員無事なのですね?』


 と、小山先生が伝話を入れてくる。


『――加賀です。

 無事、とは? なにかあったのですか?』


 僕らを代表して、信乃が応答した。


『魔物と思われる瘴気反応がありました。

 そのため、現在訓練は一時中断とし、先生達が生徒のみなさんを退避させています』


 ――魔物。


 その言葉に、僕は鼓動が早くなるのを感じた。


 甲冑と同調していてさえ、背筋に冷たい汗が流れてるような感覚。


 小山先生が言うには、先生達が甲冑を使って、スタート地点と山頂、それぞれに生徒達を運んでいる最中なのだという。


『――魔物が? なぜ警報を鳴らさないのですか!?』


 今も状況を知らない生徒達は、樹海の中をさまよっているという事だ。


 このままでは何も知らないまま、魔物と遭遇してしまう事もありえるだろう。


 信乃の非難に、小山先生は伝話の向こうで低くうめく。


『……町村先生の指示です。

 下手に魔物の発生を生徒に報せると、退治してやろうと蛮勇を見せる生徒がいるかもしれないと……』


 ……あの恐怖を知らない生徒なら、そんな事を考えるかもしれない。


 けれど、警報を鳴らさないのは、悪手としか思えない。


『町村先生が? この場の最上位権任者は帯刀先生では?』


『……先任大尉としての判断だそうです。

 帯刀先生は、今も樹海内で生徒の捜索中で、魔物に気づかれないようにするためか、連絡を断っています』


 信乃が鋭く舌打ちするのが聞こえた。


 帯刀先生も、信乃も……魔物の脅威を正確に認識しているようだ。


 このままでは、なにも知らない生徒達が魔物に襲われるかもしれない。


 それがもし、甲冑のない生徒だった場合――


 ……大怪異のあの日の光景が脳裏を過ぎる。


 やがて僕らは山小屋へと辿り着いて、甲冑を跪かせて駐騎姿勢を取らせると、鞍から降りて、山小屋前にいる小山先生の元に集まった。


「『ん組』四名、揃っています」


 整列した僕らを代表して、信乃が告げる。


 小山先生は、手にしたバインダーの上の名簿にチェックを入れて。


「確認しました。『ん組』は指示のあるまで待機。

 ……甲冑で来たのでしたね。

 魔物の襲撃に備えて、鞍上あんじょうにて待機するように」


「……先生、生徒達の避難状況は?」


 信乃の問いに、小山先生は首を振る。


「探査を使える帯刀先生が頑張ってくれているようですが、個人ですので広範囲までは感知できず……他の先生方は目視で探すしかない為、あまりよくありません」


「魔物の現在位置は特定できているのですか?」


「みなさんの回収を優先している為、それもまだなのですが……」


 と、その時。


「――そもそも魔物など、本当にいるのか?

 大怪異以降、三洲山みすやまでは確認されていないはずだろう?

 小娘のたわごとで、ここまで大事にして!」


 不意の怒声は、山小屋の入り口からで。


 僕が身体を傾けてドアから覗き込むと、室内に設けられたローテーブルを囲んで、町村先生を上座に、数名の男性教師達が話し合いをしているのが見えた。


「……あの人達は救助に出ないのですか?」


 僕と同じく小屋の中を覗き込んだ信乃が、ひどく冷たい声で小山先生に尋ねた。


「指揮に専念するそうで……」


 そう告げて、ため息まじりに首を振る小山先生も、きっと内心、呆れているのだろう。


 そんな態度を生徒に見せてしまっている事に気づいたのか、小山先生は慌ててバインダーを叩く。


「と、とにかく! あなた達は待機です。

 ――はい、解散!」


 追い立てられるようにして、僕らは駐騎した甲冑まで戻り。


「……さて、どうしましょうか?」


 並べた甲冑の足元で、僕らを見回して、信乃が口を開く。


「どうするって……あたし達になにかできるの?」


 桔花が不安げに首を傾げた。


 そんな彼女を信乃が抱き締めて。


「あなたが、それを言うのですか?」


「へ?」


「<浮雲うきぐも>に同調したことで、新武装の使い方は把握しました。

 まさに今の状況にうってつけじゃないですか!」


「……でも! 全域をカバーできるくらいの全力稼働なんて、信乃ちゃんにどんな影響が出るか――」


 桔花は信乃にすがりついて、そう訴える。


 けれど、信乃はその口に、人差し指を当てて黙らせた。


「これは隊長命令です。

 なにがあっても、責任を持つのはわたし。

 ――さあ、桔花ちゃん、準備にかかってください」


 信乃は桔花の肩を押して、<鳴弓なりゆみ>の鞍に上らせ、それから僕とカンちゃんに振り向く。


「これから、逃げ遅れている生徒達と魔物の位置を把握しようと思います。

 二人は小山先生の指示通り、鞍上にて待機を」


 そう告げた信乃は、いそいそと自らの甲冑の鞍へと上っていく。


 僕とカンちゃんは顔を見合わせて、首を傾げた。


「なにか手があるって事かな?」


「……今は加賀ちゃんに任せるしかねえだろ」


 と、カンちゃんは肩を竦めて言い放ち、それから真剣な顔をして僕の顔を覗き込んだ。


「――悟よぉ、万が一の時、おめえ……行けるのか?」

 

 大怪異による地獄を、直接目の当たりにした僕を気遣っての質問だろう。


 訊ねるカンちゃんに、僕も真剣にうなずく。


「……その為に鍛えてきたつもりだよ」


 実際に魔物を前にしたら、どうなるか自信はない。


 でも、あの頃のように、恐怖で動けなくなるような無様は晒したくないと思った。


「……ん。そんときゃ付き合うから、ひとりで突っ走るんじゃねえぞ」


 そう言って拳を突き出すカンちゃんに。


「ありがと、カンちゃん」


 僕はそう応えて、拳を打ち合わせた。


 それからふたりで甲冑の鞍に上る。


 僕らがそんなやり取りをしてる間にも、信乃と桔花は甲冑との合一を果たしていて。


 手を繋いで崖際まで進んだ二騎の、背後の武装が動いて。


『――さあ、はじめてください。桔花ちゃん!』


『う、うん!』


 信乃の言葉に応じるように、<鳴弓>の背部武装が広げられる。


 大型弓が連なったそれは、まるで翼のようで。


『――奏でて。<士魂ブレイブ・ハート>……』


 桔花の囁くような、魔道器官の喚起詞。


 <鳴弓>の周囲が陽炎のように揺らいで、半球状にステージが開かれた。


 まるでそれに呼応するように、弓翼が鳴いて。


 琴に似た音色が奏でられ、それは山頂から遠く麓の樹海まで響き渡っていく。


『……響きなさい。<士魂ブレイブ・ハート>』


 信乃が喚起詞を紡いで、ステージが開かれ。


 <浮雲>の背部武装が円形に展開された。


 五本の支柱の間に、後ろが透けるほどに薄い糸膜が張られている。


 その膜が、<鳴弓>が奏でる音色からわずかに遅れて、まるで木霊のように鳴り始めて。


 ――魔道共振による、広範囲探査だ。


 これなら<鳴弓>が奏でる音色の届く範囲を、くまなく走査できるはず。


 けれど、これは……


 僕の懸念は正解だったようで、不意に<浮雲>が膝をついた。


『――信乃ちゃん、平気!?』


『へ、平気です! それより発振を続けてください。

 もう少しで、魔物の位置が……』


 荒い息で信乃は応える。


 今、信乃は、押し寄せる膨大な探査情報をひとりで処理している。


 広範囲探査っていうのは、本来ならもっと大規模な魔道器の補助を受けて、複数人の魔道士で行う者なんだ。


 それをたった二騎の甲冑――そしてふたりの魔道士で行えるようにした桔花の技術力は凄まじいと思う。


 そして、負担の多い受信を、たったひとりで処理し切っている信乃には、舌を巻くしかない。


 これが学年首位の頭脳か。


 伝話を通して、信乃が奥歯を噛み締める気配が伝わってくる。


『――信乃ちゃん! もうこれ以上はっ!』


 桔花が止めようと声をあげたけれど。


『いいえ。いいえですよ。桔花ちゃん……』


 信乃はその言葉を遮る。


『わたしはね、隊長として……いいえ、お友達として、あなたのすごさを見せつける必要があるんです』


 ――ハッ、と。


 鋭く息を吐き出して、信乃は声色に笑みを混じらせる。


『なにがガラクタ姫ですか。

 あなたをそう呼んだ人達は、なんにもわかっていないんです』


 ……桔花の罪の話を、信乃もまた知っているのだろう。


 だからこそ――信乃は桔花の為に今、身体を張っているんだね?


 ……僕には、なにができるだろう?


『……良いですか、桔花ちゃん?

 防人の痛みは、人を守れた証――誉れなのです……』


 膝をついていた<浮雲>が、ゆっくりと立ち上がる。


『だから、この痛みをもって、わたしが証明して見せます!』


 <鳴弓>の背後に立った<浮雲>が、その指でより強く弦を掻き鳴らした。


『――ぐぅっ!』


 <浮雲>を包んだステージが、一気に膨れ上がって、眼下の樹海を覆い尽くす。


 南西で、生木を打ち合わせたような音が響いて。


『――見つけた!』


 信乃の言葉と同時に、樹海に漆黒の靄柱もやばしらが立ち昇る。


『生徒達を追っています!

 ――悟くん!』


『――ああっ!』


 僕はうなずき、騎体を起こす。


 先生達に任せるのが正解なんだろう。


 けれど、町村先生のあの様子じゃあ、すぐに動いてくれるかわからない。


 今も生徒達は魔物に襲われているんだ。


 ……なによりも、だ。


『……桔花、僕も証明して見せるよ』


 崖際に立って、僕は桔花に告げる。


 ようやく彼女にかける言葉が見つかった。


『――君の技術は人を救えるのだと!』


 吼えた僕に、信乃が言葉を重ねた。


『そうです。桔花ちゃんの技術は人を救えるのです!

 そして悟くん!

 ――お行きなさい!

 あなたもまた、人を救えるのだと!

 もはや欠けた望月ではないのだと、証明して見せるのです!』


 信乃が強く叫んで。


『やっぱこうなった!

 付き合うぜ、悟!』


 カンちゃんが苦笑混じりに騎体の肩を叩いた。


『――悟……』


 桔花が小さく僕の名前を呼んだ。


『……頑張って!』


 泣き出しそうな、その声色に背中を押されて。


『ああっ!』


 僕は地面を踏み砕いて、騎体を空に踊らせる。

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