閑話
「――はぁーっはっはー! どうしたどうした!
そんなものじゃ、防人になんてなれないぞ!」
夜の森を駆けながら、わたしは声を張り上げる。
先を走る生徒達は、悲鳴をあげっぱなしだ。
走りながら、行手を遮る大木に長柄を振るえば、なかばから砕かれた幹が生徒達へと吹っ飛んでいく。
三人ほど枝に巻き込まれて、藪の中に消えた。
「――化け物だあッ!」
む、失礼な。
これでもわたしは
本当のヤバい連中は、こんなものじゃ済まない。
世の中には、本当に頭がおかしいんじゃないかって連中が、思いの外ごろごろいるんだ。
それこそ、彼ら彼女らなら、逃げる隙さえ与えたりはしないはずだ。
近頃の若い者は――なんて口にできるほど、歳を取ったつもりはないけれど。
「――鍛錬不足!」
実家――帯刀家に伝わる歩法で、木々を足場に跳躍し、残った二人の正面に回り込む。
逃げるという選択は悪くない。
圧倒的な力を持つ者に無策で立ち向かうのは、愚か者のすることだ。
けれど、逃げるにしても、策を立てるべきだろう?
力量差が圧倒的なのを理解しているなら、なおの事だ。
わたしが地面に降り立ち、長柄を構え直して、ようやく獲物に手をかける生徒達。
「――判断も遅い!」
長柄を一振りすれば、生徒達の手から獲物が弾かれる。
「――ああっ!?」
飛んだ獲物を求めて、視線を外す生徒達。
「戦闘中に敵から目を離すな!」
再びわたしは長柄を一閃。
それだけで二人の意識は吹き飛んだようだ。
「ヌルすぎるっ!」
いかに甲冑戦闘が主流の時代とはいえ、だ。
肉体の鍛錬は魔道の鍛錬にも直結している。
魔道が鍛えられれば、それだけ甲冑は強化されるというのに、昨今の防人候補生教育は、甲冑制御の巧みさにばかりかまけていて、肝心の魔道の鍛錬がないがしろにされすぎているんだ。
それが悪いとは言わない。
甲冑の制御が巧みになることによって、生き延びられる
「……だが、甲冑が動かなくなった時、生徒達はどうすれば良い?」
それを教えなくて、なんの為の防人育成校なのか。
魔物は甲冑が壊れたからといって、容赦してくれるような相手ではない。
あらゆる状況で生き延びられる術を叩き込むのが、わたし達教師の役目のはずだ。
「……それを……」
――まあ、恒例行事みたいなものですし、怪我をしてもつまらない。気楽に行こうじゃないか。
山頂で行われた、教師同士の作戦会議。
そこで町村先生の放った言葉に、わたしは腹を立てていた。
あれで学年主任という立場なのだから、始末が悪い。
しかも大半の教師達が、彼の言葉に賛同して、やる気を見せていないのにも腹が立った。
「怪我をしないようにだと?
全力で当たらずに、どうして生徒達を導ける!」
怒り任せに吐き捨てて、わたしは首を振る。
大怪異や群発大侵災から、十年近い時が経とうとしている。
その平和な歳月は、当時味わった痛みを薄れさせるには十分だったという事か。
戦に関わらない者なら、それでも良いだろう。
だが、防人は――わたし達は、当時の痛みを決して忘れるべきではないはずだ。
現在の防人候補生教育は、極めて歪な気がしてならない。
わたしはこみ上げてきた怒りを押し込める為に、深く息をする。
今のわたしの役目は、教師として生徒達の壁となる事だ。
それ意外の余分は、別の機会に考えればいい。
胸の魔道器官に意識を向けて、吸った息を唄に変えて放つ。
「――響け。<
魔道器官が高稼働して、わたしの周囲の空間が陽炎のように揺らめき――ステージが開かれる。
それは夜の樹海に、薄く広く広がっていき――
「ア――」
放たれた単音からなる原初の唄が、ステージに響いて、樹海に散らばる生徒達の位置を知らせてくれる。
「……ほう?」
こちらの探査に気づいたのだろう。
南にいたひと組が、逃げずにこちらに移動を開始した。
そちらに目を向けると、闇の中に魔芒陣の輝き。
「――おもしろい。甲冑で来るか!」
三つの反応が先行している。
さすがに組全員の転送喚器は用意できなかったようだ。
だが、木々や蔦が密集したこの森の中で、衝突することなく移動できているのは、評価すべき点だね。
「さて、問題はそれが戦闘に耐えられるほどの
わたしもまた、移動を開始する。
木の幹を足場に、木々の間を縫うように跳ぶ。
――見つけた。
「……い組か。なるほどね」
さすがは学年トップというわけか。
「――だが、その陣形選択はミスだぞ、須波くん!」
甲冑を使うほどに相手を警戒しているならば、まず一番性能の高い<満潮>で足止めし、残る二騎をフォローに回すべきだったんだ。
着地。
すぐ目の前には、先行して滑空してくる伝来騎の右翼だ。
「オオオォォォ――ッ!!」
下からすくい上げるように長柄を振り上げる。
狙うは伝来騎の右脚。
金属音と共に、目を焼く火花が夜の森を照らし出した。
『ウワァ――ッ!?』
バランスを崩した伝来騎は、上下逆さまとなって木々をへし折りながら、地面に突っ込む。
長柄を振り上げた勢いそのままに、わたしは身を回しながら、片手で袴のホルダーからスマホを引き抜く。
アプリをタップすれば、精霊を喚び起こす軽快な曲が鳴り響いて。
「――選択、<火精>! 爆ぜろ!」
喚起詞を紡いで指差す先は、左翼の伝来騎だ。
面の前で魔術の爆発が炸裂して、視界を奪われたその騎体もまた、大木に激突して地に沈む。
残るは<満潮>だけだ。
『――ハアアァァッ!』
周囲の木々を薙ぎ払いながら振るわれた大太刀。
味方が撃墜されても、躊躇なく攻撃に踏み切れる判断の早さは評価だ。
――だが。
わたしは石突を地面に打ち立て、長柄を斜めに構えて身を低くする。
再び激しい金属音と、火花が周囲を照らし出す。
長柄に激突した大太刀は、軌道をそらされて斜め上方へ。
<満潮>の上体が宙を泳ぐ。
「高鳴れ! <
広げたステージに、強く響く太鼓の音。
わたしは地をえぐって、宙を駆け、そのまま長柄を<満潮>の胴に突き込んだ。
金属を引き裂く炸裂音。
わずかに遅れて、衝撃波が駆け抜け、<満潮>が仰向けに倒れ込む。
『――な、なんて人だ!』
須波くんが倒れた<満潮>から、そんな驚きの声をあげた。
「はっはっは。三山くんが言ってただろう?
生身でも魔物に立ち向かえるのが、真の防人なのさ」
石突で地面を叩いて、わたしは胸をそらす。
「それは決して、蛮勇でも無謀でもなくてね。
――確かな鍛錬に裏打ちされた、人を救うための力なんだ」
大怪異が生み出したあの地獄の中で、わたし達は持てる力のすべてを使って……そうやって、なんとか生き残ったんだ。
「甲冑を使うのは良い判断だったと思うよ。
でもね、その力を過信して、甲冑に使われるようになったらダメだ」
伝わるだろうか?
いや、彼は悟くんに敗れてから、放課後に一緒に鍛錬を重ねているという。
すぐにではなくとも……きっと理解できるはずだ。
『……まだまだ、鍛錬不足という事ですね……』
悔しげにうめく須波くんに、わたしは<満潮>の外装を叩いて笑った。
「まあ、励む事だね。
――とりあえず、わたしに負けた君らは、スタート地点からやり直しだ」
この訓練は、教師に敗れても脱落はない。
スタート地点から、再び挑み直しになるだけだ。
けれど、上位評価を目指すなら、そのやり直しのタイムロスは、かなりの痛手となる。
疲労も積み重なるから、どんどん厳しい状況に追い込まれていく事になるんだ。
『――ご指導、ありがとうございました!』
敗れた須波くん達は、声を合わせて深々と礼をして、来た道を戻っていった。
そんな彼らを見送り。
「……それにしても、ウチの子達はどこにいるんだろうね?」
ステージを広げて喚起した探査の魔法に、『ん組』の反応はない。
それほど得意な魔法でもない為、探査範囲は数百メートルといったところなのだが、わたしが今いるのは、山頂へと続く最短ルートのど真ん中だ。
ここで探査にかからないという事は、別のルートを辿っているのだろうか?
「……信乃くんだし、ありえそうだなぁ」
彼女は本当に、彼女の姉とは真逆の性格をしている。
鈴乃くんは正攻法を好んだが、信乃くんは詭道左道を好んで用いる傾向のようだ。
となれば、バカ正直に最短距離を目指さない可能性もあるか。
そんな事を考えながら、わたしは手近な場所にいる組を目指して、移動を始める。
と、その時だった。
「――――ッ!?」
薄く広く展開していたステージが、不意に弾かれた感触と共に砕かれる。
ステージにそんな反応を及ぼす現象は、ひとつしかない。
わたしは耳に着けた伝話のインカムを喚起して、先生達全員に繋げる。
「――
瘴気反応を確認――魔物と思われます」
そう告げて、わたしは反応のあった地点を報告した。
『――た、確かなのか?
なにかの間違いじゃ……』
町村先生が、うろたえた声で応答してくる。
「わたしのステージが割られました」
魔道干渉領域であるステージは、同じステージか、瘴気によってしか干渉できない。
そして、わたしのものを凌駕するステージを展開できる者は、現在、この場には教師を含めてさえ存在しないのだ。
『ま、待て! 今、他の先生方と協議を……』
なにを悠長な!
「――町村大尉っ!
緊急事態だと言っただろう!
現場最上位権任者として命ずる!
山岳訓練は中止だ! 警報を鳴らして生徒達に退避指示を!
各員、甲冑にて散開し、逃げ遅れた生徒達の救助を開始しろ。
ただちにかかれっ!」
望んでもいないのに、勝手に引き上げられていた階級も、こんな時は役立つものだ。
先生達の返事を確認しながら、わたしは生徒達に向けて、森の中を駆け出した。
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