第2話 6

 一時間置きに小休憩を挟みながら、あたし達は渓谷を目指した。


 スマホのGPSがあるから、方角を間違う事はない。


 先頭を行く平田は、腰に指した小太刀とは別に鉈を持ってきていて、それで藪や蔦を切り開いてくれるから、その後ろに続くあたし達は比較的歩きやすかった。


 時々、かなり遠くから、剣戟や魔道による爆発音などが聞こえてきて、信乃ちゃんの予想が正しかったのだとわかる。


 今頃、最短ルートを行った組は、先生達の夜襲を受けているんだろう。


 今、あたし達は、聞こえてきた戦闘音を警戒して、藪の中にしゃがみ込み、息を潜ませている。


 距離があるとはいえ、戦闘で過敏になっている先生達に、万が一にも気づかれないようにする為だ。


 音が聞こえなくなって、たっぷり五分ほど待って。


 あたし達は安堵の息をつく。


 水筒で喉を潤して、それからまた歩き始めた。


 しばらくして。


「……ええと、どこまで話したっけ?」


 最初の頃より抑えた声で、悟が口を開く。


 夜行性の野生動物は多い。


 座学でならったサバイバル術では、夜の森を歩く時はなるべく会話した方が良いとあった。


 先生達とは距離があると想定して、あたし達は獣避け優先の為に、移動中はなるべく会話するようにしていた。


「……悟が望月家の、先々代の子ってトコまでだったかな」


 あたしはなるべく感情を声に乗せないように意識しながら、そう応えた。


 正直なところ……悟の生い立ちは、想像していた以上にドロドロだった。


 先々代の望月家当主といえば、三洲山みすやま大公閣下の片腕として知られていて、帝国議会の貴族院にも議席を持つ、大物政治家の一人だ。


 華族としても、財界を含んだ社交界で名を馳せていて、あたしでも知ってる人物だ。


 ……悟は、そんな人物の妾の子なのだという。


「そうそう。

 ……おじいさん――血縁上は父親らしいけど、僕は会った事がなくてね。

 父さんっていうと、どうしても僕を養子にしてくれた、先代当主を思い浮かべちゃうんだよね」


 重い話の内容を、悟はさして気負った様子もなく説明する。


 それが事実なら、先代の望月当主は、弟を自分の養子にした事になる。


 血縁と戸籍がドロドロしてるのは、華族ならよくある話なのかもしれないけれど、士族の出であるあたしには、ずいぶんと重い話に思えた。


 すでにその話を知っているからか、あたしと同じ士族の出なのに、信乃ちゃんも平田も平然としているのが恨めしい。


「僕の母さんは孤児でね。

 ほら、昔、関西で大きな侵災があったでしょ?

 あれで独りになっちゃったんだって……」


 当時、高校生で家族すべてを失った彼女を、慰問に来ていた先々代望月当主が哀れに思って身請けして、央州おうすの屋敷で女中として雇ったのだとか。


 ……信乃ちゃんが言うには、旧家にはよくある話らしいけど。


 自分を救ってくれた華族当主に、憧れと敬愛以上の思慕を募らせてしまった悟のお母さんと、その想いを無下にしきれずに、受け入れてしまった先々代と。


 そうして悟をその身に宿した悟のお母さんは、屋敷を辞めて、独りで悟を産んだんだって。


「良くしてくれた望月の家の人に――大奥様に申し訳ないことをしてしまったって、最後まで侘びてたよ」


 それでも彼女は、愛した人の子である悟を大切に育てたのだという。


「……けど、大怪異が起きて……」


 悟の声が強張り、平田が小さく首を振るのがわかった。


「俺は親父に連れられて、シロカダ様の庵――穂月の奥屋敷に避難してたから、直接は見てねえけど……地獄だったらしいな」


 ――大怪異事変。


 あたしはニュースでしか知らない。


 九州南部に端を発した群発大侵災の最中に、三洲山公国全域を襲った魔物――ううん、それは魔物と呼ぶにはあまりにも大きすぎて、超級特異災害――大怪異と今では呼ばれてる。


 信乃ちゃんのお姉さんや、帯刀たてわき先生が調伏したという、アレだ。


 発生した大怪異は、大量の魔物を生み出し、三洲山の多くの人々が犠牲になったと聞いている。


「……そこで母さんは、僕を庇って亡くなったんだって」


 伝聞調なのが気になって、首を傾げると、悟は苦笑。


「僕は瘴気に呑まれて、その時を見てないんだ。

 気づいた時には、撫子――今でいう女防人のお姉さんが、僕を庇いながら魔物相手に戦ってた。

 そうして大怪異事変が終わって、僕は孤児院に行くはずだったんだけどね。

 どうやって調べたのか、今でも謎なんだけど、父さん――望月の先代当主が僕を見つけ出してくれてさ、僕をそのまま引き取ってくれたんだ」


 悟はいつもと変わりない口調で。


 あまりにも淡々と語っているけれど、あたしにしてみたら、あまりに壮絶な幼少期だ。


 思わず抱き締めてあげたい気持ちに駆られるけれど……悟は同情を求めているわけじゃないんだろうね。


 だから、いつもと変わらない声色なんだ。


 ただ真摯に、仲間として、あたし達に自分の事を知ってもらおうとしてるだけ。


「まあ、そんなわけで僕は、望月家の三男として生きる事になったんだけど……

 ――あ、信乃、あれじゃない? 渓谷!」


 話の途中で、悟は前方やや右手を指さした。


「ええ、そのようですね。

 ――平田くん、偵察を」


「あいさ」


 指示を受けて、平田が近くの木によじ登り、そのままお猿さんみたいに枝を伝って木々を飛び移っていく。


 あたし達は事前の打ち合わせ通り、藪に身を隠して。


 少しすると、平田は藪を切り開きながら戻ってきた。


「大丈夫だった。やっぱこっちは、センセ達も張ってないみたいだな」


 平田が作った道を崖際まで進む。


「では、平田くん、お願いします」


 これも事前の打ち合わせ通り。


 平田は転送喚器を着けた右手を胸の前で握ると。


「へっへ~、来たれ、<迅雷>!」


 喚起詞に応じて、その背後に大きな転送魔芒陣が開き、隊舎の固定器から<迅雷>が召喚された。


 現れた<迅雷>の胴が開いて、平田を鞍に呑み込む。


 面に紋様が浮かび、濃緑のかおが結ばれる。


『いいぞ~』


 という、平田の合図で、あたし達は差し出された<迅雷>の手を伝って、肩までよじ登った。


「ゆ、ゆっくりね? ゆっくりだよ?」


 あたしは<迅雷>の兜を叩いて念を押す。


 あたし達の甲冑だと、飛行時の排気量が大きい分、どうしても大きな音が出ちゃうから、谷底への降下は、静音性に優れた<迅雷>を使う事にしていたんだ。


『はいはい、わかってますよ~』


「フリとかじゃないからね!? ふざけたらぶっとばすからっ!」


『へいへ~い』


 あたしががっちり兜に両腕を回すと、<迅雷>は間髪入れずに跳躍した。


「――ひぃらぁたー!」


 上から押さえつけられるような感覚のあとに、ほんのわずかな浮遊感。


 けれど、それはすぐにおさまって。


 <迅雷>は、垂と佩楯に刻まれた浮遊の刻印を喚起して、ゆっくりと旋回しながら、谷底へと降下していく。


『ほい、到着~』


 時間にして一分にも満たない間だったけど、変に力んでいたせいか、腕がピリピリする。


 自分で甲冑を動かすならともかく、人の甲冑に身を任せるのは苦手。


 震える脚で地面に降りると、信乃ちゃんが肩を貸してくれた。


「平田! あんたっ!

 ジャンプいらなかったよね? 絶対わざとだよね?」


「ちょっとしたお茶目じゃん、怒んなよ、物部ものべちゃ~ん」


 涙目で怒鳴るあたしに、平田はおちゃらけた声色で笑う。


「くそぅ……あとで覚えときなさいよ」


 今は身体が自由にならないから、赦しといてあげるわ。


 谷底は、甲冑の背くらいある大きな岩が折り重なった川原になっていて、折れて乾いた木々があちこちに転がっていた。


 川幅は十メートル近くあるかな?


 深さはよくわからないけど、浄化の刻印符を使えば、飲み水の補給ができると思う。


 周囲の斜面は、斜めに生えた木々や藪に覆われていた。


 上の方は無秩序に生えた木々や藪と混じり合っていて、どこからが崖になっているのかわからない。


「それではここで休憩です。

 水分をしっかり取って、身体を休めてください」


 信乃ちゃんがそう指示すると、悟と平田がそこらに転がっている枯れ木を集め始める。


 落ち葉も集めてきて、そこに平田がライターで着火。


 手早く薪でやぐらを汲むと、あっという間に焚き火の完成だ。


 谷底のここなら、火起こししても、よっぽど谷に近づかれない限りは気づかれない。


 信乃ちゃんがここを休憩地に選んだ理由だ。


 あたしと信乃ちゃんは、昼食で余った山菜をアルミホイルで味噌と一緒に包み、焚き火の側に並べていく。


 食事と言うには物足りないけど、なにも口にしないよりはマシよね。


 軽食を終えて、ひと心地ついたところで、交代で仮眠を取る事になり、あたしと悟が火の番をする事になった。


 信乃ちゃんと平田が、寝袋を開いて横になる。


 川が流れる音が渓谷に響き、合いの手のように薪の爆ぜる音が交じる。


 濃い緑と川の水っぽい――大自然そのものな匂いに包まれていると、薪が燃える匂いが異質に感じて不思議ね。


 そんなどうでも良い事を思いついて、あたしは思わず苦笑。


「……それで?」


 焚き火を挟んで正面に座った悟に、あたしは訊ねる。


「それでって?」


 首を傾げる悟。


「さっきの続きよ。

 どうせなら、最後まで聞かせなさいよ。

 望月家に引き取られて、それからどうしたの?」


「……ああ」


 悟はうなずいて、再び話し始める。


「あの頃は、母さんを亡くしたばかりでさ。

 父さんも母さん――あ、望月の奥様の事なんだけど――も、兄さん達もそんな僕にすごく優しくしてくれたよ。

 でも……僕は母さんを殺した魔物が赦せなくて……守れなかった自分も赦せなかったんだ。

 とにかく強くなりたくて、兄さん達に剣術を教えて欲しいって強請ねだってさ……」


 一種の逃避だというのは、悟のお兄さん達も気づいたはずね。


 けれど、それを取り上げてしまうと、幼い悟の心が壊れてしまうから……お兄さん達は悟に剣術を教えるのを了承したらしい。


 きっと才能があったのね。


 小学生の悟は、めきめきと剣の腕を上げていったそうよ。


 市の大会で優勝したこともあって、他家の人達からも褒められたんだって。


「……けど、そこまでだったんだよね」


 悟はさみしげな笑みを浮かべる。


「あの大怪異で瘴気に侵された僕は、魔道器官を壊しちゃってて……みんなが剣術に魔道を織り交ぜるようになると、僕は勝てなくなったんだ」


 それまで悟を賞賛していた人々は、まるで手の平を返したように嘲笑して。


「欠けた望月ってのは、そういう事。

 三洲山魔王筆頭であるはずの望月家の子なのに、魔道が不出来な落ちこぼれってね……」


 三洲山の各領主家の代名詞である『魔王』とは、御三家それぞれの御家の中で、もっとも魔道に優れた者に与えられる称号なのだという。


 だから当然、兄弟がいれば魔王になれない子供も出るわけだけど、そういう子でもよその御家の子に比べると、優れた魔道の使い手なんだとか。


 ……けれど、悟は――


「父さんにも兄さん達にも、武の道は諦めろって言われたよ。

 上の兄さんなんか、僕に家督を譲るから、政治家になれなんて言い出してさ……」


「……それでも、悟は諦められなかった?」


 あたしの問いに、悟は苦笑混じりにうなずく。


「剣の道を閉ざされたからこそ、いろいろと見えてきた事があってね。

 母さんの仇討ちより、自分がただ強くなる事より――もっと大切なものがあるって気づけたんだ」


 それがなにかを、悟は語らなかった。


 きっとそれは、悟の大切な想いで、軽々しく踏み込んじゃいけない気がしたから、あたしはただうなずきを返す。


「兄さん達には散々諦めるように説得されたけどさ、それでも少しでも僕の助けになればって、シロカダ様に僕を紹介してくれてね。

 あとはまあ、桔花も知っての通り、かな?

 僕は防央校に入っても、甲冑も魔道も使えない落ちこぼれだった」


「――魔道もって、キミ、<禍津日マガツヒ>でステージ開いてたじゃない!?」


 驚くあたしに、悟は笑みを浮かべる。


「ずっと師匠に禁止されてたからね。

 まさか僕が魔法を使えるなんて、思いもしなかったなぁ……

 気づかせてくれた、桔花と<禍津日>には本当に感謝だよ」


 どうやら悟の師匠は、治療の一環と称して、悟に魔法の使用を禁止していたんだとか。


「ヘタに使うと死ぬって言われててさ。

 あの模擬戦のあと、慌てて師匠に伝話したら、笑いながら方便だって説明されたよ」


 壊れた魔道器官を鍛えるために、あえて魔法を使わないようにさせていたんだとか。


 悟の師匠――シロカダ様という方は、ずいぶんと型破りな人らしい。


「なんかソーサルリアクター?――と、ローカルスフィア?――の、新規経路構築がどうとか、すごく難しい理屈を説明してたけどね。

 正直、僕には理解できなかったけど、とにかく<禍津日>のおかげで魔道器官が安定したみたいで、もう魔法を使っても良いんだって!」


 嬉しそうに告げた悟は、それから不意に真剣な顔になって。


「桔花、僕に<禍津日>を与えてくれて、本当にありがとう。

 君のおかげで、僕はもう一度、夢を追いかけられる」


「ちょっ、悟!? やめてよ!」


 深々と頭を下げる悟に、あたしは手を振って止めようとした。


「……あたしはさ、そんなご大層な人間じゃないんだよ」


 悟やみんなは、あたしの技術を褒めてくれるけどさ。


 どうしても思い出してしまうのは、美琴ちゃん達の事で。


「あたしはさ、去年、あたしの所為で友達を大怪我させちゃってるんだ……」


 その呟きに対する、悟の反応が怖くて顔を上げられないよ。


 でも……悟が傷を曝け出してくれたから。


 あたしもあたしの罪を伝えておこうと思うんだ。


「……あたしの話を聞いてくれる?」

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