第2話 5

 少し早い昼食をとって、みんなで仮眠して。


 スマホのアラームで目覚めた頃には、空が茜色に染まり始めていた。


 辺りに当然、他の組の姿はすでになく。


 僕らは手早くテントを片付け、出発の準備を整える。


 信乃がこの時間からの移動を選んだのは、先生達の襲撃を警戒しての事だという。


 他の組は、日中を移動に費やし、そろそろ今日の野営地を決めて、食材を探し始めている頃だろう。


 けれど、それこそがこの訓練の罠なのだと、信乃は言う。


 樹海の中で、魔獣や獣を避けて休息を取るには、火は欠かせない。


 一年の時の座学でもそう習った。


 けれど、今回の仮想敵は魔獣や獣ではなく、先生達――人なんだ。


 夜の森で火を起こせば、当然、目立つ。


 先生達も火の明りを目印に襲撃を仕掛けることだろう。


 歩き疲れ、ようやく休息となったところで襲撃だ。


 まともに抵抗できず、森の中を逃げ回ることになるだろう――というのが、信乃の予想だった。


「そんな混乱した森の中を、わたし達は主戦場を避けて、このルートを取ります」


 車座になった僕らに、広げた地図を指差して、信乃は説明する。


「――え? 良いの?」


 驚いて訊ねる僕に、信乃は黒い笑みでうなずきを返す。


「禁止なんて言われてませんしね」


「……言われてみれば、確かにそうだな……」


 カンちゃんも納得したようにうなずく。


 信乃が示したのは、樹海を南東に抜けるルートで。


「最短ルートを使わないってこと?」


 桔花が首を傾げて訊ねると、信乃は再びうなずく。


「最短ルート――北西に抜けて尾根伝いに山頂を目指すルートは、だからこそ、激戦区になるのですよ」


 誰もが目指すルートだからこそ、先生達も網を張りやすいって事か。


「なので、わたし達はあえて遠回りに見える南東に樹海を抜けて、一般登山道ルートに出ます」


「途中にある、この渓谷は?」


 カンちゃんが地図を指差しながら訊ねる。


 そこには高低差十数メートル、幅五十メートル前後の渓谷がある。


「そこまで辿り着いたら、甲冑の出番です」


 甲冑で谷底まで降りて、休憩と水の補給。


 谷底だからこそ、火を焚いても目立たないというわけだ。


「あとは甲冑で、登山道を一直線ってわけだね!」


「はい。これで行きはなんとかなるはずです」


「復路は?」


「その時の状況に合わせて、適宜に組み立てます。

 今はまだ、先生達がどう動くか予想できませんので」


「わかった」


 そうして僕らは背嚢はいのうを背負って、森の中へ踏み入る。


 やや湿り気を帯びた、強い緑と土の香り。


 道などない森の中は、無秩序に伸びた木々が空を覆い隠し、腰まである蔦と草に覆われていて。


 まだ夕刻だというのに、すでに闇の帳が降ろされていた。


「こりゃダメだね。全然見えないや。

 みんな、コレ使って」


 と、桔花が僕らに刻印符を配っていく。


「暗視の刻印符だよ」


「ありがとう」


 僕らは受け取った符を胸に貼り付け、喚起する。


 暗視は魔法や魔術でも使えるけれど、魔法は唄で、魔術はスマホで曲を流す必要がある。


 そんなことをしたら、先生達に見つかる可能性があるから、避けたいところだ。


 だから、無音で使える桔花の刻印符は、非常に助かるものだった。


 昼のように補正された視界の中で、僕らはどんどん森の中を突き進む。


 斥候のカンちゃんを先頭に、間に信乃と桔花を置き、一番体力がある僕は、最後尾だ。


 指揮科と工廠科の信乃と桔花も、一年の基礎訓練をしっかりと受けている為、足取りは淀みない。


 途中、子連れの鹿と遭遇したけれど、僕らの姿を見つけると、慌てて逃げていった。


「……なんだよ。いるんじゃん、動物」


 逃げた鹿を見送って、カンちゃんは不満げだ。


 昼にふたりで森に入った時は、動物と遭遇できなかったんだよね。


「あの時は、他の組の生徒もあちこちにいたからね」


 大勢の気配に反応して、姿を隠していたんだと思う。


 結局、僕らの昼食は山菜汁になったんだ。


「久々に魔獣が食えるかもって、期待してたんだけどなぁ……」


 と、カンちゃんは不満げだ。


「――魔獣って食べられるの!?」


 桔花が驚いて、カンちゃんに訊ねる。


「ああ、本土の人だと九条結界の影響で、魔獣が少ないから、あんまり馴染みがないよね」


 僕は思わず苦笑する。


「魔獣と言っても、精霊の影響で魔道器官を持ってしまった野生動物ですからね。

 食べられる動物なら、むしろ美味しいと聞いたことがありますよ」


 信乃も本土生まれだから、知識としては知っていても、食べたことはないみたいだ。


「ガキの頃にさ、穂月屋敷の裏山で、あねさんが魔牛を駆除したことがあってさ」


「――待って!? 魔牛ってナニ?」


「ナニって、魔獣化した野生牛」


 つっこみを入れる桔花に、さも当然というように応えるカンちゃん。


「牛って野生化するの!?」


「姐さんが子供の頃に、近所の牧場で大量脱柵したことがあったみたいでな。

 それが野生化した上、魔道に目覚めて魔牛になってるらしいんだよ。

 ガキの頃、俺も遭遇して、ビビって大泣きした。

 アホみてーにでけえんだよ。アレ」


 手を頭上に思い切り伸ばして、カンちゃんは魔牛のサイズを示してみせる。


 僕より背の高いカンちゃんが、思い切り手を伸ばしているから、少なくとも二メートル半はあるという事か。


「んで、駆けつけた姐さんが、魔牛を片手で投げ飛ばして、そのままクイっとシメて、村のみんなに振る舞ってくれたんだよ。

 いやあ、美味かったぜ。ホント」


「――ホント待って!? 姐さんって、女よね?」


「ああ、現在二十三歳のピチピチの乙女だぜ。

 あん時はまだ十七、八だったはずだ」


「あたし達と変わらない歳で、そんなデカいのを片手で?

 どっかおかしいんじゃない?」


 驚く桔花に。


「俺は主に、頭がおかしいんじゃねえかって、疑ってるんだ」


 カンちゃんは真面目な顔で、腕組みして応える。


「――ぷっ!」


 吹き出したのは信乃だ。


「お姉様から聞かされてますが、当代上洲かみす魔王は、学生時代から――ちょうどその魔牛退治の頃でしょうかね?――、かなり破天荒な逸話を残されている御方ですからね。

 わたしが知っている話だと、帝竜に傷を負わせて、鱗の雨を降らせたっていうのがありますね」


「――帝竜って、あの!?」


 これには僕も驚いた。


 帝竜というのは、普段は太平洋の赤道付近を巣として回遊している、現在確認されている中では最大級の竜属だ。


 頭から尾まで、数十キロものサイズがあるのだとか。


 僕はタイミングが合わなくて見たことがないのだけれど、数年に一度、不定期に三洲山みすやまの南域に出現することがあるんだ。


「あ~、それウソみてーな話だけど、事実らしいんだよな。

 下洲に海水浴に行った時に遭遇して、ケンカふっかけられたんだって、お嬢が言ってた」


 お嬢というのは、今は療養中の穂月 結愛ゆめの事か。


 現場を目撃したのなら、その話はぜひ聞いてみたいものだ。


「……帝竜にケンカふっかけられて、それを買っちゃうって……」


 呆れたように呟く桔花。


「姐さんも、シロカダ様に鍛えられてたらしいしな。

 同門なんだから、悟も似たようなことできるようになるんじゃね?」


 カンちゃんが尋ねてくるけど、僕は首を横に振った。


「僕が教わってるのは、肉体鍛錬と魔道の基礎だからね。

 師匠の穂月流は、僕には合わないらしくてさ」


 唄と舞いを基礎とした穂月流。


 魔道干渉領域――ステージを舞台に魔道を操るというその技芸を、僕は教わっていない。


「実家の流派を教わるべきだって、師匠は言うんだけどね。

 兄さん達は僕がそんなの覚える必要ないって、教えてもらえてないんだよね」


 こっそり家の蔵で、古い書物を調べてみたところ、実家の流派もまたステージを使った技なのだということまではわかったのだけれど、それをどう扱うのかまではわからなかったんだ。


「……悟って、お兄さんに嫌われてるの?」


 気遣うような表情で尋ねてくる桔花。


「まさか! 兄さん達は、めちゃくちゃ僕を大切にしてくれてるよ!」


「それじゃなんで?

 前に須波すなみが言ってた、『欠けた望月』っていうのに関係あること?」


 そういえば、桔花には説明してなかったんだっけ。


「……言いづらい事なら、無理に聞かないけど……」


「いや、そんな事ないよ」


 親友のカンちゃんはもちろん、僕を組に選んだ信乃も知っているはずだ。


 華族の間では有名な話で、別に隠すような事でもない。


 だから、僕は話始める。


「……僕はさ、央州領主――望月家の子供なんだ」

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