第2話 4

 スタート地点の草原は、キャンプ場としても開放されているから、外れの方に水場やトイレなんかも設けられている。


 テントを貼り終えた悟と平田は、食材を確保してくると言って森の中へ入って行き、信乃しのちゃんは火起こし用の竈を作る為に、石を探しに行った。


 あたしは寝てるように言われたけど、なにもしないのも気が引けて、鍋に水を汲む為に水場にやってきていた。


 平田は鳥や兎を獲ってくるなんて息巻いてたけど、初春の今は獣達は冬眠開けだから、獲れたとしてもそれほど肥えてないし、子連れの為に気配に敏感になっているだろうから、そうそう捕らえられるものじゃないと思う。


 まあ、悟は山菜狙いのようだったから、なにかしら食べられるとは思うんだけどね。


 調味料の持ち込みは認められているから、あたしは塩と味噌を持ってきている。


 山菜なら、塩揉みして灰汁抜きして、味噌で煮込めばたいていは食べられるはずだ。


「今の時期だと、タケノコはちょっと早いかな?

 わらびかノビル、あとはタラの芽……油があったら、フキノトウも素揚げで行けたのかなぁ?」


 残念な事に油は持ってきていない。


 今朝は早朝出発だったから、あたし達、生徒はみんなカロリーバーで朝食だった。


 だから、物足りない感じがしてたのよね。


 春の山の幸を想像すると、お腹がくうと小さく鳴いて、あたしは思わず周囲を確認した。


 幸い誰にも聞かれてなかったみたい。


 水場に辿り着くと、蛇口から鍋に水を注いで。


 育ち盛り四人のお腹を満たせるように、鍋は三リットル収まる大型の寸胴だ。


 水が溜まるのを待っていると。


「――物部さん……」


 息を潜めた呼び声に、あたしはそちらに顔を向ける。


 水場に併設されたトイレの出口で、長い髪を一本編みにした少女がたたずんでいた。


「……美琴みことちゃん……」


 あたしは思わず身を硬くしてしまう。


 ――水城みずしろ 美琴。


 一年の時のクラスメイトだ。


「……あ、あの、ね。物部さん……」


 言葉に詰まるあたしに、彼女は歩み寄りながら、声をかけてきて。


「――美琴っ! そいつに近づくな!」


 けれど、そんな彼女の肩が背後から引かれた。


「――りゅ、隆成りゅうせいくん、でも……」


 美琴ちゃんを背後に庇い、一歩踏み出したのは、やはり一年の時に同じクラスだった村上 隆成だ。


「――ガラクタ姫が、こんなトコでなにしてんだよ……」


 あからさまな敵意を向けられて、あたしは首を振る。


「なにをって、見てわかんない?」


 いつの間にか、鍋は一杯になっていて、縁からは水が溢れ出ていた。


 村上達を見たまま、あたしは蛇口を止める。


「落ちこぼれの『ん組』は、ハナっから訓練に参加する気がねえってか?」


 嘲るように鼻で笑う村上。


「作戦は組ごとの自由でしょ。

 どういう行動を取ろうと、よその組になにか言われる筋合いはないよ」


 あたしは答えながら、入れすぎた水を流し台に捨てて、鍋に蓋をかけた。


 こみ上げてくる罪悪感と、どうしようもないイラつきで。


 あたしはその場をさっさと立ち去ろうとする。


 ――けれど。


「――『ん組』も災難だよな!

 おまえの実験台にされて、今度は何人の怪我人が出るんだろうな?」


 村上のその言葉に、あたしは唇を噛んで、鍋の取っ手を握る手に力がこもった。


「――隆成くん! やめて!

 わたしは……」


「美琴は黙ってろ!

 あの事故で、おまえは転科せざるを得なくなったってのに、あいつは今でものうのうと工作続けてて、ムカつくんだよ!

 挙げ句に模擬戦では、あいつの造った甲冑のおかげで『ん組』が勝ったように言われてよ! 美琴は腹立たねえのか!?」


「――説明したでしょ!? あの事故は――」


 美琴ちゃんが、村上の腕を引いて声を張り上げたから。


「――美琴ちゃん!」


 あたしも声を張り上げて、その言葉を制止した。


「……あの頃は、あたしもまだ未熟だったからね。

 本当に悪かったって思ってるよ。

 美琴ちゃんが望むなら、何度でも謝る。

 ……この通り」


 あたしは腰を折って、深々と頭を下げた。


「……物部さん……わたしは……」


 美琴ちゃんが小さく呟き、村上が舌打ち。


「……俺はぜってえ、おまえを赦さないからな。

 行くぞ。美琴!」


 そう吐き捨てて、村上は美琴ちゃんの手を引いて、その場を立ち去る。


 頭を下げたまま取り残されたあたしは、身体を起こして大きくため息をついて。


 ……泣くな。


 そんな資格はあたしにはない。


 きっと泣きたいのは、美琴ちゃんの方だ。


 見上げた空が涙で滲むから、あたしは溢れないようにまぶたを閉じる。


「……ウチの桔花きっかちゃんを泣かせるとは、あの男、良い度胸してますね……」


 と、不意にそんな声が聞こえて。


 目を開いて、声のした方――トイレを見ると。


「――し、信乃ちゃん!?」


 彼女はハンカチで濡れた手を拭いて、やおら腰をかがめると、足元から石を拾い上げた。


「……制裁しましょう」


 と、綺麗なワインドアップで振りかぶる。


「待って! 信乃ちゃん、タンマ!

 泣いてない! あたし泣いてなんかないから!」


 思わず鍋を取り落して、信乃ちゃんに縋りつく。


「ですが、彼は桔花ちゃんにひどい事を言ってました。

 十分に制裁対象です」


「――大丈夫! 気にしてないから!」


「いえいえ、これでも投擲術は武士レベルと、お師匠様からお墨付きを得ていますから、外すことはありません。

 ……速やかに、あの愚か者の意識を刈り取ってみせます!」


 黒い笑みを浮かべて、なおも石を離さない信乃ちゃん。


「いいから、石捨てて! 本当に良いんだってば!」


 懇願するように告げると、信乃ちゃんはかなり不満げにだけれど、石を手放してくれた。


 あたしは安堵の息をついて、落とした鍋を拾い上げる。


「あーあ、また汲み直しだよ」


「やはり処すべきですね」


「ダメだってば!」


 再び石を拾い上げようとする信乃ちゃんを、慌てて止める。


 今度拾おうとしていたのは、拳くらいのサイズで、さっきのよりも大きかった。


「良いから、水汲み! ほら、行こう?」


 信乃ちゃんに鍋の取っ手の片側を持ってもらい、あたし達は再び水場に向かう。


「……彼らは、あの事故の被害者なのですね?」


 言いづらそうに尋ねてくる信乃ちゃんに、あたしは苦笑。


「そっかぁ。信乃ちゃんはさすがに知ってるよねぇ……」


 一年の時にクラスは別だったけれど、『ん組』にあたしを選んだのは、信乃ちゃんだ。


 当然、事故の事は知っているだろう。


 ――具足暴走事故。


 去年の夏休みちょっと前、あたしのクラスで起きた――あたしが巻き起こした……事件だ。


 四肢を鎧って強化する外装魔道器――簡易甲冑でもある『具足』が暴走して起こったその事故によって、美琴ちゃんは両腕の骨を折る大怪我を負い、後遺症から武士の道を断念――斥候科へと転科せざるを得なかった。


 掛かり稽古の相手をしていた村上もまた、後遺症は残らなかったものの、大怪我を負って。


「……けれど、アレは具足の強化に対応できなかった、水城さんの力量不足が原因でしょう?」


 あたしを庇って、そう言ってくれる信乃ちゃんは、本当に優しい子だと思うよ。


 ……でもね。


「それを見極められなかったのは、やっぱりあたしの力不足で……ううん。自分の技術力を過信してたんだと思うよ……

 だから、やっぱり悪いのはあたしなんだ……」


 もっとちゃんと点検してれば、起きなかった事故だったと思うんだ。


「……それでも彼女が武士として続けられるように、具足の改良を続けてたのでしょう?」


 癒術で骨折から立ち直った美琴ちゃんだったけれど、以前のように刀を振れなくなってしまった。


 それをなんとかしたくて、あたしはゴミ山でパーツを集めて、彼女の具足を改良しようとしてたんだよね。


「それも知ってたのかぁ。

 信乃ちゃん、千里眼なのかな?」


「茶化さないでください」


 苦笑して応えるあたしに、信乃ちゃんは不満げだ。


 流し場で一度、鍋を洗い流し。


 再び水を溜めていく。


「……まあ、パーツ集めても、いつも村上に怒鳴られて、改良はできなかったんだけどね。

 結局、先生にもバレて、生徒を実験台にしてガラクタにする、ガラクタ姫、な~んて呼ばれちゃってさぁ」


 その呼び名が広まって、みんながあたしの魔道器を恐れるようになっちゃったんだよね。


「わたしはそれが、非常に不本意でならないのです!」


 信乃ちゃんは、拳を握りしめて、天井に吐き捨てる。


「キチンと調べもせずに、わかりやすい犯人役を作り出して、好き勝手に誹謗中傷する!

 桔花ちゃんは、事故の後もしっかりと努力を続けていたのに、それさえも見ようともしない!」


 それから彼女は、あたしをぎゅうぎゅうと抱きしめて。


「そもそも桔花ちゃんも桔花ちゃんです!

 なぜ、言われたままにしておくのですか!?

 わたしなら、力不足のあなた達が悪いって言ってますよ!」


 その暖かくて心強い言葉に、あたしは涙がこぼれそうになって……だから無理に笑ってみせた。


「……それは信乃ちゃんが強いからだよ。

 あの頃のあたしはさ、物部の娘として調子に乗ってて……その伸びた天狗の鼻をへし折られた気持ちになっちゃっててね……」


 先生や村上の罵倒は、当然のものだと思ってたんだ。


「――桔花ちゃん!」


 信乃ちゃんはあたしの肩に両手を置いて、顔を覗き込んでくる。


「わたしは、いいえ。『ん組』のわたし達は、桔花ちゃんがどれほど素晴らしい技術者なのかを知ってます。

 今日だって徹夜で、わたし達の甲冑を整備してくれました。

 ですから、言われっぱなしは、やっぱり赦せないのです!」


「だ、だからって制裁とか、処すってのはナシだよ?」


「ええ、桔花ちゃんがそう言うので、別の方法で行きましょう」


 そうして、信乃ちゃんは黒い笑みを浮かべる。


「……トップです!」


「んん?」


「わたし達『ん組』はトップでゴールする事にしました!」


 拳を振り上げて、信乃ちゃんは宣言。


「文句のつけようのないくらい、圧倒的に!

 それでいて、桔花ちゃんの技術力がなければ、達成できないような方法で!

 わたし達は断トツトップでゴールするのです!」


 鍋から水が溢れ出て、ざあざあと音を立てる。


「そ、それって、どうやって?」


「それはこれから考えます!

 とにかく桔花ちゃんはこんな事してないで、寝てください!

 ご飯ができたら起こしますから!

 さあさあ、行きますよ!」


 鍋を抱えた信乃ちゃんは、のしのしと音が聞こえそうなくらい力強い歩みで、テントに向けて歩き始める。


「あ、あたしも持つよ!」


 そう言って、あたしは鍋の半分を受け持ち。


「……信乃ちゃんって、地味に負けず嫌いだよね。

 でも、ありがと……」


「いいえ~。

 大事な仲間のためですから!」


 あたしの言葉に、信乃ちゃんは何でも無いことのように、優しい微笑みを返してくれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る