第2話 3

 ――春季山岳訓練とは。


 その名の通り、季節ごとにある山岳訓練のうちのひとつで、二学年最初の試練と呼ばれている厳しい訓練だ。


 央州おうす北東部にある厳しい山岳地帯――弧霧ヶ山こぎりがやま連峰の麓から山頂を目指し、そしてまた麓まで帰ってくるというのが、その内容。


 獣や魔獣、そして時には魔物との遭遇もありえるため、武装自体は認められているものの、スタート地点で最初に配布される二リットルの水入り水筒以外は、飲み水も食料も現地調達だ。


 一年時に座学で習ったサバイバル術の実践訓練というわけだね。


 弧霧ヶ山連峰はその名の通り、西側に弧を描く峰が連なった連峰で、一番高い弧霧ヶ岳の標高は一三〇〇メートルほど。


 山としてはそれほど高いわけでもなく、南側には登山道が通っていて、央州に暮らす人々のハイキングコースとして有名だ。


 けれど、僕らが辿るのはそちらではなく。


 北側の未整備地域側からの登山となる。


 麓から中腹にかけて、鬱蒼とした樹海が広がり、中腹から山頂までは歩きづらい砂礫地帯となっている。


 加えて斜度がかなりきつく、緩いところでも二十度以上。中腹からは四十度以下はないという、ほぼ崖のような道程を辿らなければならないんだ。


 ちなみに先週の模擬戦と違い、今回は生徒同士の争いはない。


 もちろん、早く往復した組の評価が高くなるのだろうけれど、原則として生徒同士の戦闘は禁止されている。


 むしろ協力することが推奨されていて、その行動への評価点も設けられているくらいだ。


 というのも、今回は仮想敵アグレッサー役を、先生達が担当する事になっているからだ。


 かつての防人は、対魔物戦闘を主目的として組織されていたのだけれど、九条結界に綻びができて以降、対人戦闘の訓練にも重点を置くようになった。


 群発大侵災で九条結界の欠損以降、黄河大湾北部の大元連邦が朝鮮諸島を越えて、帝国海域近海で軍事演習を行う事が増えているからだ。


 第二次世界大戦でロシア帝国に国土を削られた大元連邦は、いまだ領土的野心を燻ぶらせているのだという。


 陸上戦でロシア帝国に勝てなかった為、大日本帝国を中継地として、海上から攻めたいのだろうというのが、帝国軍部の分析だ。


 かつてより弱まったとはいえ、九条結界がある限り、大元連邦がすぐに攻めてくる事はないのだろうけれど、いざという時に備えて、防人も対人戦闘を学ぶ事になったんだ。


「――はい、そういうワケで、今回の訓練には先生達の夏のボーナス査定もかかってるんだ」


 樹海手前に切り開かれた草原で。


 学校からの移動に使った装甲車を降りた僕らに、帯刀先生は両手を打ち合わせて笑顔で告げる。


「いやぁ、大事だよね。ボーナス。

 先生には7つになる弟が居てね。これがまためちゃくちゃ可愛いんだけれど、ボーナスが少ないと、夏休みの帰省であの子へのお土産がショボいものになっちゃうだろう?

 だから、今回はわたしも本気で行こうと思ってるんだ」


「えぇ……」


 満面の笑顔でスマホに弟さんの写真を表示させ、僕らに見せて回る帯刀先生。


 僕らは思わず呻いた。


 帯刀先生が防人として、どのくらいの技量なのかはわからないけれど、この若さで少佐ということは、かなりの腕前なはずだ。


 学年主任の町村先生が四十代後半で、大尉でしかない事を考えれば、恐ろしいスピード出生といえる。


 尉官の間までは家柄なんかで出世できるけれど、佐官からは実力を求められるのが防人の階級だ。


 今は弟さんの写真にデレデレだけど、決して侮って良い相手ではないだろう。


「まあ、そんなわけで、わたしに見つからないように作戦を練るように。

 君ら相手でも、わたしは全力で行くからね」


 そう告げて手を振り、帯刀先生は先生達が集まってる方に去っていく。


「……やべえよ。帯刀センセ、めっちゃやる気じゃん」


 カンちゃんが顔を青くして、震えながら呟いた。


「ええ。想定外です。困った事になりましたね……」


 信乃しのもまた、カンちゃんの言葉に同意する。


「なになに? ふたりとも帯刀センセの事、知ってんの?」


 桔花きっかが首を傾げて訊ねると、カンちゃんは真剣な顔でうなずく。


「学生時代にウチの姐さんの先輩だったらしくてさ、色々と逸話は聞かされてるんだ。

 あの人、大型魔物の攻撃、生身で受け止めるだけじゃなく、そのままひっくり返すんだってよ!」


 ……マンガの話かな?


「自他共に認める、わたしの姉のライバルだったそうでして。

 姉が英雄と呼ばれるきっかけとなった大怪異事変――その突入部隊を指揮したのが、先生だそうですよ……」


 信乃が心底困ったように告げる。


「――英雄のひとりじゃん!? なんでガッコのセンセなんてしてんの、あの人!」


 桔花が驚きに目を見開いて、信乃に詰め寄った。


「そこが本当に不思議なんですよねぇ」


 頬に手を当てて、信乃はため息。


 つられて僕らも思わず嘆息を漏らした。


 生身で大型魔物と対峙できるような人が、これから仮想敵として襲いかかってくるのか。


「あ、そうだ! 忘れないうちに、コレ渡しておくね」


 と、そんな空気を切り替えようと思ったのか、桔花が手を打ち鳴らして、戦装束の袖口から、小さな巾着袋を取り出す。


 広げた左手に逆さまに降ると、四つの指輪が転がり出た。


「ん~と、これは信乃ちゃんのだね」


 桔花は指輪に刻まれた刻印を読み取って、信乃にそのうちのひとつを手渡す。


 次いでカンちゃんに、それから僕にも指輪を手渡して。


「桔花ちゃん、これってひょっとして……」


「そ、転送喚器!」


 それは、甲冑をどこからでも召喚できる、魔道器の事で。


 群発大震災発生時、甲冑がない為に魔物に殺害された防人が、余りに多かった事から、帝国陰陽寮が最近になって完成させた魔道技術のひとつだ。


 甲冑の固定器に刻印を刻んで、対になる指輪の元に転送するのだとか。


 桔花は自分の分の指輪を左手の中指にはめて、僕らにひろげて見せる。


「なんとか間に合わせたよ。喚起詞は『来たれ』に続いて、銘を呼んでね」


 この山岳訓練で、甲冑を使えるというのは、かなりのアドバンテージになるからだ。


「すごいわ、桔花ちゃん!」


 信乃が桔花に抱きついて、その頭を撫でる。


「いやん、もっと褒めて!」


 身体をくねらせて喜ぶ桔花は、それから不意に真剣な顔を覗かせて。


「まあ、この手を考えるのは、あたしだけじゃないだろうけどね。

 転送刻印は陰陽寮が技術公開してるから、他の組も――全部とは言わないけど、転送喚器を用意してるはずだよ」


「先生方も、それを想定して動くでしょうしね……使い所を考えないといけないわね」


 信乃が地図を取り出して、考え込み始める。


 その間にも、先生達は輸送ヘリに乗って山頂への移動を開始する。


 僕ら生徒は、今から一時間後にスタート予定だ。


 山岳訓練は早い組でも二日。


 ワーストレコードは四日かかった先輩達もいたほどだという。


 人の手の入っていない樹海は、それほどまでに困難ということだ。


 それらを考慮して、信乃はルートを決めようとしているのだろう。


 地図を指でなぞっては、首を振って。


 決定した地点までを赤ペンを走らせていく。


 そんな信乃の周りに、僕らは座り込んだ。


 信乃に任せっきりにするつもりはないけれど、こういう分野で僕らが彼女以上の良案を出せるとは思えない。


 彼女が指針を立てて、そこに質問や意見を言うのが、たぶん一番うまく行く方法だろう。


 僕の隣に座った桔花が、手で口元を覆いながら、大きな欠伸を漏らす。


「あはは。ごめんよ」

 照れ臭そうに笑みを浮かべて、桔花は目尻を拭った。


「……ひょっとして寝てないの?」


 良く見れば、目の下にうっすらとクマも見て取れた。


 僕の問いかけに、桔花は頬を掻きながら苦笑。


「――転送喚器を間に合わせようと思ってたら、つい、ね。

 いやぁ、今朝の朝焼け、きれいだったよ~」


「――は?」


 茶化したように笑う桔花を、頭上から押し殺した低い声で、信乃が睨む。


「――悟くん、平田くん、今すぐテントの用意を。

 桔花ちゃんに睡眠を取らせます」


「ええ!? い、いいよぉ! 開発やってたら、三徹とか当たり前にあるし!」


「いいえ。これは隊長命令です。

 寝不足で山中行軍なんて、死にたいのですか?

 どのみち作戦行動は夕刻からを予定しています。

 みなさん、休息用意です!」


「――了解!」


 有無を言わせぬ信乃の剣幕に、僕とカンちゃんは慌ててテントの用意を始めた。

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