第5話 急変と豹変
そして護衛を始めてから体感的に一時間程度が経過した。
「……なぁ、ジャック。これ、俺達要らなくないか?」
そんな言葉が口を突いて出るが、それも仕方のない事だろう。
なんたって今のところのエンカウント自体がゼロなのだから。
「まぁそうだね。金品とか身代金目当ての輩とかが来ると思ったけど、実際は全く無いし。あと、ぶっちゃけこれが一番重要なんだけど……さっきから都市部とは逆方向に進んでるんだよね」
「迷ったんじゃないのか?」
「うーん。その割には足取りは堂々としてるし。迷ってはなさそうだけど……」
一声かけるべきだろうか、なんてことを考えていると件のエリオットさんは振り返って「この道を真っ直ぐ行くと中央部までショートカットが出来るはずです」と言った。
「えーっと、その先は行き止まりじゃないかな。と言うか、さっきからずっと都市部と真逆の方向に歩いて行ってるかな」
「……おやおや。私とした事が失敗しましたかね」
エリオットさんはへらりと笑みを浮かべながら体を反転させた。来た道を引き返すのだろうか――
「とは言え、都市に行く必要なんて最初から全くないんですけど」
その瞬間、ゾワリと背筋が粟立った。
「いやはや、行き止まりにまで誘い込めなかったのは本当に惜しかった。知ってましたか? この辺りは、人を攫うには絶好の場所なんですよ?」
エリオットの口元が三日月型に歪んだ。
これまでの温厚そうな表情が醜い嘲笑に取って代わる。
一体誰なんだ、この人は。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。改めまして私はエリオット。奴隷商人なんぞを営んでおります。商材の皆様におかれましては以降――よくよくお見知りおきを」
ドクドクと心臓が脈打ち額に嫌な汗が滲む。それはグリムが俺の体を両断した時に感じたのと同種のものだった。それは、余りにも濃厚な死の予感。
「ジャック逃げるぞ!」
「わ、分かったかな!!」
即座に体を翻すと弾かれる様に走り出す。
捕まったらその時点で奴隷にされてゲームエンド。一巻の終わりだ。
だから今はジャックに先導されるまま、ただ走る。
「しかし、残念。私が何故貴方を狙ったのか、その意図を正確に理解していないようだ」
けれど遅過ぎた。速度も、気付きも。何もかも。
全力で走っても距離は縮むばかりで――遂には遮蔽物を利用して俺の頭上を飛び越えて先回りされてしまった。
「うわわっ!?」
「ッ!?」
鋭い、容赦のない蹴りが、腹部にめり込んだ。体がくの字に折れ曲がり、腹部がじくじくと熱を帯び鈍痛を訴える。肺の中の空気を全部押し出されたのか上手く息が出来ない。
「私が貴方を狙ったのは何も【魔素】の素養の有無ばかりではありません。無知で、脆弱で、おまけに警戒心が皆無で、簡単に攫えそうだったからです。こんなものを攫わずに放っておけという方が酷というもの」
無知で、脆弱で、警戒心が皆無。
その言葉が深く重く胸に突き刺さる。……俺は初めからエリオットにとって良いカモでしかなかったのだ。
安易に提案に乗ってしまった事を後悔するがそれは最早後の祭り。それに何の意味も無い。
今は少しでも逃げるための隙を作らないと……!
「た、助けて!! 誰か!!」
恥も外聞も無く叫ぶ。
誰か助けに来てくれますように。そう願いながら。
「それで誰かが助けに来てくれると思いましたか? そう思うなら周囲をよく観察してみれば良い。そうすれば理解できるでしょう。誰も貴方を助けない事が」
言われるがまま周囲を見て、音を聞いて、そして愕然とする。
ここには、誰もいないのだと。誰も、俺達を助けてくれる都合の良い人物なんていないのだと。
遠巻きに俺達の様子を見ている人は数人見受けられる。けれど見ているだけだ。いや、見ているどころか笑みを浮かべてすらいる。それはまるで娯楽を見つけた子供の様に。これから俺達がどんな酷い目に遭うのか、その先を期待しているかのように。
「どうして……」
「ここは貧民街の路地裏。こんな事は日常茶飯事です。それとも、今回に限って助けてくれる誰かが来るとでも? だとしたら実にお目出度い脳をお持ちのようだ。都合よく助けてくれる誰か、そんなものは居ませんよ」
ガチガチという音が聞こえた。それは俺の震えが生み出した歯が細かくぶつかる音だった。
怖い。怖い。怖い。
俺はまだ願いを叶えられていないのに。折角チャンスを得る事が出来たのに。
「清人! 火の魔法を!!」
「あ、そうか……!!」
いや、悲観するにはまだ早い。俺にはあるはずなのだ。火属性の魔法の適性が。
現状を俯瞰してみろ。窮地だ。主人公だったら力に覚醒して然るべき、絶好の場面だ。序盤の見せ場としてはこれ以上無いシチュエーション。ここで覚醒しなければ、それは物語としてド三流も良いところだ。
「出ろよ。……頼むから出てくれよ、火ィッ!!」
けれど、現実って奴は、どこまでも非情だった。
「……何で、何で出ないんだよ」
いや、本当は分かっている。……ド三流なのは脚本なんかじゃない。俺自身だ。
そもそも素養はあるらしいが肝心の魔法の使い方なんて知らないのだ。知らない事は出来ない。だからこそこの結果は当然で必然だった。
それでもと一縷の望みを懸けて燃えろと願い、力む。けれど、現実は何処までも残酷だった。
俺はどこまでも無力なままだった。
「何で、何で出てくれないんだよ……ッ!!」
「なんと哀れ」
再び蹴りが腹部にめり込んだ。喉元まで酸っぱいものが込み上げてきて思わずその場でえずく。
「もし、降参するのであれば私は貴方を比較的丁重に扱う事を約束しましょう。どうです? 私は傷の少ないまま貴方を奴隷に出来て、貴方はこの場に於いてこれ以上傷付かない。それがお互いにとっての最善だと、そうは思いませんか?」
「っ!!」
その提案は、ひどく魅力的に感じられた。少なくともマイナス百をマイナス五十程度で抑えられる。それを受け入れれば少なくともこれ以上痛くはならない筈だ。
……こうなってしまった以上、俺はこの提案を呑むべきなのだろう。だってこれが現状最善の選択なのだから――
「――――嫌だ」
「今、何と?」
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