十五 未来
アキホシは今日からここで生活することに妙な感慨を抱いて、井戸の底に広がる部屋を見回した。
既に少年と少女は現世の、彼らのこれまでの人生を捨てる決意をしていた。
異様なほどに躊躇なく、人間らしい未来を描くのをやめていた。
エリカは上身を起こした。
湿気で毛先の跳ねた長髪がエリカの腕や背に纏わりつく。それを乱暴に払った。
「早く、アキホシの姉さんに元気だよって伝えてやってよ」
ぶっきらぼうで優しい声だった。
アキホシは先程の鱗の記憶を思い出す。
アキホシの姉の”大切なもの”は――。
気恥ずかしさを紛らわすように「へいへい」とおどけて、アキホシは白蛇の脱皮後の皮に向かって――白蛇の向こうで聞いているはずのその人に向かって話しかけた。
「……姉さん?」
姉の声が答えた。
『アキホシ!? ね今どこ!? 警察に通報したのよ。そう! あの、エリカちゃんもいないの。それで大騒ぎになっててっ……』
「エリカもこっちにいるよ。無事だからさ、安心、してよ」
照れ臭さに濁したくなるのを懸命にねじ伏せて、言葉に詰まりながらも言い切った。
エリカがにやにやしてアキホシの脇腹をつつく。
『帰って、来ないの?』
何か察してしまったらしい。
姉の声に寂しさが滲んでいた。
それには答えず、エリカに代わった。
「アキホシの姉さん、何かあったら白蛇を呼んで。守り神だから。絶対迎えに行くからさ」
エリカの冗談めかした、晴れやかな声には信じたくなる魔力があった。
『そう……そっかぁ……じゃあ二人とも幸せでいてね。ずっと私に、二人は元気で暮らしてるって、信じさせてね』
そうして、姉との交信は切れた。
エリカは右手に握りこんでいた口紅を、アキホシに手渡した。
「……アキホシがこれ盗んだのはさ大人への腹いせ?」
「いや」
アキホシは受け取った口紅を、慣れない手つきでエリカの唇に塗った。
闇の中ではせっかくの口紅もほとんど見えなかった。
エリカは満足感に温かくなった胸をそっと押さえた。
アキホシは罪を告白するように、細々と息を吐いた。
「――エリカは本当は馬鹿にされるの嫌だろ?
それで、ええと……、エリカの父さんとか学校で虐めてくる奴とかにさあ、エリカ殴られて唇切ると『じゃーん口紅~』って言って、血を塗って皆に見せるじゃん?
空地に来る子たちとか皆それ見て笑ってた。俺はずっと納得がいかなかった」
「そんで私のジョークをアキホシは本当にしようとしたんだ?」
「勝手なんだけどさ、この口紅見た時どうしても今これをエリカに渡さなきゃって、手が動いてた」
アキホシは最後は一切悪びれずに告げた。
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