第9話・風呂敷でお裾分け
東海堂さんの後に続いて、僕となっちゃんは歩いて行く。ちなみに、もう腕は掴まれていない。
悪い予感こそするものの、冷静に考えれば、東海堂さんの家にお邪魔して、晩御飯のお裾分けをもらうだなんて、ご褒美以外の何物でもない。
歩いているうちにだんだんウキウキした気分になってきた。
「なっちゃんは東海堂さんの家に行った事あるの?」
「んーん、ないよー」
東海堂さんが先導しているのは、だからか。迷いなく凛と進む彼女の足取りについていくと、いつの間にか景色は、高級住宅街のそれになっていた。
「さあ、ここですよ」
と東海堂さんが立ち止まったのは、どこもかしこもご立派に見える邸宅方の中でも、一際大きな屋敷だった。
屋敷と言う形容が似合う家を、まじかに見るのは初めてだった。おまけに、それが同級生の家。
必然、ポカンと口を開いてしまう。
洋風建築のその家は、背の高い門に囲まれている。庭は広く、その奥に左右対称の建物が見える。
煉瓦造りのその家は、僕の実家の3倍、いや5倍はありそうだ。庭まで含めるととんでもないことになりそうだった。
「あ、あの、東海堂さんのお家ってお金持ちナンデスネ」
びっくりしてアホな感想しか言えなかった。
そんな僕をジトッと、小馬鹿にしたような瞳で見つめる視線が2つ。
……ん、2つ? 心優しい東海堂さんが僕をそんな目で見るはずないし……。
「うおッ」
びっくりしすぎてその場から飛び退いてしまった。いつの間にか、なっちゃんの他にもう1人、小柄な人影があった。赤毛の少女で、普通ならその赤い髪が大きな特徴となるところを、古風なメイド服を身に纏っているため、特徴しかない特殊な少女に仕上がっている。
東海堂さんが、その少女の前に歩み出て、「紗枝良(さえら)」と彼女に呼びかけた。
「わざわざ門の外で出迎えなくても良かったのに」
「いえお嬢様。出迎えるつもりはありません。なにやら侵入者の気配を感じたものですから」
そう言って、ジロリ、と僕となっちゃんに視線を向ける。明らかに敵意剥き出しの、嫌な目だった。
「大丈夫よ紗枝良。こちらはなつきちゃん。こっちは立花君。2人とも同じクラスの学友なの」
学友……。少し古風無表現だが、友達ってことだよな?
東海堂さんの言葉に、ふわふわと暖かい気持ちになる。
「そうでしたか」
対する紗枝良さんは、納得したようなセリフを口にしたものの、全く表情が変わらない。身長はなっちゃんよりは大きく、僕より少し低いくらい。細い赤色の髪を、丁寧に結い上げて、飾りにはメイドご用達のモノクロのヘッドドレス。
身に纏った衣装も文化祭で着るような生地の薄いものではなく、上質に仕立てられたまさに本物。
可愛らしい顔立ちと緑の目が相まって、お人形としか思えないような雰囲気なのに、瞳だけがただただ険しい。怖い。
「そうだ。紗枝良がいてくれてちょうど良かったわ」
と、東海堂さんがそう声をかけた一瞬だった。赤毛の少女の瞳が彼女に向かい、優しく微笑むように柔らかくなる。花が咲いたような笑顔だった。
「立花君にこの間作ったお料理をお裾分けしようと思うの。持ってきてくれる?」
「この男に、お嬢様の手料理を、ですか?」
素早く僕に視線が向かい、花は一瞬で枯れ果て、鋭い視線で睨みつけられた。
「ええ、そうなの。今日、ご両親がいらっしゃらないらしくて。ね、ちょうど良いでしょう?」
「この男に、ですか」
含みしかない口調でもう一度そう言ったものの、結局彼女は「わかりました」と言った。
東海堂さんにむけて深々と頭を下げ、門の向こうへと消えていく。
「ごめんなさい、普段はとてもいい子なんだけど、少し人見知りで」
困ったような笑顔で東海堂さんが言う。……人見知りか? あれ? 初対面でガン飛ばす人見知りなんて聞いた事ないんですけど。
ただ、まあ、東海堂さんがそう言うのならそう言うことでも構わなかった。
あくまで自然に姿勢よく立っているだけで、東海堂さんはとても凛としていて、綺麗だ。
やがて、紗枝良さんが黄色の風呂敷包みを持って帰ってきた。楚々とした動作で僕との距離を縮め、ごく近距離で風呂敷包みを手渡してくれた。
「いい気になるなよ」
僕にだけ聞こえるように、ボソリ。おまけに素早く、向う脛を蹴られた。
……今、東海堂さんには見えないように、完全に計算してやったな。
こうして、僕は弁慶の泣き所の痛みと引き換えに、東海堂さんの手料理を手に入れた。
「ただいま」
玄関の扉を開けると、エプロン姿の妹が、三つ指をついて頭を軽く下げていた。
「おかえりなさいませ、お兄さま」
少し顔を上げた妹は、恥ずかしそうな、くすぐったそうな表情でこちらを見上げている。
「うん、ただいま」
もう一度繰り返すと、柊は不思議そうな表情で僕を見上げてきょとんとした。珍しい表情の変化だ。
そうか、まあ一度目はあれだけびっくりしたんだもんな。何の反応もしないというのも、おかしなことなのか。
しかし今更慌ててもわざとらし過ぎるし……、ともやもやする僕を尻目に、立ち上がった柊はリビングへ向けて歩き始めていた。靴を脱ぎ、その後に続く。
「ところで兄さん」
背を向けたまま柊が言う。
「その風呂敷包みは一体なんですか?」
「ああこれ」
見えていないと分かりつつ、黄色の風呂敷包みをつい持ち上げてしまう。
「実は、今日両親がいなくて晩御飯を作らなきゃって話したら、同級生がお裾分けをくれたんだ」
「へえ、変わった方ですね。……女の気配を感じます」
気のせいか。
ぞくりと総毛立つほどの空気の変化を感じた。明らかに怒っている、いや、激怒していると言っても過言ではないほどの変化。
「しかも、複数の女の気配です」
確かにこの風呂敷包みには、東海堂さんはじめ、なっちゃんや紗枝良さんまで絡んできている。数まで分かるのか。
ごくりと唾を飲み込む。いやいや、なんでご飯をお裾分けしてもらってここまで怒られなきゃならないんだ。
リビングにたどり着くと、妹はそのままキッチンに向かってしまった。
「実はですね、兄さん。もう準備は半分済んでいるのです」
くるりとこちらを振り向いた妹は、いつも通りの無表情だった。
「そうなの?」
と返事をしたものの、思い出した。ちょっと寄り道して帰った今日は、一度目よりも遅い時間に帰宅している。と言うことはつまり。家の掃除や洗濯は全て済んでいて、
「ええ、後は包んで焼くだけです」
柊はどこか得意そうな表情で冷蔵庫の扉を開けて、ガラスボウルを取り出した。
やっぱり。このままじゃ、一度目と同じ結末まっしぐらではないか。
「……あれ? 兄さん、餃子好きでしたよね?」
「ああ、うん、好きだよ、ありがとう」
暗い表情を振り払い、笑顔を返す。こうなったらもう、餃子を包むしかないのだ。
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