第8話・繰り返す世界

 目を覚ますと、朝だった。

 ガチャっと扉が開いて、父さんの顔が現れる。その背後には、母さんの姿。

 僕はあんぐりと口を開けてしまった。

 案の定、父さんと母さんはあれやこれやと言いながら、今日は結婚記念日だから、のくだりを繰り返す。今年3度目の結婚記念日だ。

 ぼんやりとした頭のまま、適当に会話をなぞる。2人が出ていった後、携帯電話で日付を確認する。やはり、6月30日だった。

 階下に降りれば妹がいて、テーブルの上には母さんが用意したおにぎりがあるはずだ。

 けれど、会う気にも食べる気にもなれず、上半身だけ起こしてぼんやりとベッドの上に座っていた。

 コンコン、とノックの音。父さんと母さんはすでに出かけたはずだから、十中八九妹だろう。

「なに?」

 扉越しに話しかけてほしい、と言う意味を言外の響きに混ぜたつもりだったが扉は開かれた。

 制服姿の妹の顔が、心配そうに覗き込んでいる。

「大丈夫ですか兄さん、具合でも悪いですか……?」

 具合が悪いか、と問われて、自分の体調面に意識を向ける。頭はぼんやりしているものの、起き上がって動き出せば吹き飛んでしまう程度のものだし、どこかが痛むと言うことはない。

 ただ、3度目の6月30日を迎えて、混乱しているだけだ。僕は一体、いつになったら、どうやったら、7月1日を迎えられるんだ。

「体は大丈夫」

 嘘をつかず、なるべく元気そうに答えた。柊はやはり心配そうに、

「そうですか……? ところで兄さん、父さん達の話は聞きました? 今日は、料理とか洗濯とか風呂掃除とか家事が色々ありますから、学校が終わったら、すぐに家に帰ってきてくださいね」

 と昨日と同じ台詞を言った。わかっている、わかっているさと僕は頷いた。

「では、行ってきます。早く帰ってくる約束、忘れないでくださいね?」


 世界は僕を中心に回っているわけではない。そんなことはわかっている。とっくの昔に、とは言わないが、中学も三年生になった頃にはとうに気がついていた。

 思ったよりも最近だな、と言う落ち込みはさておき、このループが僕を中心に起こっているなどという確信はない。

 今まで世界は僕になど見向きもしてこなかったし、学校やら家やら、ごく狭い範囲が僕の世界だった。

 けれど。

 1人とぼとぼと通学路を歩きながら、他愛もない考えを続ける。

 超常現象すぎるとか、自意識過剰だとかはわかっている。それでも、考えずにはいられない。このループのトリガー、きっかけは、柊の告白なんじゃないかって。

 彼女が僕に告白した瞬間、いつも、突然目の前が真っ暗になる。そして、次の瞬間には、6月30日の朝に戻ってきている。

 なぜそうなるかなんてわからない。けれど2回とも、きっかけはそれなのだ。

 だから、もしかしたら、柊の告白さえ回避できれば、7月1日がやってくるかもしれない。今年も、僕は夏が迎えられるのかもしれない。

 根拠なんて微塵もないけれど、ようやく、非現実的すぎるこの世界に、一つの指針が見出せたような気がした。

 2回目は、世界が巻き戻ったから、気まずかったことを無くそうとした。3回目は、それだけじゃない、世界を前に進めるために、柊の告白を阻止するんだ!

 ぼんやりとした時間は終わり、僕は校門をくぐった。

 しかし、気合い十分だったのはそこまでで、僕はすぐに手詰まりを感じた。

「思い付かない……」

 そう、対応策が何一つ思い付かないのだ。いや、正確に言えばいくつかのアイディアはある。

 外食に誘うとか(尚更仲良くなってしまいそうだ)、家出するとか(どこに行く? 心配した柊が探しに飛び出して事件に巻き込まれたらどうする?)、心配されないように友達の家に泊まる(しかし僕には悲しいかな、泊めてくれそうな友人がいないのだ)とか。

 ガリガリと頭を掻きながら思案していると、誰かに下から、ポンっと肩を叩かれた。

 振り返ると、なっちゃんこと、水無月なつきちゃんが立っていた。そうか、朝、家が出る時間が少しずれるだけで、こんな出会いがあるのか。

 彼女は、「おはよう、椿くん」と、屈託のない笑顔で言った。

「あ。おはよう、なっちゃん」

 普段なら、それでおしまいか、他愛のない会話を続けるのだが、今日のなっちゃんは僕の顔を、下からジィッと見つめていた。

「な、なに?」

「んーん、そっちこそどうしたの? 何かお悩み?」

 見下げるほどの小さな背丈。肩口で切り揃えらたおかっぱ頭と、小さな顔に大きな瞳。小学生と見紛えるほどの少女だけれど、なっちゃんはすごく頭が良い。

 何もかも見透かしたような黒い瞳に見つめられると、ウッと喉が詰まった。

「ナヤミナンテナイヨ」

 なっちゃんはこれみよがしに呆れたようなため息をついて、

「いやいや、あからさま過ぎでしょ。それとも逆に、聞いてくれっていうアピール?」

 確かに、そうなのかもしれない。

 昨日からずっと1人で考え続けて、僕は誰かに話を聞いて欲しかったのかもしれない。

「ええと、これは親戚の話なんだけど」

「うんうん」

 気がついたら、僕は堰を切ったように話していた。もちろん、同じ日がループしているなんて非科学的なことは言わない、言えない。

 この頭がいい子に万が一にも言った日には、神経が狂った証拠をかき集められ、然るべき医療機関へと僕の身柄は運ばれるだろう。

 だから、一つ屋根の下の身内から好意を寄せられて困っている、今日はその子と2人きりだから特に困っているという大枠で、話し終えた。

「と言うわけで、今日、告白されそうな予感がしていて。どうしたら良いかな」

「どうしたら良いかなと言われましても……。とりあえず、告白を受けるのは絶対なし?」

「なしだよ! 2親等だし!」

「はぁ〜……なるほど、それは気まずいね」

 珍しく、なっちゃんは苦虫を噛み潰したような顔をした。そうしていると、彼女の知的な面が薄れて、ますます子供っぽくなるようだった。

 そのまま2人並んで教室へと向かう。今日もまた、昨日と一昨日と、全く同じ朝の会、全く同じ授業が繰り返される。

 今日の授業だけで構成されたテストがあれば、100点だって取れそうだ。

 そしてそのまま、放課後になった。何一ついいアイディアなんて浮かばないまま。このままでは、僕を待っているのはきっと、1回目と同じ結末なのだろう。

 もはや3度目となり、手慣れてしまった今日の帰り支度。

 必要なものをリュックに入れていく。

「立花君」

 凛とした鈴のような声が降ってきた。落ち着いて顔を上げると、やはり、東海堂凛子さんが傍に立っていた。

 そうか、今回は1度目の6月30日と同じように、遊びに誘ってくれるのか。さて、いかにさりげなく、スマートに断るか。いやいっそ、一緒に遊びに行ってしまおうか。

 きっと、家に帰れば2度目と同じように夜中に部屋にやってきた妹に告白されるのだろうけれど。

 そんなふうにモヤモヤ考えていた僕の思考は、次に続いた東海堂さんの言葉で吹っ飛ばされた。

「今日は私の家に寄って行かれるんですね?」

「んんん!??」

 さも当然、さも当たり前のようにさらりと言われたが、何の話だ⁉︎

 混乱する僕の顔を、キョトンとした顔で見つめる東海堂さん。

「待て待て待て何の話だ⁉︎」

 そんな僕らの間に、有本が割り込んで来る。今にも胸ぐらを掴みかからんばかりの気迫だが、あいにく、僕は何も分からない。

 事態の収拾がつかなくなりそうな雰囲気。

 その一歩手前で、リュックを背負った小柄な少女が現れた。

「放課後、凛子ちゃんの家に寄って、椿くんが夕ご飯のお裾分けをもらうというお話ですよ。あたしが通しておきました」

 エアメガネのように顔の横で手を動かして、有能な秘書のような口調で言う。

「まあ椿君本人にはタイミングが合わず? お伝えできていなかったんですけどね」

 嘘だ、絶対嘘だ。

 狼狽する僕を見てどこかで笑っていたいに違いない。

「いやいやいや、なんでそんな話を?」

「んー……まあまあ、騙されたと思って」

 にこにこと、可愛らしいけれど絶対裏がある悪魔のような表情を浮かべている。

 え、何、怖い。

 怖いといえばもう1人。

 僕はちらりと有本の表情を盗み見る。この金髪阿呆、僕が東海堂さんの家に行く、なんて話をまとめてきたら、絶対になっちゃんに噛み付いてくはずなのに、その気配がない。

 どころか、青白い顔をして、口元を手で押さえている。

 これは不気味だ、不気味すぎる。こいつが騒がしく、なっちゃんに文句を言ったり、俺も家に行く、と言わないわけがないはずなのに。

「あの……なっちゃん、いや、なつきさん」

「ん? 何?」

「僕は用事があるので、家に早く帰らなければならないのですよ」

 なっちゃんは悪魔の笑顔でニコニコしたまま、僕の腕をとった。

 そうして、何が何やらわからないまま、彼女に引きづられるようにして学校をあとにした。

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