第7話・どきどき

 柊が中心に、僕は指導を受けるかのように家事が終わった。

「兄さん、服がよれるので、洗濯バサミを外してから服をとってください」

「兄さん、Yシャツの畳かたはこうです。シワになると父さんが怒りますよ」

「兄さん、掃除機はこの順にかけていくと効率が良いですよ」

 と言った感じだ。

 正直言われた時はモヤッとするが、実際に言われた通りにやってみると上手くいくし、柊が誉めてくれるので、結果的に悪い気はしなかった。

 家事は済み、夕食の時間になった。

 僕が買ってきたお惣菜を、柊が温め直し、皿に盛り付けてくれた。皿に乗せられるとパックに入っていた時よりも数段美味しそうに見えた。

 コロッケ、唐揚げ、ポテトサラダに、ちぎったレタスも添えられている。

 ご飯を各々よそい、飲み物も準備してテーブルに着く。2人手を合わせて、食事を始めた。

 割と美味しいですね、と柊が一口食べていった。確かに、割と美味しい。けれどそこから会話は弾まず、お互い黙々とご飯をつつく時間が続く。

 盛り上がりのないまま食べ終えて、ご馳走様と手を合わせた。うんうん、餃子作り阻止作戦は、結構上手く行ったような気がする。

 2人で皿洗いをしたが、洗い物は少なく、すぐに終わった。次は風呂だ。

「柊、先に風呂に入っておいでよ。あとの風呂洗いは僕がやるからさ」

「いいんですか、兄さん? 兄さんがやると翌日のぬめりが気になるということになりませんか? 私がやっても全然いいんですよ、お風呂洗い大好きですから」

「大丈夫だって。気をつけるから。ほら、行っておいで」

 柊は風呂場へと向かっていった。

 ソファに寝転がり、テレビのスイッチを入れる。スマホを適当にいじりながら、友人のSNSを眺める。

 やはり、昨日と同じだった。コロッケと小さな手が映っており、友人と商店街をぶらぶらした、という投稿内容。すでに確信しているとはいえ、改めて状況を確認すると、背筋が凍りつくような怖さがある。

「にいさーーん!」

 驚いて飛び起きる。

「どうした⁉︎」

 と声をかけてから、昨日の出来事を思い出す。慌てず騒がず。

 お風呂場へといき、扉は開けずに、扉越しに声を掛ける。

「おーい柊、どうした?」

「兄さん、シャンプーが切れてしまいました……。取ってください」

 やはり、昨日と同じ言葉だった。

「……シャンプーなら切れかかっていたから詰め替えておいたよ」

「ええッ!!!」

 先ほどの、にいさーーん! よりもよほど衝撃的な声だった。

「嘘。あ、ほんとだ。え、兄さんが入れてくれたんですか? 本当に……?」

 事実を確認した後だと言うのに、あくまで疑うような柊の言葉。

 僕って、そんなに気が使えない奴だと思われていたのか……。

「じゃあ帰るぞ」

「え、ええ。すみません……」

 どこかしょんぼりとした印象の柊の言葉を背に、僕はソファに戻った。しばらくすると、風呂から上がった柊が出てきて、昨日と同じパジャマを着ていた。

「でました」

「ん」

 入れ替わりで風呂に向かう。湯船に浸かると、自然と笑みが溢れてきた。

「ふっふっふっふ」

 順調順調、ここまでひどく順調だ。何事もなく、ごくごく普通の兄妹らしい夜を送れている。

 風呂から上がり、掃除を済ませ、リビングを避けてさっと自室に上がった。少し薄情な気がしたが、不自然ではないはずだ。少しだけのぞいたリビングでは、テレビの前に座り込む柊の背中が見えた気がしたが、気のせいということにしておこう。

 罪悪感が胸をよぎるが、普段僕たちはゲームなんかしないし、あのゲームをすると結局、同じことの繰り返しになるかもしれない。

 椿のマークがつけられた赤いプレートの部屋を開ける。もう歯磨きも済ませていた。ゴロンとベッドに横になると、まだ早い時間のはずなのに、うとうとと眠気がやってきた。

 今日一日、考え事をしたり、気を張っていたり、慣れないことだらけだったせいだろう。

 ぼんやりと、夢とうつつの境を平均台の上のようにふらふらと歩く。こんこんとノックの音がしたのは現実なのか夢なのか。

 部屋の扉が開かれたという意識もなく、いつの間にか人の気配がして、うつつの中なんとか瞼を持ち上げれば、そこに見慣れた、けれど見慣れない少女がいた。

 僕を見下ろすその少女の顔は、なんだか泣き出しそうに見えた。寂しそうに見えた。苦しそうに見えた。儚げな印象の美しい少女だった。

 その少女の顔の輪郭が、次第にはっきりと結ばれて、僕はそれが、僕の妹であることに気がついた。

「にいさん」

 と、聞き慣れた声が、聞き慣れない甘ったるい声を出す。

 返事はできなかった。相手は、僕が起きていることにも、気がついてなさそうだった。

 僕はもっと瞼を開けようとした。けれど動かなかった。いや、瞼だけではない、指先一つピクリとも動かず、僕はこれが、生まれて初めての金縛りであることを悟った。

 柊の指先が、頬に触れる。

 暖かさはなく、冷たい指だった。どこか震えも感じた。

 くにくにと、頬の感触を楽しむかのように、指先が動く。あいにく、僕は何も感じられなかった。自分の神経が鋼鉄になってしまったかのようだ。

 やがて、その動きが止まり、柊が息を飲んで僕を見つめた。そのまま、柊の顔が僕に近づいてきて、僕たちの唇が、ほんの一瞬だけ触れ合う。

 すぐに柊の顔が離れていく。その時、彼女と目があった。ようやく、瞼を開くことが出来たのだ。

 彼女は瞬間、沸騰したように表情が変わった。暗闇の中でも、彼女の頬が熱く、赤くなっているであろうことがわかった。

「あの、兄さん


「私、兄さんのことが大好きです」


 突然、目の前が真っ暗になった。

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