第6話・立川椿の作戦

 妹の告白を回避するべく、学校を休もうかと考えたが、行くことにした。昨日の最後の授業は美術で、模写の初回だったので、これを休んでも来週挽回できると考えたからだ。

 やはり、昨日と同じように一日中が過ぎていく。友人とのあいさつ、会話、途中国語の授業で指名されて、昨日は答えられなかった問題をすらすら答えたら、「どうしたんだ立花」と先生に絶句されたのはご愛嬌だ。

 そして5限目の終わり、予定通り早帰りを決めるべく、リュックに荷物を入れる。ええと、教科書は全部置きっぱなしで良くて……。

「あれ、立花君?」

 凛とした声にびっくりして顔を上げると、東海堂さんが立っていた。手には美術の教科書とスケッチブックとペンケースを抱えている。

「どうしたんですか? 次の授業は美術室ですよ?」

 ここまで順調に昨日と同じように過ごして来たが、流石に昨日とは違う言葉だった。

 放課後、東海堂さんと会話した事実が消えてしまったことを、残念に思っていたので、ここで声をかけてくれるのは素直に嬉しい。

「ええと、実は少し気分がすぐれないくて、早退しようかと……。あ、先生が何か言ってきたら、伝えてくれる?」

「それは構いませんが……。具合が悪いのですか? 大丈夫ですか?」

 綺麗な顔を、心底心配そうに歪めて、東海堂さんが僕の顔を覗き込んでくる。

 その包み込むような優しさに、一瞬、何もかも吐き出してしまいたい気分になる。

 実は昨日妹に告白されて! 気まずいなぁと思っていたら、翌朝になったらリセットされていて、今日が昨日になっていて、ほら、漫画とかアニメによくあるタイムループ? どうやら、あれになっているみたいなんだ!

 ……そんなことを言ったら今後、確実に頭がイカれた人扱いをされてしまう。

 僕は空元気で笑顔を浮かべて「ちょっと頭痛が」と適当な言い訳をした。

 なるほど、というように神妙な顔で東海堂さんはうなづいて、お大事にと言い残して去っていった。なっちゃんと並んで、一緒に美術室に向かうらしい。

 クラスメイトの大部分が美術室へと向かう中、リュックを背負い、下駄箱へと向かう。

 妹の告白を繰り返さないためにはどうすれば良いか。まず僕が考えたのは、餃子作りの阻止だった。

 あの餃子作りによって、なんとなく楽しい雰囲気になり、妹のゲームの誘いにもその流れで乗ってしまったところがある。

 あのゲームさえなければ告白には至らないのだから、その前段階として楽しい雰囲気を潰しておくことは有効だろうと考えたのだ。

 学生服のままスーパーに行くのは悪目立ちをするから、一旦、僕は帰宅した。中学校の妹もまだ帰宅はしていなかった。

 自室に荷物を下ろし、適当なTシャツとズボンに着替える。階下に降り、念のためと冷蔵庫を開ければ、中身はほとんど空だった。お出かけに合わせて両親が調整したのだろう。そこに餃子のタネの姿がないことを確認し、安心する。

 妹より早く帰ることが絶対条件なので、自転車で向かうことにした。全力でペダルを漕ぎ、徒歩10分程度のスーパーに4分で到着。自転車置き場に急いで停めて、スーパーに滑り込んだ。

 ……さて、何を買えばいいのだろう。

 1人で夕ご飯を済ませるときに使うものといえば、インスタント食品だ。レトルトのカレーや袋麺なんか定番で、適当にささっと済ませてしまえる。

 だが、それらを用意したところで餃子を阻止できるだろうか?

 というのも、それらのストック品は常に家に置いてあるので、昨日の段階でもそれらはあったと考えるのが正解だ。だから柊は、インスタント食品があることはわかった上で、餃子を用意したことになる。

 つまり、今ここでインスタント食品を買い足しても、日持ちがするからとストック置き場に行きになる可能性は高い。

 同様の理由で、冷凍食品もアウトかもしれない。

 と、なれば、僕が目指すべき売り場は一つ! お惣菜売り場だ。お惣菜なら日持ちはせず、買ってきたとあっては今日中に食べ切ってしまおうという流れになるはずだ。

 自分の賢さに計り知れない充足感を覚えつつ、売り場の奥に進む。

 消費期限が今日と書いてあるものを重点的に、コロッケや唐揚げなどの揚げ物をチョイス。流石にサラダの一つがあった方が良いかと思い、ポテトサラダもかごに入れる。お会計は1000円ぴったりという、ちょっとしたハピネスを味わって、スーパーをあとにする。

 クーラーの涼しさから、初夏の暑さへ。生暖かい風を感じながら自転車を走らせて、愛すべき我が家へと急ぐ。

 鍵を開けて玄関のドアノブに手をかけたタイミングで、「兄さん?」と声がした。振り返れば、制服姿の柊が立っている。手には学生鞄しかない。良かった。どうやら買い物はまだのようだ。

「あ、おかえり」

「兄さんも、お帰りなさい。……今日は随分と早かったんですね?」

「ああうん、たまたま学校が早く終わったからね!」

「……一度帰って、着替える余裕もあったようですが」

 柊が首を傾げると、長い黒髪がサラサラと動いた。どこか不審そうな様子だ。

 確かに、たまたま早く学校が終わるなんてなかなかないもんな……。先生の急用とかあっても、自習になるだけだし。

 しかし、一度言ってしまった言い訳を引っ込めれば、ますます不信感を募らせるだけだろう。

 玄関の扉を開けて、入ってというように柊をうながす。彼女に続いて僕も家に上がった。2人並んでリビングに入る。

「それで兄さん、何を買ってきてたんですか?」

 ビニール袋から取り出したお惣菜をテーブルの上に並べていく。

 それらのお惣菜を見つめるにつれ、柊は唇をわずかに尖らせた。表情には相変わらず出ていないが、不満そうだ。

「ほ、ほら、ちゃんとサラダも買ってきたんだよ!」

「ポテトサラダはサラダじゃありません」

 厳しいトーンで告げられた。え? ポテトサラダってサラダじゃないの……? サラダってはっきり書いてあるじゃん、自分で言ってるじゃん……。

 柊はどこか不満そうな顔のまま、「これでは作戦が……」とぼそりと言った。

「作戦?」

 尋ね返すと、珍しくあわてた様子で、「な、なんでもありません!」と否定する。一体なんなんだ。

「まあとりあえず、買い出しありがとうございます。冷蔵庫に入れておいてくださいね」

 そそくさと言い残し、着替えるためだろう、リビングを出ていった。言われた通り、買ったものを冷蔵庫に詰め込んだ後、僕はシャンプーのストックを手に取り、風呂場に向かった。

 靴下を脱ぎ、シャンプーのボトルを手に取ると、思ったより重量があった。蓋を開けてみると、案の定、シャンプーは確かに減っているが、完全に使えない、というほどではない。

 柊の髪は長いから、たくさんのシャンプーが必要なのだろうか? 詰め替え用シャンプーの袋を開けて、溢さないように中身を移し替えていく。

 このシャンプーのせいで、なんだかんだと変に妹を意識してしまう時間が生まれたのだ。あの時間は、僕にとっては消えないけれど、もう一度発生してしまう事態は避けたかった。

 詰め替えを終えて、リビングに戻ると、ちょうど制服にエプロン姿となった柊が降りてきていた。

 ……そうか、この流れも繰り返すのか。

「これから家事をするんだろ? 制服汚れたら困るだろうから、着替えて来いよ」

「兄さんが、気遣い……? 何だか、他の女の匂いがします」

 柊は、どこか不審そうな眼差しをこちらに向けてきた。

「まあ良いです。確かに兄さんの言うことにしては一理ありますね。着替えてきます」

「他所ゆきのワンピースの上にエプロンを着るのも禁止だぞ。汚れても良い服にしろよ」

「な、なんなんですかそのピンポイントの指定……」

 微かに驚いた顔を浮かべて、柊は再びリビングを出ていった。

 これで餃子作りのイベントと、お風呂場イベントが阻止できたはずだ。ソファに転がり、一息つく。テレビを見ながらぼんやりしていると、着替え終えた柊がやってきた。

 釘をさした成果か、柊の服装はまともだった。シンプルなハーフパンツとTシャツ姿。夏らしく、細長い手足と白い素肌が眩しい。

 本当に汚れても良い服に着替えてきたからだろう、エプロンは身につけていなかった。

 ずんずんこちらに近づいていくると、ソファの背もたれに手をおいて、僕に間接的に覆いかぶさるような姿勢になる。

 いや、なんでそんな体勢に?

「兄さん、何をだらっとしているのですか。お惣菜で料理は済んだとはいえ、まだまだ家事はたくさんありますよ?」

 ソファに転がっていた僕の視線は、当然上にいる柊を見上げる形になった。普段はあまり意識されない、小さな胸の膨らみが、薄いTシャツ越しに伝わってきてしまう。

 彼女にぶつからないように、慌てて転げ落ちるようにソファから逃げ出した。

 そんな様子の僕を、柊がどこか不思議そうに見つめる。

「ええと、次は何をすれば良いんだ?」

 少しうわずった声で、なんとか問いかける。

 柊はどこか嬉しそうに言う。

「掃除と洗濯物の取り込みです。さあさあ兄さん、急ぎますよ」

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