影
このアパートへは越してきたばかり。引っ越しの段ボールの中で生活をしている。開封はしたいが、仕事から帰ってきてからはどうにもやる気がしない。次の休みにでもゆっくりやろう。
ただ、今日こそはやろうと思ったことがある。ベッドできちんと寝ることだ。引っ越して来た当日はぐったりしてソファーで寝た。翌日は仕事で、残業があり帰ってきてソファーで寝てしまった。今日は定時に上がれたから、早く帰って来れた。ベッドの上にある荷物を他の場所に移動させ、寝るスペースを確保。シャワーを浴びてからベッドの上で大の字になった。あぁ、やはり気持ちいい。このまま寝てしまおう。部屋の電気を消し、そのまま眠りについた。
翌朝、スマホのアラームで目を覚ます。あぁ、久しぶりにしっかり寝た感じがした。眠い目を擦ると、何かが顔に付いてる。毛だ。ふっと払い、ベッドから起き上がり、朝食を食べたり出かける支度をした。
その夜も定時に上がれたので、まっすぐ家に帰ってきた。前の日のように、シャワーを浴び、ベッドの上で大の字になって眠る。体が疲れているので、すぐに寝れるのである。翌朝、スマホのアラーム目覚め、眠い目を擦ると、何かが顔にまとわりついている。毛だ。そういえば昨日の朝も同じ事があったなと思った。次の休み、ちゃんと掃除しないとなと思い、支度を始めた。
その夜は残業になり、遅い時間に帰ってきた。色々と面倒くさく、着替えて歯を磨きベッドですぐ寝てしまった。スマホのアラームを無意識に止めてしまったのか、少し寝坊をしてしまった。慌てて飛び起き支度をしようとしたところ、顔に何かがまとわりついていた。毛だ。なんだ、毎朝だな。今はそんなこと構ってられない。急いで支度しなければ。慌てて家を飛び出しだした。
その日はいつもに増して仕事が多く、かなり遅い時間に帰宅した。明日は休みだし、目覚まし無く起きて引っ越しの片付けをしよう。もう思い着替えもままならない状況でベッドに潜り込んだ。
夜中、ふと目を覚ます。横向きで寝ていたが、後ろ側、なんか動いてるような。枕が重みで沈んでる気がする。そして耳元にすぅ~っと空気が流れた。ただ眠さが強く、特に気にせずまた眠りついた。
翌朝、枕に顔を押しつけた状態で目が覚めた。ん?何やってるんだ。なんでこんな格好で寝てるんだろうと思ったと同時に、枕カバーの感触とは違う物を顔に感じた。枕から顔を上げて、うわぁ!!と大声を出してしまった。
枕に大量の長い髪の毛が付いている。数本なんて物では無い、つかみ取れるほどの量である。自身の髪の毛でもないし、この部屋に女性がいるわけでも無い。何でこんな状況が起きているのかまったく理解が出来ない。
ただ、掃除をしなければそこでは寝れない。ビニール袋を持ってきて、枕カバーとまとわりついている髪の毛を捨てた。気持ちが悪い以外言い表す言葉が無い。ベッドの上を綺麗にして、新しい枕カバーを付けた。窓を開け外の空気を入れながら、ぼーっとしてしまった。何もやる気が起きない。そうだ。引っ越しの挨拶に行かなきゃいけないんだ。時計を見ると、午前中もかなり時間が回っているので、問題ないだろうおと、部屋を出た。左の部屋に行くと、少し年配の女性が出てきた。「隣に越してきた者です。ご挨拶に」と挨拶をした。すると女性が「ご丁寧にどうも。ここ最近引っ越して来たらすぐ越される方が多くてね。挨拶する前にいなくなっちゃうんですよ」と話してきた。「そうなんですか?そんなすぐ引っ越す予定は無いですから、どうぞよろしくお願いします」と返した。そして何の気なしに「前住んでた方は、女性ですか?」と尋ねてみると「いやいや、みんな男の人ですよ。最初、一人で越し越してくるんだけど、彼女が出来るのかしらね。女性の楽しそうな声がすることがあるのよ。そうすると、すぐ引っ越すのよね。同棲するにはこの部屋じゃ狭いからねぇ」と返してきた。再度挨拶をし、右の部屋に行く。同年代ぐらいの男性が出てきた。隣に越してきた者です。ご挨拶に」と挨拶をする。「自分も普段は仕事でいないですが、宜しくお願いします」と返してくれた。その男性は続けて「あの、そちらのお部屋って、会社の寮とかなんですか?」と聞いてきた。何でそんな質問なんだ?と思いながら、そういう部屋では無い事を伝える。「そうなんですね。みなさん越してきたと思うと、引っ越しちゃうので仕事の関係ですぐ越しちゃうのかと思ってました」と言ってきた。とても気になってきたのでその男性に質問をした。「あの、声とか音とか聞こえたりしますか?」と。すると「あぁ、このアパート、ちょっと壁が薄いんですよね。女性の笑い声とかは聞こえるときありますね。越してきてこんなこと言っちゃいけないですけど、前住んでた方の彼女の笑い声、夜は聞こえてましたね」あぁ、そうだったんですか返し、改めて挨拶をし男性は部屋に入っていった。
もう、自分の家の扉を開けることが出来なくなってしまった。ドアを開けたまま、必要最低限の物をキャリーケースに詰めた。開けていた窓を閉めて、飛び出すように玄関を出た。振り返ってドアを閉めるとき、窓のところに長い髪をした女性の影が軽く手を振っていた。影ではあったが、笑みも見えた気がする。
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