第8話 ヤールを駆ける者

 その日の狩りはまるで羊飼いが羊たちを綺麗に追い立てるようで、近頃では稀に見る成功を収めた。



 ララックたちはまるで調教された動物のように勢子よく従い、仲間の誰もが想像した以上に綺麗にヤールの大地を駆け回って狩人たちの手に落ちた。




 ヤール平原に点在する森林地帯。

 そこがララックの主な生息地になる。




 トルマはそこで、俗に行商狩――キャラバンハントとも呼ばれる遠征狩猟を行うパーティの一員として働いている。


 パーティとは言っても片田舎のことで、正式な申請をしているわけでもない、言わば村の男集の出合いだ。


 そしてこのララックの行商狩りが村の主な資金源でもある。



 この行商狩は通常一ヶ月ほどをかけて数カ所の水場や森林地帯をめぐる。

 素材を剥ぎ、肉を燻製しながらライラックを狩り、旅を続けるというものだ。


 今回はまだ遠征行程の半分ほどだが、今日の狩りですでに荷車は満載となっていた。




「にしても物凄い大漁だな」

「ああ、普通なら全工程狩っても満載になるなんてのは稀だが」

「勢子はいいやな、仕留める方は弓がなくなるんじゃねぇかってたまったもんじゃなかったぜ」



 獲物を積み込み、野営の焚き火を囲みながら男たちが陽気な声を上げる。




「まあ獲物は多いにこしたことはねえさ。これなら随分税の足しになるだろ」

「違いねえ。いくら狩ってもお上の腹の段数を増やす役にしか立たねえのは癪だがな」

「そう言うなハンザ、いくらかは俺たちの足しにもなるさ。こればっかりはどうにもならんしな」



 リーダーのバラックが武器でもあるトマホークで切り分けた肉を太い串に挿して豪快に直火で炙ると、辺りに油の焦げる香ばしい匂いが漂う。




「そうさ、早く家に帰れるってだけでもめっもんだろ?なあ、トルマ?」

「ああ、そうか、お前んとこは新婚だったな。いいのか、こんなとこでララックの尻なんか追い回してて?他にヤることがあるんじゃないのか?ん?」

「いいも何もこれが俺の仕事だ!」



 話を振られたトルマが赤くなって言い返す。




「何むくれてんだ?」

「いや、明日から帰途だ早くテーファちゃんのとこに帰りたくて興奮してんだろ」

「くそッ、うちのカミさんもあと10年、いや、15年若ければなぁ」

「お前んとこは何年若くても美人のオークみたいなもんだろ」

「いや、美人のオークってのは意外とわるくねえぜ?」

「お前のシュミは聞いてねぇんだよ!ウチのカミさんはオーク以下だってか?上等だ、表出やがれ!」

「野営してんのに表も裏もねえよ、ガハハハ!」

「「ハハハハハッ!」」



 酒の飲めないトルマは一体何が面白いのかと思いがならも、やはりその雰囲気の中で食べるララックの肉は美味かった。


 今日の狩で積みきれない量になったため、それを肴に果実酒の酒盛りをと言うことになったのだ。


 風よけの岸壁に揺らめく焚き火を囲みながら、前祝いとばかりにその日は遅くまで酒盛りが続いた。




 この仕事について一ヶ月。


 実際の狩りはこれが初めてだ。



 粗野な男たちの輪にはまだうまく混ざれないが、二週間も共にいればそんな男たちと過ごすこういう時間は悪くないように思えてくるのだから不思議なものだ。




 食べきれない分のララックはパデルの餌にする。


 世話係を任されているトルマは宴のあと、狩の功労者とも言える彼らにもその分け前を配った。


 これで明日からの行程でもパデルは元気に走ってくれることだろう。



 この気性の大人しい中型パデルが行商狩の要とも言える存在だ。


 ゾウほどの大きさで、体型は甲羅を取ったカメのようなのだが、馬よりも足が速く屈強だ。力も強いため市外での荷運びや行商に重宝されている。


 肉を好むが、基本的には雑食で、何もなければ雑草だけでも生きていける逞しい生き物でもある。



 トルマたちがつれているのは中型のヤーンダッグという種類で、大きさでは全部で5種類確認されているパデルの中で2番目に大きい。唯一人工的に交配された種であり、単にデミパデルと呼ばれることも多い。



 今回の狩りでは5匹のパデルを供に、3頭立て1台と1頭立て2台の計3台の荷車を連れていた。





 翌日、期待した通り行程は驚くほど順調だった。



「これなら随分早く街に着きそうだな」



 通常ライラックの肉は干し肉か燻製にして持ち帰るが、昨日の分は生肉の状態で持ち帰ることになった。


 生と干し肉では販売価格がまるで違う。



 もちろん全くの生というわけにはいかないが、伝統の処理をして熟成状態にすることで、さらに旨味を引き出す処理をして運搬する。それでも一歩間違えれば傷んでしまう繊細な状態のためなるべく早く街で売ってしまいたいことに変わりはない。




 空は広く、暖かな風に混じって草木の匂いがする。


 トルマは荷車の後部に仰向けになり荷物の番をしながらそれとなく空を眺めていた。



 荷車は機構部と車輪のみに低位ながらも魔術的な処理を施してあるため悪路に対してもある程度の走破性がある。


 尻の痛みも普通の馬車よりいくらかマシだ。


 


 荷物番は主に下っ端の仕事で、トルマの他に2人。


 あとは見張りが2人に技術屋が1人、狩り師5人の中に副長のハンザとリーダーのバラックも含まれる。


 行商狩りにおいては標準的な編成だ。ある程度の魔物に襲われてもなんとか切り抜けられるギリギリの構成とも言える。


 あまり人数が増えすぎると運搬できる商品が減るのでそのあたりはリーダーの方針によってメンツが増減したりするが、バラックはこのあたりの編成にすることを好むらしい。



 ヤール平原はもともと凶暴な魔物は少ないので、極力人数を減らして歩留まりをあげるのが最近の主流でもあるらしい。


 今回の狩りにおいても出くわしたのはせいぜい小さなレインドッグの群れくらいだった。



 何事もなく、行程もいつもより短縮できた。


 はじめは緊張していたトルマも、先輩の仕事を見よう見まねで手伝っている内に気がつけば帰り道という感じだ。



 そんなことを考えていた矢先のことだった。




「おおい!後方から何かくるぞ!群だ!」



 幌の上から見張りの怒鳴り声。


 トルマは素早く起き上がりあたりを伺った。砂地を走っているため砂埃がひどく、まだ荷台からでは何も見えない。



「なんの群れだ!確認できるか!?」



 バラックがすかさず怒鳴りかえす。



「ちょっと待て、今確認するからよ!」

「…おいおい……ありゃあララックの群れだぞ!」

「何?奴らそんなに俺らに狩ってほしいってか!?」

「こっちにその気はねぇってのに積極的な奴らだぜ」



 報告に他のメンバーも少し気が緩んだのか、冗談が交じる。


 トルマの視界にも遠くの黒い塊が見え始めていた。そう大きい群れでもなさそうだ。


 これが好戦的な魔獣の群れだったらかなりの脅威になるが、ララックが他の動物を追いかけるということはない。


 たまたま進路が重なっただけなのだろう。



「いつもなら願ったり叶ったりだが今は十分だ、このまま引き離せそうか?」

「いや、奴ら様子がおかしいぜ!普通群れの移動くらいであんなスピードで走ったりしねぇはずだ」

「どういうことだ?」

「俺が知るかよ!とにかく尋常な様子じゃねぇってこった!」



 トルマは荷車の前方に移動して御者台のバラックに声をかけた。



「よくあるんですか?」

「いや……お前後ろから何か見えたか?」



 トルマが見たのはまだ遠くの影だったが、その限りでは特筆すべきようなところはなかった。



「いえ、群れの規模もそう大きくはないと思います」

「普通なら仮に追いつかれたとしても向こうが進路を変えるはずだが…」

「こちらに気づいてないだけでは?」

「あるかもしれねぇが、この距離でライラックがこっちに気づいてないならその時点で普通じゃない。おおい!スピードを上げろ!全速だ!なるべく追いつかれたくねぇ!」



 即断即決。バラックはすぐさま対応を指示する。

 この能力は狩りにおいては単純な力よりも大きな意味がある。


 おかげで彼がリーダーを務めるパーティは遠征中の被害が少ないと近隣でも有名だ。



「他の二台にも伝えますか?」

「ああ、後続の二台は先行させろ、向こうのほうが速度は早い」



 バラックの指示を受けて一頭立ての二台が先行し、トルマの荷車も加速する。


 見たところおおよそ群れと同じくらいの速度になったようだ。このまま早い内に方向を変えてくれるとありがたい。


 


 しかしララックたちが進路を変えることはなかった。


 このままではマズイ。

 もう半日近く走り続けている。


 頑強なパデルたちも口元に泡を吹き始めているし、これではジリ貧だ。


 荷車を引いている以上どうしてもこちらのほうが負荷も大きい。次第にではあるが確実に距離は縮まってきている。



「頭、このままじゃまずいですぜ」



 見張りのレボノが幌の上から顔を出す。



「わかってる。だが現状ではどうにもならん。距離はあるがこの辺りは両サイドが湿地と林だ、ともかくこのエリアを抜けるまでは一本道のようなもんだ」

「というより、いっそ脇にそれて止まるのはどうですかい?興奮しているとはいえ相手はララックでしょう、こっちが進路から外れりゃ追ってくることも無いんじゃ?」



 たしかに、群れである以上すれ違いざまに多少の被害は出るかもしれないが文字通り取って食われるというわけではない。


 ただそれにはやはりライラックの様子が気になる。



「魔力にあてられているんじゃ?」

「だがレボノの言うことも一理ある…もう少し行けば沼地は終わりだ。そこであいつらを追い払おう。炸裂弾を準備しておけ。それでダメなら進行方向を変える」



 程なくして沼地側は次第にひび割れた大地になってきた。



「おい!もうギリギリだぞ!」



 砂埃で正確な距離までは分からないが、多数の蹄の音が聞き取れるほど接近しているらしい。


 距離がある間は目視できていたが、近づいたせいで砂埃に紛れてしまった。



「クソッ、もう少し余裕をみたいが距離がつかめぇねぇ!ハンザ!構わねぇ、やってくれ!!」

「おう!みんな、耳塞いでろよ!!」



 そう言うとハンザは手に持っていた球を後方へ勢い良く投げつける。



 パァンッッ!!



 一呼吸あって物凄い炸裂音がした。



「レボノ!どうだ!?」



 炸裂弾は硬い殻を弾けさせて音を鳴らすだけのありふれた魔道具だ。

 低位の魔物や野犬を追い払うのに重宝されるが殺傷能力はない。



「…大丈夫そうだ!影しか見えねぇが驚いて散り散りに逃げてくぞ!」



 しばらくしてレボノの報告どおり砂埃の両端から分散したララックが散っていくのが見えた。



「よし、もう大丈夫だな」

「結局何だったんですかね、あのララック」

「さあな。被害がなかったんだ、なんだっていいさ。パデルを休ませて――」

「待てッ!!」



 珍しくレボノの厳しい声にバラックが動きを停める。



「どうした!?」

「チッ、最悪だぜ…こういうことかよッ……!」

「オイ!どうしたレボノ!?報告しろ!」

「グリズリーバイソンだ!!ララックはあいつに追われてやがったんだ!」

「なんだと…!?」



 一瞬全員が呆然と動きを止めた。




 「グリズリーバイソンだって……?」



 それはヤール平原で出会う中では間違いなく最悪の部類の魔獣だ。


 巨大な体躯に強靭な筋肉を覆うハリガネのような体毛。太い角と鋭い牙は悪魔を思わせるほどだ。


 トルマは遠くから見たことがあるという冒険者から酒場で話しを聞いたことがあった。

 遠くから見たというそのエピソードだけで十分武勇伝となりうるレベルの魔獣だ。



 「本当に最悪だ。こんな状況じゃ何もできない…いや、仮にここが村の中だとしてもダメだ、壊滅は免れない」



 トルマは知らず両手をついて呆然と砂埃の向こうにいるという魔獣を見つめた。



「呆けてんじゃねぇ!トルマ、すぐにお前の下のライラックを後ろへ投げ捨てろ。うまく行きゃそっちに食いついてくれるかもしれねぇ…ハンザ!手伝ってやれ!」

「お、おう!もったいねぇが食われるよりマシだ!」



 最低限の解体しかしていないライラックはとても一人で動かすことはできない。トルマはハンザと協力してまずは1頭を押し出すことにした。



 最後部から蹴りだすとすぐさまライラックは視界から消えた。



「どうだ?食いついたか!?」

「だめだ、一瞬速度が落ちたがそれだけだ!」

「チクショ!ララックに興味がないってのか!?」



 さっきまで追いかけていたのは捕食のためじゃないのか。


 だとしたら一体。



「そもそもアイツは何を追ってるんだろうな?」

「どういうことだ?」

「いやだってよ、俺らもアイツの姿は見えないだろ?アイツもしかするとまだ残りのララックを追ってる気でいるんじゃないか?」

「……それなら人違いだって教えてやりゃあ諦める可能性はあるな」

「ほれよかもう一発炸裂弾を投げつけるか?」

「いや、刺激するのはまずい。ちょうどもう少し行けば下草のある地域だ。そこまでこのまま突っ切ってみよう」



 それでダメならいよいよ打つ手はないということか。



「みんな、聞いてくれ。もしそれでも奴が追ってくるようならお手上げだ。ライラックを全て廃棄して荷車も廃棄する。直接パドルに乗って逃げてくれ……すまねぇ、おめぇらが苦労して狩った肉をだが堪えてくれ」

「まてまて、そんなことはどうだっていい。それより逃げてくれってのはどういうことだ?アンタはどうすんだよ!?」



 ハンザが前のめりに問い詰める。



「この中で1番腕が立つのは俺だ、少しでも時間を稼ぐ。荷物も減らせて一石二鳥ってわけだ」



 バラックがニヤリと笑う。



「いや、笑えねえだろ!なあお前ら!?」

「……」



 誰も何を言わなかった。



「……お前らッ!!」



 ただ俯いている仲間にさらに何か言おうとするハンザの肩をバラックが有無を言わさぬ力で押さえつける。



「いいか、こう考えろ。このままじゃどうせ全滅だ。俺が少しばかり足止めしたところで変わらんだろう。それでもこうやってすこしでも確率が上がるってんなら悪い取引じゃねぇ。そうだろ?」



 確かにバラック一人でどうこうなる話ではない。

 それは間違いない。


 トルマがなにか言える状況ではなかった。リーダーがそう言うのならそれが最善なのだろう。


 トルマはただバラックを見つめた。



「なあに、俺は少しばかり人より堪え性がなくてな。行き先が決まったとありゃ誰より先に行きたくなる質なのさ」



 バラックは本気だ。



「いい目ができるようになったじゃねぇか、お前は今回が初めてだったな?トルマ、こんな形なってすまねぇと思う。なんとか生き残ってくれ」

「草地に入るぞ!」

「どうだ!?」



 レノボが後方を振り返る。



「だめだ、完全に俺たちを追ってやがる!クソッ!」

「そうか」



 バラックは静かに頷く。



「まずはララックを――」



 バラックは一瞬後ろに目をやり、言葉を切る。

 その視線を追ったトルマは思わず息を飲んだ。


 だめだ、時間がない。


 魔獣はもうすぐそこまで追いついてきている。



 あの巨大な角の突進を受ければ荷車などひとたまりもない。空中に放り出されたトルマを恐ろしい牙の覗く強靭な顎はいとも安々と引き裂くだろう。



「時間がない、荷車の連結解除にかかれ!!」



 言うが早いか、バラックは愛用のトマホークを掴むと荷台を走り抜けてグリズリーバイソンの眼前に躍り出た。



「バラック!!」



 ハンザが叫ぶ。




「お、おい!ありゃあ……何だ?」

「今度はどうした!?」

「前方から何かきます!イノシシ?いや、あの頭は熊か?……にしちゃあサイズとスピードが……」



 前方から現れた小さな熊は瞬く間に接近してくる。



「おい!ぶつかるぞ!」



 最悪のタイミングだ。小型とは言えぶつかればパドルか荷車の損傷はまぬがれない。


 あのサイズなら炸裂弾で追い払えそうだが、あの位置に投げ込めばパドルを巻き込んでしまう。




「矢だ!矢を使え!」

「無理だ、間に合わない!!」



 もうダメかと荷車にしがみついて目を閉じそうになった瞬間、熊は驚くほどの身のこなしで回避行動をとった。


 前の二台の僅かな隙間を抜け、そのままスピードを落とすことなくこちらに迫ると御者台のへりを足がかりに跳躍し、そのまま幌を超えて瞬く間に後方へ消えた。



「なッ!?」 

「ちがう!人だ!!」



 頭上すれすれを通る影にレボノが閉口し、ハンザが叫ぶ。



「おい!やめろ!!そっちは!!」



 グリズリーバイソンの正面に着地した人影は、勢いそのままに相手に突っ込みながら軽く飛び上がると、空中で身体を捻りグリズリーバイソンの下顎側面に強烈な踵を叩き込んだ。



「なんだと……ッ!!」 

「何モンだあいつ!?」

「知るか!少なくとも敵じゃねぇだろ。それよりトルマ、バラックはどうなった!?」

「わからない……でも、やられてはいないと思う…!」



 グリズリーバイソンの正面に飛び出したバラックは、身をかわしながらすれ違いざまにトマホークの一撃を敵の首のあたりに叩き込んでいた。

 その攻撃に一瞬怯んだところに、2ジルグはあろうかという巨体を揺らすほどの痛打が叩き込まれたのだ。


 トルマが見たのはそこまでだ。




 自らの攻撃の反動でバランスを崩した当のバラックは、地面を転がりながら恐ろしい勢いではるか後方に消えていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る