第1話 生贄

 ――何だこのひんやりツルツルカサカサした地面は。



 背中もひんやりして、叩くとペチペチという音がする。

 どうやら俺の体は硬質な何かの上に転がっているらしい。


 一瞬早く機能を回復した耳にはザアザアと水のぶつかるような音まで聞こえる。

 そして体を起こすと、やはり大きな水流が視界に入った。


 滝だ。

 森の中に大きな滝がある。


 どうやらここは滝壺のわきにある崖の上らしい。

 見下ろすと落下した大量の水流が轟々と音を立てる滝壺が眼下、はるか下の方に見えている。



 「おいおい、なんだってこんな危なっかしいところに……俺は、確かようやっとの思いで幻のクエストを発見して――クエストの発生を目にしたところで寝落ちしたんだったか……。いや、一体俺の部屋に何があったんだ!?」



 叫びは轟音にかき消され、思わず身震いして尻をついた体制のまま後ずさろうとすると、後ろに出した手が俺が載っていたらしい台のヘリをかすめて無様に後ろに転がってしまった。


 頭を地面にぶつけたままの状態で体を折ったなんともマヌケなポーズで前方を見ると、何やら小柄な影がザザ、と身動きするのが見える。



「……。」



「こ、こんにちは…?」



 無言の視線を前に、相変わらずの体制で笑顔を浮かべたつもりだが、どう見たってニヤけたアホ面になっていることは自分が一番わかってるんだよチクショウめ。



 下は苔むした土で覆われた地面。

 これのおかげでどうやら後頭部強打の憂き目を逃れたらしい。こんな状況も把握できていないまま再度気絶したら次に目覚められるかも怪しいものだ。生まれてこの方コレほど蘚苔類に感謝したことはない。


 今後もないことをひとしきり祈りつつ相手方の出方を待っていると、一歩前に出ている人物が何やら声を張っているようだが、どうやら知らない言語だ。



 そのまま硬直している俺。

 続けてそいつはガシャガシャと手に持った杖を振るような素振りをしつつこちらを伺っている。


 杖の上には動物の骨のような飾りがついていて、それがカランカカランカと乾いた音を立てるのだ。



 俺の見識が正しければ人間にしてはあまりに小柄で緑がかった肌をしているそいつは多分ゴブリンだ。


 見たことがある。

 もちろんフィクションの中でだが。


 杖を持っているところを見るとゴブリンメイジだろうか。

 と、これは我ながら冷静な分析。



 いや、そもそも現実世界において「あいつはゴブリンだ」などという見識が冷静である訳はないのだが、他に言いようがない。特殊メイクだとすれば狂気の出来栄えだ。


 でなければコレが噂の転生というやつだろうか。


 聞いたことがあるぞ。

 もちろんフィクションの中での話だ。


 現実世界にゴブリンがいることと、異世界に飛ばされることのどちらが現実的かというのはかなり微妙なところだ。



 そろそろ首が痛くなってきたので恐る恐る起きがってあたりを見渡す。


 先程俺がいたのは大きな葉っぱの敷かれた石の台の上で、その周りを2~30匹ほどのゴブリン(仮)が取り囲んでいる。


 自分が衆目の中心となった経験など皆無の俺からすればかなり威圧的な光景に見える。


 というかこれ、すでに絶体絶命なのでは。



 眼前のゴブリンの集団、後門の滝壺。

 いつの間にこんな場所に追い込まれたのか記憶にないが、初めからクライマックスってことなのか。



 これがゲームならゴブリンはザコキャラだ。蹴散らすのにわけはない。


 だが今の俺ははたして……。


 腹をくくるべきかどうか検討する準備をする俺。


 しかし当のゴブリン共はどういうわけか襲ってくる気配がない。



 「いや、まてよ」



 小声でつぶやき一旦状況の整理を試みる。


 確かに一見追い詰められてここに来たかのようだが、よく考えれば仮に追い詰められたとして、そんな状況で気絶などするだろうか。それにさっきまで俺は何やら台のようなものの上にいたのだ。しかもご丁寧に葉っぱまで敷かれていたではないか。



 こういう状況知っているぞ俺は。



「ギゲリエッ!」



 っと、何やら相変わらずこちらに向かって叫んでいたゴブリンがひときわ大きな声をあげた。



 「生贄!?お前今生贄って言ったな!?」



 どうやら嫌な予想は当たったらしい。

 何をどうしているとは形容しがたいが、ゴブリンは生贄のジェスチャーをしている。おそらく。


 台座まで後退しつつ何か打開策はないかと高速であたりを見渡す。


 まさしく挙動不審者だが知ったことではない。もしドッキリなら早いとこあの赤い看板を出してきてもらいたい、もうずいぶん恥をかいたぞ撮れ高は十分だろう。



 と、視界の端に何やら自然物らしからぬテクスチャのものを捉える。


 チャットウィンドウのようなものだ。

 いや、どうやらログウィンドウだ。



 「ははーん」と一転、俺は一人したり顔で腕組みする。



 「ゲームだなこれは」



 ふいに先程までの感覚が蘇ってきた。

 ゲーム画面を脳内で補完したあの感覚だ。


 我真理を得たり顔といったで一瞬思考停止するも、結局何も状況は改善されていない。


 ゲームにしたって絶体絶命には変わりない。事故死や下位モンスターとの戦闘によるデスペナほど恐ろしいものはないからだ。



 慌てて唯一の情報源ログウィンドウを確認すると、会話文のような文面が表示されている。



 「他に誰かいるのか?」



 知らないうちにパーティを結成しているという展開に一縷の望みを賭けるも玉砕。パーティーウィンドウはからだ。


 ゲームと言えどそんなに生易しくはない。むしろ大抵の場合現実よりしょっぱかったりするものだ。



 改めてよくよく文面を確認すると、どうもゴブリンの言葉が翻訳表示されていることに気がつく。


 それによると。



「”汚濁の王”の眷属様とお見受けします。生贄はこちらに用意しておりまする」



 ということらしい。


 やっぱり生贄って言ってたのか!



 ”汚濁の王”の眷属とやらが何処に居るのかとビクビクしながらあたりを見回す。


 どうやらまだその辺にはいないようだ。今俺のこと生贄にして召喚の真っ最中ということなのだろう。



 ほっとしながら再びゴブリンの方を向き直ると、全員一心にこちらを見上げている。



 「……?俺に言ってるのか、もしかして?」



 どうやら思っていたほど危機的状況ではないかもしれない。


 俺に”汚濁の王”などという知り合いはいないけど。



 どうにかしてこの事実を伝えようと会話を試みるも伝わるはずもない。



 「うーむ、どうすれば……」



 意思の疎通が一方的というのは結構もどかしいものだ。


 しばらく身振りを交えて説明を試みるも、こうも一挙手一投足にビクビクされては断念せざるを得ない。


 完全に俺のことを生贄を取りに来た眷属とやらと勘違いしているな。

 俺はいたって無害な小市民なんだが。



 「そういえば、ログがあるならチャットウィンドウもあるんじゃないのか?」



 物は試しと視界にARされたウィンドウをあちこちタッチしてみる。


 そうこうする内にポーンと音を立てて新たなウィンドウが出現した。

 というかこれは俺のやっていたゲームの画面に酷似しているということにも遅まきながら気がついた。



 インターフェイスを見てみると想像通りのものが。


 どうやらイチイチ手を動かしてタッチしなくても脳内で操作できるらしいテキストボックスに、脳内で内容を入力して音声再生機能を選択。


 これでどうだ。



「はじめまして、俺は直衛という人間だ」



 自分自身にアテレコしてるみたいな妙な気分だが、改めて先程失敗した愛想笑いを試みる。


 


 いきなり喋ったことに驚いたか魔物の群れがザワつく。

 どうやら成功したようだ。


 ちなみに実際の発音では「ゲギギゴッ、ゴッゲギギギャゲギ」という鳴き声が自分の口元から発せられて、わりと気持ちが悪い。



「人間…ですか?しかしなんと言いますか、我々の知る人間とはあまりにもその」



 ゴブリンたちのグギグギ語をチャットウィンドウから翻訳して理解する。



 しかしまさかそこを疑われるとは。


 特別奇抜な格好をしているわけでもないし、男にしては多少髪は長いが種族を疑われるほどの要因とは思えない。あるいはむしろコイツラの言うの人間というのは俺の知っているそれとは異なるのだろうか。



「俺っておかしいの?」


「いえ、確かに人間のような体躯をされておいでなのですが……この辺りで見かけることはないもので。それに衣服の方も。てっきり眷属様かと」


「え、服が?……まいったな」



 具体的に何が違うのかは分からないが俺はここでは一般的ではないらしい。


 改めて全身を確認すると、部屋着の黒のジャージを着ている。


 どうやら俺はジャージが一般的ではない世界に来てしまったらしい。

 ゲームの中に入ったのか似た世界に来たのか、それはわからないし、考えても意味のないことだろうけど元いた世界とは違う場所に飛ばされてしまったことは間違いなさそうだ。



「ケンゾク チガウ」

「タスカッタ」

「ワタシタチ マダイキラレル ウレシイ」



 後ろの方から安堵の声が聞こえる中、せっかく誤解が解けたので状況の説明をお願いしてみる。


 最初に話していた老ゴブリンが長老らしく、自分たちのことや、周りの環境について教えてくれた。


 ちなみにメイジではなくただの歩行補助の杖らしい。




 話によると、どうやら俺はこの近くに無造作に転がっていたらしい。


 それを眷属とかいうのと勘違いされて祭壇に奉られた上、目がさめるのを一同総出で待っていたというのだ。


 勘違いの原因は見た目も去ることながら俺から出るオーラが異様なのだという。

 しかしオーラと言うものが何なのかわからない俺が、その感覚を説明されたところで全く持って要領を得なかった。



「つまり俺の体から何か出てるってことなのか?」

「いやあ、出ているとはまた少し意味合いが違いますじゃ。我々のようなものは魔力などには比較的鋭敏なのですが、そういったものでは説明できない違和感のようなものが漂っております」



 などと言われては別段不調は感じないとは言え、何だか不安になってくるというものだ。


 かといって現状で答えを出せるたぐいのことではないらしいのでとりあえず保留しておくことにした。


 それより今は自分の置かれている状況の確認が先決だ。



「ところで、俺は人間なわけだけどお前たちはその、なんていうか、友好的なんだな?襲ったりはしないのか?」


「はあ、我々が襲ったところでどうこうできるとも思えませんが…それに何分初めて人間というのを見たもので、そういう発想はありませなんだ」



 どうやらゲームとはだいぶ感覚が違うようだ。ゲームのゴブリンは雑魚でも襲ってくるが、現実ではクマなどの野生動物でもあえて人間を襲うことはないと言うし、会話できるほどの知能があるのなら当然のような気もする。

 そもそも彼らは人間と関わったこともあまりないようなので敵意を持っていないということなのだろうか。



「ちなみにここはどこなんだ?どうも俺の記憶にはない場所なんだが」


「エルグ大森林の最果て、シャルドゥーワの聖域の間近ですじゃ」


「えーと?」



 ゲームでも聞いたことのない地名だ。


 よくわからないがともかく森のなかでかなり特殊な場所の近辺らしい。

 何もわからないということがよくわかった。



 大森林と言うくらいだから広大な森なんだろうし、どうやらこの森に人間はいない。


 いきなり大問題に直面したが、彼らとコミュニケーションがとれたのは本当に僥倖だった。一人で右往左往してどうにかなる状況じゃないし、そのうちどこかで野垂れ死ぬか野生人間になっているところだった。




 「こうなるといよいよゲームやってた俺の本体はどうなってしまったのだろうか。死んだのか俺は?本当に自室で餓死してしまったのか!?」



 それにこういう場合、神だか天の声みたいなのがなんのかんの説明してくれるもんなんじゃないのか。


 答えの出ない疑問は無数にある。

 だがこれでこれからの方針はたった。


 ともかく他の人間に会うこと。

 何をするにもまずはそこからだ。




 ゴブリンの長に礼を言って立ち上がる。



「いろいろ教えてくれてありがとう。これからどうにかして人のいる村を目指してみるよ」


「なんと、もう発たれるのですか?体の調子もわかりますまい、しばし我らの集落に立ち寄られてはいかがですかな?」


「そう言ってもらえるのは助かるけど、君たちが人間と関わるのはあまりよくないんじゃないのか?」



 むやみに襲わないとはいえ魔物と人間族というのは相容れないものだ。

 今回はたまたまこうして言葉が通じたので一応会話になったが普通見かけたら戦闘モノだろう。


 たぶん彼らの仲間からも良い目で見られないんじゃないだろうかという配慮だった。



「その心配には及びません。すでに我々は捨てられた身なのです。それを言うなら我々のようなものと会話をなされるあなたのほうがよほど変わった御仁でしょうな」



 はっはっはと快活に笑っているが、捨てられたとは一体どういうことなのか。


 実は途中から気がついていたことがある。

 始めは動転してゴブリンの集落と思い込んでいたが、どうやらここにはいろいろな種類の魔物が混在している。


 多いのはゴブリンだが、コボルトやオークもいるらしい。

 魔物の生態など知らなかったがこういうふうに異種族でも共同で暮らすものなのだろうか。


 いずれにせよこれなら人間族がいてもいいということなのかもしれないが。



 長老の言う通り問題がないのなら少しでもこの世界についての情報はほしい。

 俺は彼の申し出を受け入れることにした。


 集落へ向かう道すがら、より詳しく話を聞くと、彼らのコロニーは劣等種の集落なのだそうだ。


 試しにステータスを確認してみると、レッサーゴブリン、レッサーコボルト、レッサーオークと表示され、能力欄に原種より能力の劣る個体という説明が表示される。


 要は元いたコロニーで爪弾きにされた者たちの集まりということだろうか。




 ほどなくして到着した彼らの集落はお世辞にも文明的と呼べるものではなかった。


 家と呼ぶにはあまりに頼りない。

 枯れ葉で葺かれた屋根の下に壁はなく、床も地面に落ち葉を敷いただけの家々。他には木の洞に雑多な道具が置かれた場所がある程度で、ほとんど動物の巣と大差がない。


 このジメジメした場所でろくに手入れもされていないらしく、家の柱なんかも苔むしてしまっているものが目につく。



 全員が広間に集まるとささやかな、本当にささやかな宴が催された。



「ワタシタチ、アナタ、カンゲイスル」



 コボルトの1匹がそういって席へ案内してくれた。例によって地面に葉っぱを敷いただけの場所である。お尻がチクチクする。


 しばらくして葉っぱの包が運ばれてきた。



 本当によくよく観察してみないとわからないのだが、運んできたゴブリンはどうやらメスらしい。説明されるまでわからなかったが骨格が少し違う、ような気がする。あと雰囲気がどことなくおとなしそうだ。



「ドウゾ、タベル」



 甚だ説明不足の給仕で出された包を開けると葉っぱの上で、ウジュルウジュルとカミナリミミズ大のワームがのたくっている。



 「さすがにこれは…」



 失礼かと思いつつも顔を引きつらせていると、となりのやつが1匹つまみ上げて自らの口に放り込んだ。




「タベル、ウマイ」



 グッ親指を立てる。

 そのサインはゴブリンの間でも通じるのか、と謎の親近感が湧いた。


 実演されると美味そうに見えてくるから不思議なもので、これがハクナマタタか、などと感心こそすれ流石に手が伸びない。



「これこれ、人間はそういうのは食わん。下げなさい。シーダルの実が少し残っていただろう、アレを持ってきなさい」



 どうやらこのじいさんは彼ら中でも随分博識で気も回るらしい。

 それに何より言葉がうまい。


 他の個体は翻訳してもカタコトのような調子なので、VITレベルに差があるのだろうか。



「すみませんな、ここにおるものはまともに話すこともできん者も多い。人間の貴方のほうが我々の言葉をうまく使うとはお笑い草じゃな」



 そういえば話している内にチャット欄へ入力するモーションをイメージしなくても会話ができるようになっている。

 何事も順応するものだな。



「さっき言ってたことと関係が?」


「ええ、ええ。どこから説明したもんか」



 そもそもこの森にはシャルドゥーワという森の主がいたらしい。

 大昔にそのシャルドゥーワが邪染されたらしく、近隣から生贄を求めるようになった。そこで近隣に住む低級魔族がコロニーの中から力の劣ったものを集めたこの集落を作り、生贄のための集落としたのだという。


 生きるためには仕方のないことかもしれないが世知辛い話だ。



「我々はもうその運命を受け入れて、その中でみな出来る限り生きようとしております。そんな中でこうして人間などと会えただけでも刺激のない淡々とした日々を送る我々にとっては一大事、感謝しております。とは言え前回眷属が現れたのはもう3世代も前の話。我々は誰一人実際に見たものはおらんのです」


「それで間違えられたわけか」


「面目次第もございません。さすがにそろそろその時期ではないかという予感のようなものもあった矢先のことだったもので」



 何か彼らなりの直感のようなものが働くのだという。



「それによもやこのようなところにヒューマンがおるとも思いませんで」



 ともかくそういった理由で今更ヒューマンとかかわろうが何をしようがある意味自由な立ち位置なのだそうだ。

 もとよりヒューマンを見たこともない彼らには敵対心自体なかったわけだし、俺としてもそれは助かる。



「ジジ、モノシリ」



 さっきワームを食べていた隣のゴブリンが運ばれてきた木の実で口を一杯にしながらモゴモゴと言う。どうもかなりの食いしん坊らしい。

 とりあえずこいつのことはタラフクと呼ぶことにする。



 彼の話からも長老はなかなか信頼されているらしい。


 勧められたので俺も運ばれてきた実を食べてみる。

 豆くらいの大きさの青い実は食べてみると木の皮のような味がしてとても硬かった。お世辞にもうまくはなかったが、彼らにとっては貴重な栄養源らしい。


 席の端の方では土を掘り返して直接ワームをとって食べているコボルトもいるくらいで、本当に文明レベルは動物並だ。



「ところでそちらの肩に乗っておるのは一体なんですかな?」



 長老が俺の右肩を指差す。


 そう、一体コレはなんのだろうか。

 俺にもまったくもって謎なのだ。


 ただ気がついたときにはもうくっついていた。


 見た目はゼル状でスライムとも見えるのだが、尻尾が生えていて頭のあたりに鎧じみた鉱物がくっついている。極め付けはなにか魔法の羽のようなものがパタパタしているのである。



 そんな何とも言い表せないモノがペッタリと俺の右肩にくっついている。


 どう見ても生物っぽくはないし、知っている限りこういうモンスターもいないはずだ。

 剥がそうとすると嫌がるので害はなさそうだしそのままにしているのだが、本当になんなんだこいつ。


 逆に長老に何か知らないか訪ねてみたが検討もつかないと言われた。

 いずれ有識者に会うことがあれば聞いてみるしかないだろう。



「そうだ、話の礼に俺からも食べ物を受け取ってくれ」



 そう言ってイベントリからあの森でっとった果物を取り出して葉っぱの上に置く。



「一体何処に持っていたのですか…?」



 長老が目を丸くしている横でどうにも食欲旺盛なタラフクが早速ひとつを掴み取る。



「オレ タベル」



 そう言ってよだれを垂らしながらもこちらの許可を待っている顔がなんとなく可愛かった。



「どうぞ」



 言ってやると何の警戒もなくひとくちに頬張って奇声を上げ始めた。


「おいっ、どうした!?」


 ゴブリンが食べるとマズイやつだったかと慌てる俺だったが、どうやら苦しんでいるという感じではない。


 様子を見ていたゴブリンたちが周り押し寄せ、穴をほっていたコボルトたちもワームそっちのけで集まってきた。



「コレ ウマスギタ!」



 注目を一心に集めながら口の中のものを飲み込んで幸せそうな顔でタラフクが言う。


 それを聞いて集まっていた他の魔物も我先にと実を掴んでこちらを見る。

 どうぞどうぞと身振りで示してすすめてやるとあちこちから歓声が上がる。


 魔物というのはもっと利己的なものなのかと思っていたがこの集落に住むものたちは長老の教育が良いのか、その生活レベルに比べて随分控えめな性格のようだ。



「ははあ、これはなんと甘い」



 長老が嬉しそうに言うと周りも声を合わせて「アマイ、アマイ」声を上げる。



「彼らは甘いという感覚を知らんのです。本当になんという佳き日じゃ」



 自室でゲームをやっていた頃はゴブリンなんてザコで、範囲魔法で何十匹だろうと一撃で吹き飛ばしていたが、そのゴブリンたちにこんな生活があるというのはなんとも不思議な感覚だ。


 もし元の世界に戻ったとしてももうゲームでゴブリンは殺せないんじゃないか俺。



 随分満足してもらえたらしく皆その場で座り込んで脱力してしまった。なんならこのまま寝てしまうんじゃないかと微笑ましく眺めていると、長老が突然低い声を上げる。



「客人よ、急かして申し訳ないがすぐに行かれた方がいい」


「ん、突然どうした?」


「眷属が来られる。こんどは間違いなかろうて」



 どうやら彼らにとってその時が来たらしい。


 わかっていたこととはいえせっかく打ち解けた矢先にあんまりだという思いもある。


 とはいえ俺にどうにかできる問題でもないというのも確かだ。



 隙を見て何度かゲーム時代に習得済みだった魔法やスキルのコマンドを試してみたが、どれも発動することはなかった。

 つまり俺はゲーム世界のキャラクターの俺ではなく、部屋でゲームをしていた貧弱な俺のままなのだ。


 そんな俺にできることなどない。

 ただの非力な引きこもりの俺にはそのための力なんてこれっぽっちもありはしないのだから。



「お気になせれるな。あなたが気に病むことではありません。最後に良い時間を過ごせたこと感謝しております」



 長老が静かに笑みを浮かべる。


 俺はどんな顔で返しただろう。


 周りからも「アリガトウ」「アロガトウ」と声が上がった。



 「ああ、なんてこった……」



 なんとも言えない気分のまま見送られ、そままにその場を後にしたものの、とてもそのまま旅立つ気にもなれない。

 せめて彼らの最後を見届けてやろうと集落の端の木陰に身を隠し、様子をうかがう。



 最初に会ったときのように彼らは並んで座り黙って思いを巡らせているようだった。


 程なくして現れたのは全身深い柴色に覆われた大蛇だ。

 ズルズルと巨体を引きずり悠然とゴブリンたちの集落に進みいる。



 なるほど確かにあれはおっかない。


 太さは人間の胴ほどもあり、ゴブリンなど容易に丸呑みにできそうだ。



  〈ダークパイソン〉


  ジャイアントパイソンの亜種 



 どこか既視感のある風貌に気を取られていると、大蛇はもう彼らの目前まで迫っていた。


 不格好ながらも共に食事をしたことや、俺が眷属でないと知ったときの安堵した表情が脳裏に浮かぶ。


 できることならなんとかしてやりたい。

 それは庇護欲なのか単なる哀れみなのかもっと別のものなのか。



 大蛇が最初に狙いを定めたのはミミズを運んで給仕をしてくれたメスゴブリンらしい。


 逃げる様子もなくただ俯いて待つ獲物の方を向き、ゆっくりと開けた口から先の割れた長い舌が覗く。



 気がつけば俺は茂みから飛び出していた。



 ゴブリンのために自ら危険に飛び込むなど馬鹿げた話だ。

 とてもヒューマンのやることとは思えない。


 ただもうその時は理屈なんてどうだって良かった。

 それに、こんなタイミンげで俺がここに来たのは偶然ではなだろう。もしこの世界にGMがいるならこれはそういうイベントだ。クエストが開始されたというのならきっと乗り越えられる、乗り越えなきゃいけないイベントってことなんだろう。


 幸か不幸か隠れていたのは丁度雑多な道具が置かれた木の洞の近くで、走り抜けざまに掴んだ刃こぼれしてサビの浮いたショートソードが僅かな自信をくれる。



 自分の感覚ではあっというまに大蛇の前に飛び出していた。


 作戦なんて考える間もない。


 俺はただ力任せに右手の剣を振るった。

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