◆6.……だから、わたしが背負ってやるよ


 さて翌日、昼下がりの時間帯。

 三人の姿は、港街にある家具大工の工房にありました。


「……あン? なんだって? もっかい言ってみろ?」


 頑丈な骨柄に頑強な筋肉、そしてついでに頑迷な面つき。職人気質をきっちり三拍子揃えたようなその親方は、ユカが伝えた注文にまずは無遠慮なしかめっ面を示しました。

 いえいえ、不躾な反応も無理はないというものです。

 なにしろ店を訪ねてきたのは一目で長旅の途中であるとわかる、しかも最年長の娘でさえ未だ二十歳は超えておらぬと見える少年少女たちなのです。

 その上、大型家具を商う店とは本来もっとも縁遠いはずであるこの三人組が所望しているのが、よりによって……。


「だからさ、本棚を作って欲しいんだってば」

「……本棚だぁ?」


 物怖じせずに再度注文を告げたユカに、親方の視線にあるいぶかりが濃さを増します。

 この時代、本を個人で所有する文化はまだまだ全然根付いておらず、故に本棚という家具もまた滅多に出番はなかったのです。

 その本棚を、貴族でも呪使いでもなくこんな小僧どもが、なんでまた?

 ええ、親方のそんな気持ちは、ようくわかります。


 ですが。


「……本棚って、どんなんだよ?」

「背負えるやつ」

「えっ」


 ユカが即答で応じた瞬間、親方の中の訝りは突き抜けて動揺へと転化したのでした。


「背負うの?」と、親方。

「背負うの」と、ユカ。

「本棚を?」と、またも親方。

「本棚を」と、またもユカ。

「誰が?」と、そして親方。

「彼女が」と、そしてユカ。


 そう言ってユカが指さした先を親方の視線は辿って、辿って、辿って……。

 そしてまた、「えっ」と声があがります。

 ええ、そりゃもう驚いたに違いありません。だってそこにいたのは少年のお仲間の、少年よりもさらに華奢な女の子だったのですから。

 水際だった美しさの中にどこか野性の印象を備えたその少女は、親方の凝視を避けるようにそっぽを向いてしまいます。


「ええとね、彼女は高原の少数部族の末裔で、だからこう見えてもすごい力持ち――」

「無意味なでたらめを無意味に拡散ばらまくのはやめろ!」


 もはやおなじみとなりつつある偽の生い立ち紹介を忌々しげに遮って、リエッキは次に親方に向かって言いました。


「……与太話は置いといて話を戻すけど、とにかく、本棚を一つこしらえて欲しいんだ」


 結構振り回したりするだろうからできるだけ頑丈な作りで。多少の雨風を防げるように覆いもあったほうがいいな、そうすれば中身がこぼれ落ちるのも防げるし。

 唖然としている親方には構わずに、リエッキはてきぱきと細かな要望を伝えてゆきます。

 結構振り回す……なにを? 多少の雨風を防げるように……なんで? 中身がこぼれ落ちるのも防げる……普通はこぼれないだろ?

 ああ、飛び出すのはおよそ本棚について語っているとは思えぬ言葉の数々です。

 その最後に、彼女は親方の常識にとどめを刺すような一言を申し伝えました。


「あと背面にベルトもつけてくれ。腕通して背負えるように。これも丈夫なやつな」


 親方の中のなにかがついに陥落します。途方に暮れた声で何事か呟いたあとで、彼は観念したような顔をしてこの奇天烈きてれつな注文を承ってくれたのでした。


 さてそれから、早くも三日後の午後に本棚は完成致します。


 最後はいささか情けなかった親方ではありましたが、しかしその腕前と仕事ぶりは見事の一言、無茶な要望をしっかり受け止め実現してくれているではありませんか。

 できあがった本棚を一目見た瞬間、リエッキから珍しく無邪気な歓声があがります。

 それから、彼女は竜の怪力でもって背嚢はいのうでも背負うように軽々と、早速本棚を背負ってみます。

 その光景を目の当たりにしてあんぐりあごを落としている親方に、ユカと踊り子は提示されていたのよりも多めの料金を支払ってあげました。


「空想するなっていうのも無理のある解決法だったけど」


 新品の本棚を背にご機嫌の少女に、少年が苦笑しながら言いました。


「これだって、無理の度合いにおいては良い勝負だと思うよ?」


 ユカの言葉にリエッキはいつも通り「はん」と鼻を鳴らして応じます。

 それから、少しだけ上目遣いになりながら彼に告げたのでした。


「仕方ないだろ。あんたの魔法はあんたの一部なんだ。売らせるわけにはいかないよ」


 含羞の赤い花が少女の頬に咲きます。羞じらいながら彼女は続けました。


「……だから、わたしが背負ってやるよ。あんたの魔法を……あんたを」


 うわぁ、愛だなぁ。そう言って囃し立てる踊り子にリエッキが奇声をあげて掴みかかります。本棚を背負ったままでいることも忘れて。だから体勢はたちまち崩れて、やっつけようとした踊り子に逆に助け起こされるという滑稽劇を演じています。


 その光景をユカはただ眺めています。

 胸いっぱいの嬉しさに、なんだか泣きそうになりながら。


「ねぇ、ユカ君」


 リエッキを軽々翻弄した踊り子がユカに話しかけました。


「魔法使いの魔法に課せられた唯一の制限がなんだか、前に話したことあったよね」

「うん、もちろん覚えてるよ。魔法使いは、その魔法が宿った品物を手にしていない限りは魔法の力を行使できない。お姉さんと初めて会った夜に教えてもらったんだ」


 もう何年も前のことのように思いながらユカは答えました。


「えらいぞ、よく覚えてました。そう、たとえ一千の魔法を使える魔法使いがいたとしても、その全部を持ち歩くわけにはいかない。だから伝承に出てくるような強くておっかない魔法使いは――まぁだいぶ呪使いたちに歪められちゃってる伝承だけどね――自分の居城で敵を待ち受けてるんじゃないかって思う。……だけどさ」


 彼女はそこで言葉を切ると、ぐったりして本棚にもたれかかっているリエッキをちらりとだけ見て、それから続けました。


「だけど、君の場合は違うね。これから先、君がどんなにたくさんの魔法を使えるようになっても、どんなに偉大な魔法使いになっても、君の全部を丸ごと背負ってくれる女の子がいるんだもん。だからさユカくん。君は、きっと最強だよ。最強の男の子だ」


 ねぇ、丈夫そうな本棚に仕上がって良かったじゃない――朗らかに真顔を崩して、踊り子はそう締めくくりました。

 踊り子の言葉にユカは答えようとして、だけど、すぐには返事ができませんでした。

 なにか一言でも口にしたら、途端に別のものまでこぼれてしまいそうだったのです。


「……丈夫だよ。もちろん」


 やがてユカは言いました。


「……世界一丈夫な、世界一の本棚だよ。これから先どんなに乱暴に扱われても、どんなに大変な場面をくぐり抜けても、この本棚にはきっと傷一つつかないんだ。どんなに雑に振り回されても、絶対に中身を取りこぼさないんだ。

 ……当然だよ。だって、リエッキが背負ってくれる本棚なんだもの」


 羨ましいでしょ? ユカは言いました。

 うん、羨ましい。踊り子はそう答えてくれました。


 それから程なくして、新品の本棚に七冊の魔法を並べようとしたユカたちは、既にそこに一冊の本が並んでいたのを発見します。

『旅する書架の物語』と題された薄い本は、もちろんユカにしか読めないものでした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る