◆5.筋金入りの物語師

 肩代わりした病をすっかり平らげて再び旅の空となったユカたちは、ある夜の露宿の際に遠吠える狼の声を耳にしました。

 夜の遠景にこだまする野生の声は、一つでなく二つ。離れた距離と孤独とを埋めるように鳴き交わす二頭の会話に、三人はしばし耳を澄ませます。


「……あの狼たちはどんなことを話しているのかしら」


 余興の踊りを中断して聞き入っていた踊り子が、ぽつりと言いました。


「離れても変わらない友情を確かめ合ってるのか、互いを恋しく求め合っているのか……それとも、仲間の死をいたみ合ってるのかも……いやだな、最後のじゃなきゃいいけど」


 どうか彼らに祝福を、踊り子が手を組んで祈ります。彼女にならってユカもまた手を組み、少しだけ照れくさそうにしながらもリエッキまでもが同じようにしました。

 冬という季節に特有のもの悲しさが三人を感傷的な気分にさせていたのかもしれません。


「あの狼たちがなにを話してるのか、きっと母様だったらわかるんだろうなぁ」


 湿っぽくなった空気を拭い去るようにユカが明るく言いました。


「お母さんって、骨の魔法使いのことだよね?」


 彼の意を酌んだ踊り子がこちらも軽やかな口調で反応します。


「うん。山猫に育てられた母様はね、魔法使いになる前から動物と話ができたんだ」


 踊り子が語りを促すように肯きます。焚き火に枯れ枝を投げ込んだリエッキもこちらに向き直ります。

 二人の聴衆に微笑みかけたあとで、ユカはさらに続けました。


「もしも動物と話ができたら、それってきっとすっごく面白いだろうね。空を飛ぶ気持ち良さを鳥に聞いて、土の家の寝心地を兎に解説してもらえる。海の中の様子を……んーと、魚は動物かどうかちょっと微妙だから、これはイルカにしとこうか。それに目下の問題として、あの狼たちがなにを話してるのかだってわかるよね」


 それって素敵だなぁ、と、彼がそう締めくくったときでした。

 薪山に伸ばされたリエッキの手が、枯れ枝以外のなにかに触れたのです。

 はたして、そこにあったのは一冊の本でした。表題はずばり『百獣の姫君の物語』とあり、綴られているのはユカの母である骨の魔法使いの在りし日の物語。

 もちろん、これはユカの新しい魔法です。そしてその効果といえば……いえ、ここまでの顛末をご覧いただけたならば、それもまた申すには及ばないでしょう。


 薄い薄いその本を一通り声に出して読んだ(というか、譚った)そのあとで、ユカは唖然とした顔をしている二人に教えました。

「ああ、ええとね。『てめぇなに勝手に群れから抜けてやがんだ』『テメェが気に入らねぇからだこの野郎』『てめぇぶっ殺すぞこら』『うるせえこっちが先に殺すぞ』『てめぇ死ねや』『テメェが死ね』……こんな感じで延々罵り合いしてるだけだね、あの二頭」


 ……ああ、そう。

 もはや情緒もへったくれもなくなって、リエッキと踊り子は揃ってそんな力の抜けた声を出したのでした。




 似たようなことはその後も続きました。

 たとえばこれは春先のある日のことです。


 その日、三人は道端の河原で水遊びなどして食後の一時を過ごしておりました。

 雪解け水を集めた小川は変わりゆく季節を乱反射させて透明さの極み。

 その透き通った水面みなもを蹴って遊んでいた踊り子が、ふと思い出したように、劇場酒場時代にお客のまじない使いから聞いたという次のような話をユカとリエッキに語りはじめたのです。


 それは竜の物語でした。

 リエッキのような立派な翼は持っておらず、にもかかわらず水を泳ぐように自由に空を泳ぐ、遠く東の国の竜の神。

 清き水の守護者たる彼らは大河や湖を住処すみかとしており、水にまつわる万象を自在に操ることができるのだとか(人間の生活と発展に不可欠である水を宝であると考えるならば、竜という存在の持つ『宝物の守護者』という属性は東西どちらの世界でもそう変わらないのかもしれません)。


 踊り子がおしまいを告げたあとも。ユカは物語の余韻から抜けだせずにいました。

 炎のドラゴンならぬ水の龍蛇おろちに彼は思いを馳せ、その神通力に思いを馳せます。

 水を操るなんてかっこいいなぁと、目の前のせせらぎを眺めながら無邪気にはしゃぎます。


 そんな彼の足下に、上流からどんぶらこと漂ってきたそれは、引き寄せられるようにして流れ着いたのです。

 『水底に住まう長い蛇の物語』という表題の薄い薄い本。

 ……ああ、そのものずばり、今度のそれは水を操る魔法でした。



 一夜にして二つの魔法を発現させたのを期に、ユカは次から次に新たな魔法を目覚めさせるようになってしまっていたのです。

 自由なる空想の庭にユカが遊び、またその内容を彼が語るとき、数ページしかない物語の本は必ずどこか近くに発見されました。

 知恵も力も十人並みなら特別の勇気に恵まれていたわけでもない少年は、しかしただ一つ、空想する能力だけは誰よりも秀でていたのです。


 冬の名残が大地から消え去った頃、魔法の力を宿した本は七冊にまで増えておりました。

 魔法使いとして数年先輩である踊り子の羊皮紙が未だ三冊止まりであるのを考えれば、これはいささかならずとも目を瞠る速度であったと言えるでしょう。


 さて、七つ目の魔法が発現したその日その瞬間、リエッキはとうとう『空想禁止』をユカに言い渡したのでした。


「ひどいなぁ。それじゃあまるっきり思想弾圧だよ。僕は打倒王権を叫んだわけでもなければ政治転覆を企てたわけでもないってのにさ」

「仕方ないわよユカ君。なんたってリエッキちゃんはあたしたちにとっては一大権力……そう、いつの時代もかわいいは正義であり権威なのだから……」

「わけわかんないことほざいて茶化すな! わたしは真面目に言ってるってのに!」


 軽口を叩いてけらけら笑うユカと踊り子に、リエッキが声を荒げます。


 とはいえ、リエッキの危惧ももっともでした。

 もしもユカがこの調子でぽんぽん魔法を生み出し続けた場合、三人は早々に身動きが取れなくなってしまうでしょう。

 だって旅荷は本だけではないのですし、それになにしろユカの魔法は成長する魔法です。今ある七冊がページを増やしただけでも手に負えなくなりそうなのに、それがこれから八冊、九冊、いいえ、十冊二十冊と増えたら……ああ、考えただけでも頭が痛くなりそう。


「んー、確かにリエッキの心配もわかるかも。……あ、それじゃさ、何冊かいらないの選んでどこかの街でお金に換えちゃおうか? 外国の本だって嘘ついてさ」

「バカ! どこの世界に自分の魔法を売っ払う魔法使いがいるっていんだよ!」

「もう! リエッキはああ言えばこう言うんだからさ!」


 全身全霊でこっちの台詞だっ! そんな反論のあとでリエッキはため息をつきます。

 二人の言い争いは、だいたいこんな風に彼女のほうが諦めることで終わるのです。

 もはや処置なしとばかりに大きく頭を振ったあとで、リエッキはもう一度ため息をついて、それからユカに向かって言いました。


「……もういい。確かに空想すんなってのは無理があったかもしれない」


 わかった、空想禁止ってのは取り消すよ。彼女はそう言って、続けました。


「その代わり……一つだけわたしの頼みも聞いてくれよ」



 

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