◆7.とある魔法使いの目撃談

 いささか長くなりすぎましたが、本棚にまつわる顛末は以上のようなものでした。

 さあ、読者よ。物語の時間の針を、再びあるべき時点へと戻しましょう。

 そしてさらに先へ、そのまた先へと進めてまいりましょう。


 ユカと踊り子、それに本棚を背負ったリエッキ。

 三人の旅は、もはやあらゆるつつがと完全に切り離されて順風満帆じゅんぷうまんぱん。無数の夜を酔客たちの涙と喝采で彩り、あるいは露宿の星の下に三人だけの遊宴ゆうえんを催し、かくて快然の季節はたけなわとなって最高潮です。

 

 さて、そのよいは新月、月のない夜の中の夜でした。

 荒野に露宿していた三人を、二十人からなる盗賊の一頭が囲み込んだのです。


 立派な本棚をはじめとした旅の大荷物に加えて、それぞれおもむきの異なる美しさを備えた美女と美少女。

 今宵の戦利品の絢爛けんらんなる様に、盗賊たちは早くも舌なめずりの有様。

 ですが、彼らの下卑げびた笑顔は、数瞬の後には驚愕きょうがくに、さらに数瞬の後には恐慌きょうこうに、そして重ねて数瞬を経ては狂態きょうたいへと、めまぐるしく変化を遂げることとなるのです。


 抜き身の曲刀を恐れるでもなく年嵩の女が踊りだしたかと思えば、無法者どもの武器えものは彼らの手を離れて舞踏に飛び入り、その直後には踊る女を新たな主人と認めたかのように古い主人たちに襲いかかります。

 円月刀に追い立てられる男たちの逃げる先にあるのは、星を映す川。

 しかし、この夜の獲物の白一点である小僧がなにやら物語るのが聞こえたかと思った次の瞬間、河水は水でできた竜もかくやと起きあがり、飛沫しぶき咆吼ほうこうをあげて彼らに襲いかかります。

 さぁ、恐懼きょうくに駆られて狂気に噛まれて! 無法者どもの半数以上がすでに失神して、残った者たちも半ば正気を失って逃げ惑います!

 踊る円月刀に水の竜、俺たちは悪夢を見ているのだ?

 そう呪文のように繰り返しながら夢の出口を探す男たちの前に、いざ、悪夢の最後の一押しです。

 ろくすっぽ前も見ずに逃げていた先頭の男が、どん、となにかにぶつかります。

 はて、と、一同が揃って視線を、上へ、上へとあげてみれば……。

 巨大な翼に赤い鱗、水の竜ならぬ本物の竜が、獰猛に彼らを睨(ね)め据えておりました。

 最後まで意識を保っていた数名も、これが決め手となって泡を吹いて倒れたのでした。


 こうして悪名で鳴っていた盗賊団を造作ぞうさもなく壊滅させてしまった三人は、まるでその事件までもが余興の一環ででもあったかのようにうたげを再開させます。

 ほどける緊張など最初からなくて、安心は当たり前過ぎて自覚すらされません。

 無法者どもは自分たちの持ち物であった長縄で縛り上げられて翌日に街の保安吏ほあんりに引き渡されたのですが、その際の役人衆の瞠目どうもくぶりも三人にはどこ吹く風です。


 彼らの旅はなにものにも疎外されず、そして、なにものにもとらわれず自由でした。



   ※



 季節は巡ります。春から夏へと、夏から秋へと。秋の終わりから、冬のはじめへと。

 この頃、三人は再びの船旅の為、上陸した時の港を目指して進んでおりました。


 その魔法使いについて聞いたのはそんなある日のことでした。


 目指す港町もいよいよ目と鼻の先と迫ってきたその夜、三人の姿はやはり酒場にありました。

 さて、いつものようにユカと踊り子が一仕事終えてリエッキの待つ卓へと戻ってくると、一人の客が待ちかまえていたかのように彼らの元にやってきたのです。

 中年にさしかかったその羊毛商はまずはじめに踊り子の演舞を手放しに褒め称え、続いてユカの話術と物語にどれほど引き込まれたかを熱っぽく語ってくれました。

 毛深きものたちの聖女(というのは、この夜にユカが譚った物語においての骨の魔法使いの最終的な二つ名です)に幸いのあらんことを。そんな祈りで感想の言葉を締めくくったとき、彼は少しだけ涙ぐんでおりました。


「ところでな、語り部さん」


 冬物の袖で涙を拭いながら男は言いました。


「実のところ俺は、今夜あんたの物語を聞く前から魔法使いには好意的だったのよ。なんたって奴らの一人に助けられたことがあるからな」


 そして羊毛商は語りはじめました。

 さかのぼること一年前、原毛の買い付けで遠出をしていた彼は、ふとしたことから馬の制御を失い谷へと転落してしまった。

 不幸の中の幸いで命に別状はなかったものの、馬の足は無惨に折れ、また、羊毛商自身も怪我の度合い甚だしい目も当てられぬ状況。壊れた荷馬車からてんでに放りだされた羊毛袋を目に羊毛商は途方に暮れるしかなかった。

 ……と、そのとき。人通りなど皆無である谷底に、一人の男が現れた。


『あんたの悲鳴が見えたから来てみたんだ』


 男は不思議なことを口にし、さらに見舞いといたわりの言葉をかけてくれた後で『自分は魔法使いだ』と羊毛商に明かした。そしてぽかんとする羊毛商を尻目になにやら染料せんりょうの瓶を取りだし、馬の骨折部に塗りたくった。

 するとどうだろう、もはや二度とは立てぬと思えた愛馬が、折れていたはずの前脚を地につき、何事もなかったかのように立ち上がった。魔法使いは同じようにして羊毛商の怪我も治してくれた。

 こうして、荷馬車は諦めねばならなかったものの、羊毛商は命と馬は失わずに済んだのだった。


 彼の話はこのようなものでした。


 これに、ほとんど血相を変えて食いついたのが踊り子です。

 それは具体的にいつのことか、男の風采ふうさいはどんなだったか、その魔法使いはどっちに向かったのか、彼は……彼は元気そうだったか。

 そんな風に半ば詰問きつもんするはげしさで羊毛商に迫り、根掘り葉掘りと質問を浴びせかけます。

 羊毛商は狼狽の極みとなってタジタジ、ユカとリエッキもまた、普段の踊り子からは考えられぬこの豹変ひょうへんぶりに顔を見合わせます。


 この夜以降、踊り子の様子は目に見えて変わりました。

 物思いに耽ることが多くなり一日中うわの空、口数は極端に減って話しかけても生返事なまへんじ

 彼女特有の陽気さや饒舌さは、さながら港湾の活況が海霧うなぎりに沈むが如く閉ざされてしまったのです。

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