◆2.少年と少女と姉

 読者よ。以前、私は次のように語ったかと思います。

 人が人を語るとき、語り手はその人の行いを語ることでその人となりの描写とするものである、と。


 では、人と人との関係を語るときには?

 その場合、彼らの交わした言葉を語り、彼らの共有した時間を語り、そして、彼らが互いになにを与え合ったのかを語ることでそれを示すのが正答と私は考えます。


 ユカとリエッキに甘えたりじゃれついたりするとき、踊り子は一切の遠慮をそこに持ち込みませんでした。

 そうかと思えば、二人が悩んだり困ったりしているとき、彼女は世界中が束になっても敵わないような頼もしさで応えてくれました。

 甘えん坊で頼りになって、そして、いつも力いっぱいの愛情を示してくれた。


 そんな踊り子はユカとリエッキにとって、まさしく姉のような存在だったのです。



   ※



 同じ円卓で歓談に時を忘れた再会の夜、踊り子はふたりに対してこう申しでました。

 あたしもあなたたちと一緒に行くことにする、と。


「ずっと決めてたのよ。もしもまた君たちに会えたら、そのときはそうしようって」

「でも、本当にいいの?」


 ユカは広い――比類なく広い――店内を座ったまま眺め渡します。そこから見える範囲に空席はたったの一つもなく、それはきっと奥まった席や階上の二階席も同じなのだろうと思われました。

 そしてその超満員のお客の内訳には、お酒を飲まない下戸げこやご婦人たちが、さらには親に連れられて来たのでしょうか、ユカよりもずっと年下の子供たちまでもが少ないながらも含まれています。


「この人たち、みんなお姉さんを見に来てるんでしょう?」


 何十人、いや何百人いるだろう、ユカは思いました。

 これだけの観衆を虜にする踊り子を店が手放したがるわけはありません。きっとお手当は交渉などせずとも望んだだけつりあげてもらえるでしょう。

 それになにより、この大観衆が一つとなって発する喝采かっさい、いいえ大喝采。それは、およそあらゆる芸人が夢寐むびにも欲する栄光といえます。


 三人のすぐ近くの席で、興奮冷めやらぬといった様子の小さな女の子が、踊り子の演舞を真似して父母と周囲の酔客すいかくたちに不格好な踊りを披露しています。

 滑稽こっけいで微笑ましい姿を見つめながら、ユカはもう一度踊り子に訊ねます。

 本当にいいの?


「百人が千人でも、千人が万人でも」


 踊り子は微笑んで答えました。


「たった二人のあなたたちとどっちが大切かなんて、そんなの神話の太古に答えは出てるわよ」


 踊り子の言葉にユカが相好そうごうを崩します。

 もはやそれ以上の確認は無粋でしかありません。そのようにして話はまとまったのです。


「なんだかそういうことになっちゃったけど、リエッキもそれでいいかな?」


 同意を求めるというよりは決定を伝えるような調子でそう告げたユカに、リエッキは「好きにしてくれ……」と応じます。

 なんだか、ひどく苦しそうな声で。


 リエッキの様子は明らかに普通ではありませんでした。焦点の定まらぬ目はどこを見ているかわからず、すっかり青ざめた顔はまるでぶっ倒れる間際の急患のよう。

 そういえば、さっきの返事にしてもどうにか形にした言葉をなんとか吐きだしたといった具合でしたし……いいえ、さらに突っ込んで描写してしまえば、今にも別のなにかを吐きだしそうな様子で……。


 少し前からリエッキが会話に参加しなくなっていたことに、ユカと踊り子はそのときようやく気付きました。

 そしてまた思い至ります。さながら途切れなく挑みかかってくる勇者に対するように、この竜が次々と運ばれてくる蜂蜜酒の一杯一杯と真剣に格闘していたことに。


 彼女の名誉の為に申しますが、生真面目なリエッキのこと、けっして二ヶ月前のあの失態を忘れていたというわけではないのです。

 けれどこれもまた真面目さが仇となったというもので、踊り子のささやいた『ねぇリエッキちゃん、そのお酒の一杯一杯にはね、見知らぬ誰かのあなたへの好意がなみなみ溢れてるのよ』との言葉を、彼女は少しばかり真剣に捉えすぎたのです。


 おろそかには飲めない、そんな覚悟の先に待ち受けていたのはまたも度を超えた痛飲であり、もたらされるのはあの夜の再現に他ならなかった、というわけです。


「やれやれ、これもいいきっかけってやつよね」


 円卓に突っ伏したリエッキを横目に、踊り子が苦笑混じりに言いました。今夜はまだ尻尾は出していないものの、代わりに片手の指に鱗が生え始めています。


「本当に今夜のお客さんたちはついてるわね。この店でのあたしの最後の舞台、しかもとっておきの魔法の一番を見られるんだから」


 羊皮紙を片手に、踊り子は颯爽とした足取りで舞台へと向かったのでした。



   ※



 読者よ、親愛なる読み手よ。

 こうして、ユカとリエッキの旅は華やかな道連れを得たのです。

 ああ、語り部とはなんと無力な生き物であることか! 折にふれて、私はそのことを痛感せずにはおられません。

 なにしろ語りたいことがどれほど多くあろうとも、我々の舌はたったの一枚しかないのですから。

 ユカの決め台詞に登場する『説話を司る神』、それはきっと、冷酷嗜虐のいじわるな神様であったに違いありません。


 嬉しさの連続でした。

 楽しさの連続でした。

 嬉しさと楽しさが徒党ととうを組んで襲いかかり、怒濤どとうとなって押し寄せるような、三人で旅した一年は、まさしくそのような日々でした。


 あらゆる感情は乗算されて深みを増し、三人で分かち合うことでさらに大きく膨らみました。

 感動は、都度に応じて新たな感動を連れてきてくれました。


「はん。わたしは別に感動とかしていないし。普通だ普通」

「あらリエッキちゃん。だったらどうしてそんなに尻尾がぱたぱたしてるの?」


 大慌てで尻尾を隠そうとするドラゴンに、語り部と踊り子が揃って腹を抱えます。

 これはある露宿の夜、披露した演舞に踊り子が感想を求めた際の一幕です。

 無関心を装いながらその余興に最も心を奪われていたのは、他ならぬリエッキだったのです。


「あたし、リエッキちゃんの素直じゃないところって大好きよ。素直すぎて」

「う、うるさいな! だいたい意味わかんないんだよ! 矛盾してるだろそれ!」

「あ、僕わかる。リエッキは確かに素直すぎるほどにひねくれてるよね」


 二人分の笑い声が夜に響き、残る一頭の恨みがましい声がそれに重なったのでした。


「説話を司る神の忘れられた御名においてはじめよう。これなるは影と形の友情譚。奔放不羈ほんぽうふきの空想と、夢見るような夢の夢。終わらぬ絆で結ばれた、彼と彼女の物語」


 さて、お次はとある昼下がり、周りに誰もいない原っぱでのことでした。

 例の薄い本を手にユカが物語ると、リエッキの輪郭りんかくはたちまちぼやけはじめます。そして数秒の後、赤い鱗のドラゴンは忽然と消え去ってもはやそこにはおりません。

 竜の姿は消えて、代わりに現れたのは美しい少女。白を基調とした衣装に身を包んだ娘が、赤くなったおもてを隠すようにしゃがみ込んでそこにいるのでした。


「何度見てもたまげる光景ねぇ。人から竜になっちゃうときはもっと大迫力だったけど……それでユカ君、なんでこの娘さんはこんなに恥ずかしそうにしてるわけ?」

「リエッキはあの物語の内容が小っ恥ずかしいんだってさ。『終わらぬ絆』のあたりが特に。で、それをお姉さんに聞かれるバツの悪さにそんなんなってるんだと思う」

「そこまでわかってる癖になんであんたはぺらぺらと解説しちゃうんだよ!」

「ああもう……骨の髄までかわいいなぁ……」


 含羞がんしゅうを大輪の花と咲かせるリエッキに踊り子が抱きつき、抱擁から抜け出そうとする側と逃がさんとする側の格闘がはじまります。

 もはや日常となった情景でした。ドラゴンの姿でいるときに抱きついてくるユカは尻尾の一撃であしらうリエッキも、もっぱら人間の姿のときに抱きついてくる踊り子にはなすすべがないようでした。


「ところでユカ君。ちょっと前から気になってたんだけど、君のその本、最初に見せてもらったときよりも厚みが増してない? というか、ページが増えてない?」

「うん、増えてるよ」


 ユカはあっけなくそう答えて、『彼と彼女の物語の魔法』をぱらぱらと捲ります。


「この本、気付くと物語の続きがつづられててページも増えてるんだ。あ、それとね、そうやってページが増えれば増えるほど、リエッキが人間でいられる時間も長くなってるみたい。最初のうちは二時間か三時間で変身が解けちゃってたんだけど、今では丸二日くらいは人間のままでいられるようになってる」


 こまめにかたりなおさなくていいだけ随分便利になってるよ、と得意げにユカ。


「それ、ほんと?」と踊り子。

「うん、ほんと」とユカ。


 ふへぇ、と踊り子は深々と息をつきます。

 それから彼女は言いました。


「お姉さんびっくりだわ……ユカ君、きみ、魔法が成長してるんだ」

「びっくりなの?」

「びっくりだよ」


 踊り子は言って、続けます。


「たとえば魔法に慣れてきて上手に運用できるようになるとか、そういうことはもちろんあるよ。だけど未熟な状態で生まれた魔法が徐々に成長していくなんて、そんなのは聞いたことがない。あたしも、それにあたしの知ってる幾人かの魔法使いもみんなそうだった。魔法使いの魔法っていうのは、発生した時点で既に完成しているものだってのが定説なの」


 君みたいな魔法使いは、もしかしたら他に一人もいないかもしれない、と踊り子。


「ふうん、そうなんだ」

「君ってばほんとに動じない子だなぁ」


 まるっきり平然としているユカに踊り子が苦笑します。


「あたし、いまちょっとは衝撃的なことを言ったつもりなんだけどなぁ」

「だって、そんなの当たり前って気がするんだもの」

「当たり前?」

「うん。だって、物語は成長し続けるものだよ。続きを語られる限り、どこまでも」


 明白な論理を説く口調でユカはそう断じました。

 踊り子はしばし呆気に取られた顔をしていたあとで、まいりましたという風に両手を肩のあたりまであげて言います。

 やっぱり面白いなぁ、キミって子は。


「ねぇ、いまの話聞いててさ、リエッキちゃんはどう思った?」

「ん……まぁ驚いたよ」とリエッキは答えます。「少しだけな」

「少しだけ」


 リエッキの反応に、踊り子が意外だという顔をします。


「なんていうか、リエッキちゃんはもっと驚いてくれるかなって期待したんだけど……少しだけ?」

「少しだけ」


 リエッキは再度きっぱりと言いました。


「ユカが魔法使いになっちまっただけでもう十分過ぎるほど驚かされたんだ。これ以上なにかあったとしたって、もう誤差くらいにしか感じやしないよ」


 それに、と彼女は続けます。


「それに、それでなにが変わるってわけでもないしさ。ユカがたった一人の特別な魔法使いだとしても……だってそうだろ? たとえユカが魔法の力をすべて失っても、その逆に世界一の魔法使いになったとしても、わたしにとってはなにもかも誤差でしかないんだ。

 だって、ユカはユカなんだから」


 この答えに、今度は踊り子だけでなくユカもまたきょとんとした顔となります。

 リエッキは少しだけむず痒そうに「はん」と鼻をならしました。


「……愛されてるのはこっちもおんなじかぁ」


 踊り子はユカを見ながらそっと、しかししみじみとそう呟いたのでした。

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