■6.あなた、愛されてるのね
「はぁ、たまげた。確認するけど、君は語り部で、その本に書かれているのは竜が人間になる物語で……それで、こちらのかわいこちゃんは……ドラゴン? まじで?」
「うん、まじで。いまは人間の姿になってるけどね」
「……わぁお。びっくりだわ」
「はん、そりゃたまげることだらけだろうさ」
むすっとした口調で二人の会話に口を挟んだのはリエッキだった。
「なんせ天下の魔法使いが二人もいるんだ。ぶっとんだ話には事欠かないだろうよ」
この場で一番ぶっ飛んだ存在である自分のことは棚に上げて彼女はそう言った。
先刻からのユカと踊り子のお気楽な様子に、リエッキはまったくついていけなくなっている。
はん、なにが『わぁお』だなにが。
この度を超えたおおらかさ、魔法使いってのはみんなこうなのか?
これからどうなるのか、どうしたらいいのか、リエッキの胸には不安が渦巻いている。
そもそもユカの旅の目的自体が魔法使いへの偏見を払拭することなのだ。魔法使いが世間にどのような目で見られているのか、その現状を彼女はユカ本人から聞いて知っている。
同じ人間から邪悪と蔑まれる存在になってしまったことで親友が傷ついていないだろうかと、彼女はそれも案じていた。
なのにその女はともかく、なんで当人のあんたまでそんなにのほほんとしてやがる。
なんだよ、これじゃ、まるでわたし一人だけが空回りしてるみたいじゃないか。
「おいユカ! 空になっちまったぞ!」
すっかりふてくされた気分になりながら、リエッキは中身のなくなったジョッキを逆さにして振ってみせた。
「おかわりだ! こうなったらわたしも思いっきり不真面目になってやるからな!」
酒の力を借りないとそうなれない自分をいささか情けなく感じながら、彼女は近くを通った女給を捕まえて注文を言い渡す。おい、これよりでかいジョッキで頼む!
「リエッキちゃんだっけ? 彼女、見ていて気持ちよくなるくらい良い飲みっぷりだね」
「うん。よっぽどここの蜂蜜酒が気に入ったんだろうね。さっきも空っぽになったジョッキを覗き込んで泣きそうになってたんだよ」
「やだ、なにそれかわいい」
もはや反論する気にもならなかった。
女給が運んできたおかわりをまたも一気に飲み干し、空になったジョッキをそのまま突き返して再度「おかわり!」と告げる。
血走った眼光に射抜かれた女給はコクコクと肯いて応じ、そそくさとその場を離れていった。
「そういえば」
リエッキと女給の殺伐とした交流を面白そうに眺めつつ、ユカが踊り子に言った。
「すっかり忘れてたけど、お姉さんも魔法使いなんだよね? ねぇ、どういう魔法使いなの?」
きらきらとした好奇心を隠しもせずにユカは踊り子にそう訊ねた。
「見ての通りよ。語り部である君の魔法が物語であるように、踊り子であるあたしの魔法は踊り。魔法使いの魔法って、だいたいそういうものなのよ。──ああ、それでね」
そこで、踊り子は一巻の羊皮紙を取りだしてユカに手渡した。
「はい、これがあたしの魔法」
「……え? だってお姉さんの魔法は踊りなんでしょ? なんでこんなのが?」
羊皮紙を手に首をかしげるユカに、踊り子はまたしても「初々しいなぁ」と笑った。
「これは
踊り子は言葉を切り、ユカに自分の言葉が染み渡るのを待って、それから続けた。
「魔法使いはね、魔法を使うときには必ずその魔法の品物を手にしていなければならないの。あたしの場合は羊皮紙を持ってなかったらいくら踊っても魔法の力は発現しないし、君だってそう。たとえ本に書かれている内容を丸暗記していても、その本を手にしていなければいくら物語っても魔法の物語は効果を発揮しない」
まぁこのくらいの制限はないとあたしたちの力って反則だしね、と苦笑する踊り子。
「それから……ねぇユカ君。ちょっとそれ、読んでみてよ」
促されるまま、ユカは羊皮紙を紐解き、熱心な視線を紙面に注ぐ。
しかししばしそうしてにらめっこをしていた後で、眉をしかめて顔をあげた。
「……ダメだ。記号みたいで全然読めない。僕の本も他の人にはこう見えてるの?」
「そういうこと。魔法使いの魔法が本人以外には意味を成さないって意味、わかったかな?」
わかった、とユカは素直に返事をする。
踊り子は満足げに肯いて続ける。
「あたしはこれと同じような羊皮紙を三枚持っていて、そのどれもがそれぞれに異なった効果の魔法を宿してる。一つの品物には一つの魔法、これも魔法使いの決まり事ね」
だいたいこんなところかな、わかった? と踊り子は締めくくる。
わかった、とユカは返事をする。
「お姉さんに出会えて僕は運が良かったな。こうして色々教えてもらえてさ」
「やっぱり巡り合わせね。今日君たちに出会う為にあたしはこの店に来たのかも」
ありがとう、とはにかみながら踊り子に礼を言い、それからユカは続けた。
「僕、母さん以外の魔法使いに会うのってはじめてだ。でもやっぱり呪使いが言うような悪い人じゃあ全然ないね。それがわかったのもすごく嬉しいや」
お母さん? と踊り子は問う。
骨の魔法使い、とユカは答える。
「……ユカ君、あの骨の魔法使いの息子さん?」
「うん、ほんとの子じゃないけどね。赤ちゃんのときに拾われて育ててもらったんだ」
恐ろしい魔女なんて言われてるけど、ほんとは世界一優しい母さんなんだ──念を押すように、あるいは自慢するようにユカは言った。
こりゃまたたまげたわぁ、と踊り子が目と口を丸くする。
「ほんっとに面白い子たちと知り合っちゃったなぁ」
踊り子は喜色満面となってそう言い、さらに続けた。
「ねぇユカ君? 君さ、将来もっともっと面白いことをしでかすんじゃないかって、なんとなくそういう気がするよ。女の勘と踊り子の勘が声を合わせてそう告げてる」
面白いことは大歓迎だ、と応じるユカ。そして二人の魔法使いは声を合わせて笑った。
その様子を、リエッキは遠くの世界を眺めるような心地で眺めている。
真面目すぎる自分と楽天家たちとのあいだに距離を感じていた……というわけではない。
同じ円卓を囲んでいるはずの二人とのあいだに、文字通り、それまではなかったはずの距離が生じていたのだった。
目に見える世界のすべてがぐらつき遠くなり、かと思えば次の瞬間には近くなる。
視界が歪んでいる。
酒場が船のように揺れている。
船のように……船酔いのような嘔吐感。
つまり、酔っ払っていたのだ。ユカと踊り子が気付かぬうちに、リエッキは度を超えて痛飲しすぎていたのだ。
「面白いついでにさ、ねぇユカ君、もう一つ聞かせてもらっていいかな?」
加速した己の拍動が耳を打つのに紛れて、踊り子がユカに問うた声が耳に届く。
「あのさ、君、この本を見つけたとき……つまり魔法使いとして目覚めたとき、どんなことを考えてたか覚えてる?」
「覚えてるよ」
ユカは即答で応じた。
一瞬だけ、彼は幸福感に満ちた眼差しをリエッキに向けた。
それから、語りはじめた。
「もしもリエッキが人間になれたら、僕は彼女を街へ連れて行ける。人間の世界を彼女に案内できる。市場に繰り出して買ったばかりの食べ物を一緒に食べて、お祭りを見物して髪飾りの一つも買ってあげられる。聴衆の前で譚る語り部としての僕を見てもらえる。一緒に蜂蜜酒を飲める。
リエッキが人間になれたら、僕はいまよりもずっと、ずっと彼女と一緒にいられる」
僕はこんなことを考えたんだよ──夢見るような口調でそう語り終えると、ユカは幸せそうににへらっと頬を緩ませた。
たまらなく、たまらなく幸せそうに。
踊り子はなにも言わずに、ただぽかんとした顔でユカとリエッキを交互に見た。
そのあとで、終始笑いの絶えなかったこの夜でも一番の大笑を彼女は破裂させた。酒場中の客がこちらを向くほどの大声をあげて、身をよじり、腹を抱えて笑う。
それから踊り子は、へべれけに酔いつぶれているリエッキの背中を覆うようにして、そっと彼女に身を寄せる。
赤く染まった耳元にそっと唇を近づけ、リエッキにしか聞こえない小声で、囁いた。
「あなた、愛されてるのね」
──その一言がとどめとなった。
瞬間、リエッキは全身の火照りが倍増するのを感じた。
身体中の血液が三倍速で循環しはじめたような、烈しい動悸を覚える。
耳に聞こえる心臓の音が、最大限に早鐘を打ちはじめる。
かくして酔いは完全に竜を支配した。
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