◆5.獣の少女とその家族

 子山猫が案内してくれた先には、待ちくたびれた顔をした母猫の姿がありました。

 髪までよだれまみれになった長女を目にした母は恐ろしいうなり声で次女をどやしつけます。

 叱られて小さくなる妹とそれを庇って母を取りなす姉の一場面があり、そのあとで、母山猫はついてこいというように尻尾を一振りして歩きだしたのでした。


 並んで先頭を行く二頭に一同が導かれた先にあったのは、海岸線に沿って盛りあがるように突きでたみさきたもと、斜面を登れば大海原を一望に見渡せる切り立った断崖です。

 山猫たちが案内したのはこの岬の断崖の裏手で、海側とは逆になる陸側の側面です。大小様々な岩が転がる不毛そのものの眺望の向こうには、断崖によって海風から守られるうちに自然に繁茂はんもしたと見える小規模に密集した雑木林があり、そして、その林の中にそれはありました。


 木々の茂みとひときわ巨大な岩の陰に隠されるようにして、おおきな洞がぽっかりと崖の壁面に口を開けていたのです。

 洞窟内は進めば進むほどに広さを増していき、そして、最後には広大な空間へと到達します。

 そこには新鮮な大気があり、斜めに見上げれば空があり、それに一望に見渡せる海があります。


 それは長い年月を波風に削られることにより完成した、いわゆる海蝕洞かいしょくどうでございました。


 なぁご、と妹が少女をつついて鳴きました。

 どう? とでも問いたげな得意顔をして。


「文句なし! さすがは私の妹だわ!」


 感動を叫んで、少女は愛する妹の毛皮に飛び込むように抱きついたのでした。


 念願は叶いました。

 こうして、少女と仲間たちは隠れ家を得たのです。


 多少湿り気はあってもそこは実に居心地の良い住居でした。

 大きくひらけている側は海に面しているので人間の目に付く心配はなく、構造的に空気がこもる心配もないので火を焚くことすら可能でした。

 またこれは先ほどの描写の繰り返しとなってしまいますが、自然にそうなったものかあるいは過去に人の手で開通されたものか、海蝕洞は断崖の陸地側へと抜ける隧道トンネルを有していたのです。

 このみちのあるおかげで獣たちは自由に狩猟や採集へと出掛け、疲れては各々自由に戻ってきて羽を休めることができました。


 仲間の持ち帰った肉や植物は洞内に貯蔵され、食べきれずに余ったものは少女が人里へと持って行って金品と交換します。

 母や妹の背に乗れば最寄りの村までは半日とかからぬのですから、地理の点でもこの住処の都合の良さがわかるというものです。


 このようにあらゆる面で利便に優れた隠れ家で、少女と獣たちは求めに求めた安らぎを満喫します。

 幼年期のすべてを費やした彷徨は、ようやく行き着くところに行き着いたのです。

 少女は小さな子供に戻ったように母に甘え、同様に妹を甘やかしました。


 安寧あんねいとはこういうものなのだ、安心とはこういうものなのだ、彼女はその味を噛みしめます。

 噛みしめて、涙さえ滲ませます。


 海からの訪問者があったのは、海蝕洞での生活が一月を越した頃でした。


 その夜、真夜中を過ぎて草木も虫も寝静まる刻限に、家族は揃って眠りから叩き起こされたのでした。

 呼び声があったのです。陸に生きるいかなる獣とも異なる声が月に吠え、海原を低く走って少女と獣たちの元へと届けられたのです。

 悪霊兎と臆病ヘビは抱き合って震えあがります。半身を起こした一角馬の背の上では、黒くない鴉が鳥目を凝らして海を睨んでいます。

 山猫たちはそれぞれが娘であり姉である少女を守るように身構えて、ぐるぐると威嚇の声に喉を鳴らしています。


 やがて、声の主は満を持して姿を現します。

 洪水のように波を立てながら海中から浮上して、挨拶代わりに高く潮を噴きあげて、その威容を家族の前にお披露目します。

 巨大な、地上のあらゆる生物を圧倒して巨大なその姿を。


 それは、陸の幻想生物たる竜と双璧をなす、海の幻想生物──クジラでございました。

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