最終テスト

 翌日。

 エレナは選考に残ったため、馬車で宮廷に向かった。

 使者の話では、八十人のうち、残ったのは三名らしい。

 審査内容については、上位三十名が後ほど発表されるとのことだ。

──それにしても、あの追加試験はなんだったのかしら。

 エレナ以外にそんな試験を受けている者はいなかったようだし、そもそも試験の難易度が違いすぎた。

──ひょっとして、秘書として再試験されたのかしら?

 皇妃が決まれば、今までと変わることも出てくる。公務も皇帝だけでなく皇妃の予定も考慮して調整しなくてはいけなくなる。

──皇妃の予定、か。

 奇跡的に選考に残れたみたいだが、エレナが皇妃になる確率はほぼないだろう。

 エレナの他の二人は一体誰なのか。

 最有力なのは、アリアだ。

 アリア自身に多少の問題はあるが、お似合いであることは間違いない。

 二人が並び立つところを想像して、エレナの心は氷に触れたかのように冷たくなった。

『エレナが、本気で取り組んでくれると嬉しい。これは、命令ではなく、俺の希望だけれど』

 アイザックの声が脳裏に響く。

 最終選考にまで残ったのだから、アイザックの望みに応えたと言っていい。

 エレナが数合わせで参加したわけではなく、本気でアイザックの人間性に魅かれて皇妃の選定に望んだと世間も納得するだろう。

──陛下。

 たった二日、職務から離れただけなのに、とても遠い人になってしまったように感じる。

 いや、もともとの距離を確認した結果になっただけだ。

 たとえ、秘書として隣にいたとしても、アイザックの傍らでともに生きることとは違うのだ。

──支えられればそれでよかったはずなのに。

 一片の可能性が残っていることで、欲が出てしまったようだ。エレナの胸は重く苦しい。

「叶わない夢は、見ても辛いだけだわ」

 エレナは馬車の外を見ながら、大きくため息をついた。




 最終選考に残ったのは三人と聞いていたが、場所は昨日と同じ白薔薇の間だった。

 選考に残ったのは、アリア・デルナール公爵令嬢、グレイス・ドラン侯爵令嬢、それにエレナ・クライツル子爵令嬢の三名。

 アリアもグレイスももともと婚約者候補だっただけに、意外でもなんでもない。

 意外なのはエレナだと、本人もよくわかっている。

 ホールには、審査員全員および、アイザックと、各大臣が椅子に座って待っていた。

 エレナたちが用意された机の前に座ると、さらなる審査が始まった。

「まずは、この国の各大臣が順番に前に出ますので、その名前と役職を書いていってください」

 つまりは、国政についてどの程度知っているか、ということなのだろう。

 皇帝の秘書をしているエレナは当然職務上、全員と面識がある。

 アリアとグレイスにとっても難しくはない問題だろう。

「では、最後の試験は、陛下とのダンスを」

 ラスコールの言葉に、エレナは苦笑する。

 皇妃は皇帝と公式な場で並び立つことが求められるのだ。それは知識的なものは当然だけれど、『社交で目立つこと』も大事だ。

「まずは、エレナ・クライツル嬢から」

「わかりました」

 順番が最初で良かったと、エレナは思う。

 他の二人と比べたら、随分と見劣りしてしまうだろう。

 エレナは淑女の礼をして、アイザックに手を伸ばす。

「力を抜いて?」

 アイザックが小声で囁くと、エレナの腰を引き寄せた。

「エレナと踊るのは初めてだな」

 いつもよりも近すぎる距離で、アイザックが柔らかく微笑んだ。

「はい」

 エレナの胸の鼓動が激しく脈打つ。動揺でステップがとびそうだ。

──最初で最後のダンスね。

 子爵令嬢である秘書が皇帝と踊る機会などもうないだろう。

 アイザックのリードはとてもうまく、まるで宙を舞っているかのように足が動く。

「好きです」

 ダンスが終わる瞬間、エレナは小声で囁く。

 かすれた声はアイザックに聞こえたのかどうか。その反応を見るのが怖くて、エレナは早々に手を離すと、アイザックから離れた。

──馬鹿だわ。私。

 アイザックは、何ごともなかったかのように、グレイスと踊り始めている。

 エレナの言葉が聞こえなかったのか、それとも取るに足らないことだったのか。

 どのみち、はっきりと自覚してしまった以上、秘書として傍にいられるかどうかもわからなくなってきた。こんな気持ちで今までと同じようにアイザックの下で働けるのか、エレナにはわからない。

 もやもやとした気持ちのまま、ふとホールの入り口の方を見ると、近衛隊の隊長のビクトル・ヒューゴーの姿が見えた。

──警備かしら?

 国の重要人物が集まっているのだ。警備の者がいてもおかしくないが、なんだか慌ただしい。

 何かがあったようだ。隊長がラスコールに何か耳打ちしている。

 ダンスが続行しているところを見ると、すぐに皇帝の耳に入れるべきことではないようだが、選定の儀式中に報告に入ったところを見ると、それなりに緊急ということだろう。

 何が起こっているのか、気になっているうちに、どうやらアイザックとアリアとのダンスも終わったらしい。

「結果を発表する前に、ゲストにも入ってもらおう」

 アイザックがポンと手を叩くと、近衛隊とともに、ドラン侯爵が入ってきた。

──まさか。

 このタイミングで侯爵が呼ばれるということは、選ばれたのはグレイスということだろうか。

 エレナは驚いてアイザックの顔を見る。

 その瞳は、驚くほど冷静で冷徹な光を宿していた。アイザックが何かを決断する時の目だ。

 結婚相手を決めることも決断には違いないが、それにしてはどこか怒りを感じさせる。

 ドラン侯爵が呼ばれたことで、グレイスは既に勝ち誇った笑みを浮かべた。今にも笑い出しそうだ。

「まず、選定の試験の結果を私の方から申し上げましょう」

 ドラン侯爵が着席したのを待ち、ラスコールが話を始める。

「昨日のペーパーテストですが、グレイス・ドラン嬢が満点でトップ、続いて、アリア・デルナール嬢。三位がエレナ・クライツル嬢でありました」

 ラスコールは息を継ぐ。

「その後、マナー、言語、ダンスなどのテストを行った結果、総合的にグレイス・ドラン嬢が一番高いという結果になりました」

「まあ」

 グレイスが喜びの声をあげた。

「しかしです」

 ラスコールは、険しい表情になった。

「まず、選定試験の前に問題の流出があったことが確認されております。そして、審査員の一人が買収を受け、審査得点をごまかし、さらにはペーパーテストをすり替えるという不正が行われました」

「何を言っていらっしゃるの?」

 グレイスが眉間に皺を寄せる。

「おかしいなと最初に私が感じましたのは、昼食時のマナー審査の際、グレイス・ドラン嬢は周囲に聞こえるほどの声でエレナ・クライツル嬢を貶めたにもかかわらず、減点は何もされていなかったことです」

「そんなの、言いがかりだわ!」

 グレイスは声を荒げた。

「お気づきになっておられなかったかもしれませんが、あの日。審査員が見て回るということで、どのテーブルも食器の音が聞こえるほど静かで、歓談の声がしていたのは、グレイス・ドラン嬢とエレナ・クライツル嬢のいたテーブルだけだったのです。そうですね、デルナール公女どの」

「ええ。私のテーブルもみな言葉少なめでした」

 アリアは頷く。

「ですから、秘書さんとグレイスさんのやりとりは、全部聞きましたわ。審査員もいらっしゃるのに、随分と奔放なことをおっしゃるものだと思いました」

「たいしたことは何も話していないわ。ただの言葉のやり取りじゃない。食事中に会話を楽しんで何が悪いというの?」

 グレイスはアリアの方を睨みつける。

「私たちは皆、会話を楽しむ余裕がなかったの。おそらく秘書さんもね。そういえば、あなたは、どうしてそんなに余裕があったの?」

「……食事中に会話を弾ませるのは淑女として当然のことじゃない」

 グレイスは不機嫌に答えた。

「ちょっと、待て、これはいったいどういうことだ。うちの娘が何をやったというのだ!」

 ドラン侯爵が憤慨し、大声を出すと、近衛兵が抜刀しドラン侯爵の首筋に当てた。

「娘はたいして何もしていないのかもな。したのは、侯爵、お前の方だ」

 アイザックがふんと鼻を鳴らした。

「マナー審査の点数操作ぐらいなら、大したことはない。決定的なのは、満点をとったグレイス・ドラン嬢の答案用紙の筆跡は、間違いなくエレナのものだったことだ」

「私の?」

 エレナは耳を疑う。どうしてそんなことがあり得るのか。

「逆にエレナ・クライツルの名の答案用紙はその名前部分も含めてすべて、エレナのものではなかった。俺は毎日エレナの字を見ている。見間違えるわけはない」

 座っているエレナの肩に、大きなアイザックの手がのせられる。その手はとても温かく、エレナの胸は熱くなった。

「念のため、今日書いていただいたお二人の字と昨日の答案用紙の字、筆跡を確かめさせていただきましたが、答案用紙がすり替えられていたのは間違いございません」

 ラスコールが答案用紙を手にして答える。

「採点を担当していた審査員が不正を認めました。侯爵、あなたから金銭をもらったこともです。残念ですが、ドラン侯爵家は、皇室の大切な行事に泥を塗ったことになります。お二人とも厳重な処分をさせていただきますので、お覚悟を」

「待って! 私はただ、陛下のことが!」

 グレイスが泣き叫ぶ。

「お前が、私と陛下の逢瀬の邪魔をするから!」

 立ち上がったグレイスは、エレナに飛びかかろうとした。が、その手がふれる前に近衛隊長のヒューゴーに取り押さえられる。

「連れていけ」

 アイザックが冷たい声で命じると、ドラン親子はそのまま連行されていった。

 


 

 

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