試験
受付を済ませると、ホールに入り決められた座席につく。
席次は爵位順なので、エレナは後ろの方だ。
これは当然だろう。普通に考えれば、試験会場が違ってもおかしくない。
どの令嬢も美しい流行のアフタヌーンドレスをまとい、窮屈そうに学生が座るような粗末な椅子に座っている。
噂によれば、この一か月、あちこちの令嬢が家庭教師を雇って勉強をしたという話だ。
貴族の子女、特に上位の子女は、ほぼ家庭教師について勉強することが多く、学校に通う者はマレである。伯爵以下の家の娘ほど、就学率が高い。もちろん、学校に行くことそのものが学力とイコールになるわけではない。単純に、質の良い家庭教師を何人も雇うのは上位貴族にしかできないという事情もある。
また、エレナのように国学院に行くものはまれで、どちらかといえば、家政婦業について学ぶ学校の方が人気がある。下位貴族の女性は、上位貴族の侍女が大きな就職口だからだ。
「……というわけで、優秀な成績をおさめれば、良き縁談があるだろう」
ラスコールが挨拶を閉める。
つまりある程度の成績をおさめるとその実績は公表されるらしい。
公表されないにせよ、選考をする審査員は上位貴族で占められている。
──なるほど。さすがラスコールさま。
たとえ皇妃に選ばれなくても、良縁の可能性があるとなれば、皆やる気になるだろう。また、縁に結びつかなくても、高い教養は証明される。下級貴族の子女にとっては、仕事を得るきっかけになるかもしれない。
──ということは、下手なことをすれば、私は秘書を首になるかもしれない。
さすがに、アイザックの言う『本気で取り組んでくれると嬉しい』というのは、そういう意味とは違うとは思うけれど、あまりに無残な結果となったら、あり得なくもない。
エレナは、アイザックにとって、唯一無二ではないのだから。
配られる問題用紙を受け取り、エレナは姿勢を正した。
どんな問題が出るかと思っていたのだが、エレナが思っていたより易しい問題だった。
簡単な計算、帝国の地理と産業、そして歴史が主で、皇帝の公務を補佐していたエレナには、日常で使用している知識がほとんどだった。
ただ、問題の一番最後に隣国エイドラ語で、『食事の際、飲み物を聞かれたら『水』を頼むこと』と書いてあった。
ペーパーテストが終わると、テーブルマナーを見るためのランチがある。どうやらマナーだけでなく、細かなテストが続くようだ。
エイドラ王国は、帝国と交流が深い。王族を招くこともあるから、皇妃たるもの簡単なエイドラ語を理解していてほしいということなのだろう。
ランチは、百合の間と呼ばれるホールで、十人ずつグループ分けされて座っての食事だ。
グループは貴族の派閥に考慮して作られているらしく、エレナのテーブルには、グレイス・ドラン侯爵令嬢とその取り巻きが多く配置されていた。
食事中、審査員たちが各テーブルを回り、時には、質問をすることがあるということで、奇妙なほど静かな食事会になっている。
「お飲み物は何にいたしましょうか?」
回ってきた使用人に、エレナは『水を』と、エイドラ語で頼んだ。
「わざわざ、異国語でご注文なさるなんて、そんなに知識をひけらかしたいのかしら。売り込むことに必死ね」
グレイスが取り巻きの令嬢に話しかける。
彼女は以前からアイザックに言い寄っている令嬢だ。美人だが、思い込みが激しく、かなり気が強い。
何かといえば、アイザックの執務中に訪問しようとしたりするので、秘書のエレナとしては随分と対応に苦慮している相手である。
彼女からすれば、いつも邪魔している秘書という認識だろうから、好かれていないのは間違いない。
「お気に障ったのでしたら、申し訳ございません」
言葉だけは丁寧に謝罪しつつ、エレナはにこりと微笑む。
侯爵家の令嬢に喧嘩を売るつもりは毛頭ないが、指示に従っただけでそれをどうこう言われても困る。
どうやら、グレイスはエイドラ語がそれほど得意ではなく、問題の最後に書かれた指示を読めなかったようだ。
──案外、難しいものなのかしら。
エレナはそれほど語学に自信はない。もっとも、比べる対象が語学の天才、兄のディックという時点で、普通とは違っているのだが。
「お飲み物をお持ちいたしました」
給仕の使用人が、用意されたコースターを置いて、グラスを置いていく。
コースターには、エイドラではなく、もう一つの帝国の隣国であるデルダ公国の文字で『食後は、これを持って白薔薇の間に戻ること』とかいてある。
どうやら、書かれているのはエレナだけではなく、全員のコースターに書かれているようだ。
細かく、どの言語がわかるかチェックしているのかもしれない。
──さすがに、味がしない気がするわ。
食べている姿を、審査員たちがチェックして歩いているので、豪華な食事も喉に通らない。
そこへ行くと、グレイスは完璧な所作で食事を続けている。
彼女のような上位貴族は、人に見られて食事をすることにも慣れているのだろう。
「この味はとても上品ですわ」
「グレイスさま、こちらはエビがぷりぷりしております」
和やかに、取り巻きの令嬢たちと話している。
会食の雰囲気づくりが上手い。さすが侯爵令嬢だ。
「お口にあいませんか? クライツル殿」
「ラスコールさま」
審査員の一人である、ラスコールがエレナに声をかけてきた。
「いいえ。どれも美味しいです。ただ、緊張してしまって、のどに通らないだけです」
「意外ですね」
ラスコールが苦笑する。
『お水を頼まれたようですが、他のお飲み物をお持ちいたしましょうか?』
突然、ラスコールがエイドラ語で問いかけた。
『いいえ。これで十分です』
エレナは答える。どうやら「水」を頼んだ人間が本当にエイドラ語を理解しているのか、確認しているのかもしれない。
『他の方に、質問内容を聞かれても、お答えになりませんように』
ラスコールはにこやかに念を押す。
『承知いたしました』
エレナは頷く。
ラスコールが去ると、グレイスが憎々し気にエレナの方を見ていた。
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