理解という名の無理解
婚約者選定の儀式の日がやってきた。
エレナは、いつもとは違う流行の淡いブルーのアフタヌーンドレスを着用し、兄が出してくれた馬車で宮廷へと向かう。
会場は、白薔薇の間と呼ばれるホールだ。かなり広いホールで、よく皇室が夜会を開催する場所だ。
天井には、国家創生の物語が色鮮やかに描かれている。単に広さというよりは、この婚約者選定の儀式の格式を上げるためにこの場所を選んだのだろう。
参加する令嬢は、招待状より何故か多いみたいで、八十人を超えていそうだ。
令嬢たちは、美しいドレスをまとい、受付に並んでいる。
ホールには既に机がいくつも並べられていて、試験会場のような雰囲気を醸し出していた。
会場の奥には、アイザックとラスコールが既に座っている。どうやら、参加者に最初に挨拶をするのだろう。
アイザックの姿を認めた時、エレナは先日のキスを思い出し、思わず俯いた。
未だに何故キスをされたのかわからない。
『エレナが本気で取り組んでくれると嬉しい』
アイザックの言葉をそのまま受け取るなら、選定の儀式でエレナに勝ち上がってほしいということだろう。
──手を抜くつもりなんて、最初からなかったけれど。
自分が選ばれたいのかと聞かれたら、言葉に窮する。可能性のないことを望んでも辛いだけだ。
けれども。いままで、アイザックは戯れにキスをすることなどなかった。だからこそ、戸惑う。
──陛下が私を望んで下さっている……わけはないわよ、ね。
突然のキスは驚いたけれど、嫌ではなかった。むしろ、もっと触れてほしいと思った。
だが、アイザックにとって、エレナはただの秘書でしかないはずで、多くを期待するのは怖い。
「あら。秘書さんよね。あなたも参加なさるの?」
「アリア・デルナール公女さま、お久しぶりにございます」
声をかけられて、エレナは慌てて頭を下げる。
アリア・デルナールは、婚約者候補の筆頭だ。家柄はもちろん、長く美しい金髪、碧い瞳を持つ美少女で、教養ももちろん申し分ない。
年齢は十八歳。年齢は少し離れているが、問題があるほどではないし、名前も何度も上がっている。
もっとも、噂では、アリア本人が皇妃になる気がないと何度も辞退していると聞く。
招待状はもちろん出したが、彼女が参加するとはエレナは思っていなかった。彼女であれば、こんな儀式をする前に婚約することは可能だったはずで、相手がデルナール公爵の娘とあらば、アイザックも拒むことはなかっただろう。
「そうよねえ。主君の秘めた恋を守るためだもの。あなたも当然参加するわよね」
「え?」
アリアは、にこやかに笑い、エレナの手を取った。
「私もね。秘められた哀しい恋を守るため、仮初の花嫁になろうと思っているの!」
アリアはうっとりとした目で、ホールの奥に座っているアイザック達を見つめる。
「仮初の花嫁?」
何を言っているのだろうか。
「あの……陛下は、普通に婚約者を選ぼうと」
「いいの。わかっているから、黙って?」
アリアは可愛らしい仕草で口の前に指を立てた。
「事情をよく知っているあなたが、参戦するってことは、そういうことでしょ。あなたなら、何があっても陛下を守るって、知っているもの」
「それは、そうですけれど」
どうやらまずい誤解を受けたのではないかと、エレナは焦る。
周囲にいるアリアの取り巻きの令嬢たちも、頷いているところを見ると、一定人数、誤解している層がいるようだ。
「まるで『すみれの咲く季節に』みたいよね」
アリアの目がうっとりしている。
「すみれの咲く季節、ですか?」
エレナも聞いたことがある。最近、貴族子女の間で大流行している『禁断』の恋愛小説だ。確か、主人公の男性は、政略結婚で女性と結婚したものの、男性の恋人がいるという話らしい。
ベストセラーではあるが、エレナは恋愛小説をあまり好まないので未読だ。
小説自体は、最終的に『妻』となった女性が嫉妬のあまり、男性の恋人を殺傷する悲劇の物語らしい。
「大丈夫よ。私が妻になっても、あなたと同じように陛下の恋を守って差し上げるわ!」
「いえ、あの、陛下は別に」
エレナは焦る。
今回の婚約者選定の儀礼は噂を払拭するためのものだった。それが無理でも、噂を信じている令嬢は参加しないと思われた。
もちろん皇妃になれるなら、どうでもいいと思う者がいることは想定していたが。
「悲劇が起こらないように、理解ある人間が残れるようにお互い頑張りましょう」
「ええと」
つまりアリアは、自分が愛されない結婚だと思っているのだろうか?
「誤解です。陛下はそのような無責任な結婚をなさいません」
「いいの。わかっているから」
アリアはにこりと笑って、受付へと歩いて行った。
──陛下、どういたしましょう?
エレナはアイザックの方に視線を送る。
アイザックはラスコールと談笑していて、こちらの様子には気づいていないようだ。
──お二人で話しているのは、まずいですって!
一部の令嬢たちがうっとりしているところをみると、噂はさらに大きくなりそうな気配がする。
それにしても。
──陛下は、もしラスコールさまのことが好きだったとしても、飾りの妻をつくって、外聞を取り繕うような真似はなさらない方なのに。
考えようによっては、皇妃の座だけ求めるよりも、皇帝の人間性に対する侮辱ではないだろうか。
きっと、まだアリアは子供なのだ。育ちの良いお嬢さまで、世間というものがわかっていない。
だが、能力的にも地位的にも、アリアは最有力候補だ。外見も非の打ちどころがなく、アイザックに愛されても不思議はない。
アイザックに愛を囁かれれば、彼女もまた、素直に彼を愛するようになるのかもしれないとも、エレナは思う。
──でも、なんだかもやもやするわ。
それが、アイザックの人間性を理解してもらえてないことへの怒りなのか、彼女に対しての嫉妬なのか、判別をつけられないが。
エレナは小さくため息をついて、受付へと足を向けた。
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