お茶会
アイザックの様子がおかしい──エレナは首を傾げる。
選定の儀式が近づいてきて、どうにも落ち着かないようだ。
「中庭を散策する。エレナも同行するように」
皇帝の執務の合間の休憩時間に中庭を散策することはこれまでにもあったが、同行を求められたのは初めてのことで、エレナは戸惑う。
宮廷の中に作られた中庭は、季節の花が咲き乱れている。この庭園は皇室専用であって、中に入ることを許されるのは、庭師くらいだ。
長い宮廷勤めのエレナも、ほぼ入ったことがない。
「こっちだ」
アイザックはエレナの手を取り、歩きだす。
「へ、陛下?」
当たり前のように手をつながれて、エレナは頭が真っ白になった。
アイザックとしては、子供の手を取るような感覚なのかもしれないが、エレナとしては意識してしまう。
心臓が早鐘を打ち、全身が熱くなってくる。
「ちょっと迷路になっているから」
どんな顔をしてアイザックがそう言っているのか気になったけれど、エレナとしてはおそらく赤いであろう顔を見られたくなくて、俯いてしまう。
アイザックの話の通り、中庭は少し迷路構造になっていて、はぐれてしまったら少し面倒なのは事実だが、それでも、手をつなぐ必要はないはずだ。
とはいえ、それをアイザックに指摘する余裕はエレナにはない。
──手に汗をかいてしまっているかも。
胸がドキドキしてしまい、思考がうまくまとまらない。
「お茶を用意してもらっているんだ」
垣根で作られた迷路を抜けた先は百合園になっていた。
咲き誇る花に囲まれたテーブルには、美味しそうなお菓子とお茶が用意されている。
「母上はよくここでお茶会をするらしい」
「ここが皇太后さまの花園ですか」
話には聞いていたが、エレナのような下位貴族の令嬢には縁のない場所だ。
「座って」
アイザックはにこやかに椅子を引く。
「そんな」
皇帝に椅子を引かせてしまい、さらに同じテーブルにつくというのは、やはりエレナとしては申し訳ない気分になる。
「いいから。エレナと一緒にお茶をしたいから早く座れ。大丈夫。他には誰も見ていない」
「ですが」
さすがに同席は恐れ多い。さらにいえば、アイザックは未だ独り身であり、婚約者選定の儀式を控えた身だ。
アイザックとしては、エレナ相手ならスキャンダルになりっこないと思っているのかもしれないが、やはり醜聞になりそうなことは避けたほうがいい。
「エレナは、俺の命令が聞けないのか?」
アイザックはじろりとエレナを見る。命令と言われてしまうと、エレナとしては逆らえない。
「……わかりました」
周囲に人がいないことを確認して、エレナは遠慮がちに座る。
「エレナは……命令なら、聞いてくれるのだな」
アイザックは苦笑する。
「それは……当然です」
アイザックは皇帝であり、エレナの主君だ。
「陛下が望まれるなら、命も惜しくありません」
「うん。エレナが俺を大事にしてくれているのは知っている。俺の求めているものと、ちょっと違うけれどな」
「求めているものと違うとはどのような?」
エレナは恐る恐るたずねた。
知らぬうちに、アイザックの意に染まぬことをしているのだろうかと、エレンは不安になる。
「気にするな。とりあえずお茶にしようか」
アイザックは少し寂しそうに微笑むと、ティーカップに手を伸ばした。
積み上げられた書類を整理し終えると、エレナはため息をついた。
選定の儀式まで、あと二日。
日付が近づくと、エレナは疎外感を感じはじめていた。
本来なら、儀式の準備で大忙しのはずなのに、その業務から外されてしまっていて、あのお茶会以来、あまりアイザックとゆっくり話す機会がない。
立て続けに儀式の会議が入ると、その間は、開店休業の状態で、仕事をさせてもらえないのだ。
むろん、公務についてエレナがすべて把握する必要もないし、してもいない。
ただ、選定の儀式については、エレナが発起人でもある。完全な部外者扱いは、寂しいものがある。
もっとも、徹底した機密扱いは、参加者全員にであるから、公平を期する点でエレナを『特別』にはできないのだろう。
参加規模については、五十人ほど。選考日程は、二日間。
最初はペーパーテスト。その後、どんどん人数が振り落とされていくらしい。
ちなみに、選定の儀式の二日とその前日は、エレナは仕事を休むことになっている。
つまり、明日から三日は仕事から離れるのだ。
当日はともかく前日の休みは必要ない気もするが、兄のディックによれば、前日はしっかりと身体を磨き、肌を整えなければいけないらしい。
そこまでしたところで、とはエレナは思うのだが、万全の体制で臨むのが陛下への礼儀と言われれば、その通りだ。
──それでも、三日も休むなんて。それも、行事ごとがあるというのに。
エレナは秘書になってから、あまり休暇をとったことがない。
アイザックはエレナ以外の秘書を雇っていないこともあって、休んだら仕事が溜まってしまう。
もちろん、秘書がいなくても、アイザックはなんとかするのだろうけれど、それはそれで、自分が必要なくなってしまう気がしてしまうのだ。
──あら、こんな時間だわ。
手元の懐中時計に目をやり、エレナは立ち上がる。
あともう少しで、会議の時間だ。本来なら、その後の議事録のまとめなどをしなくてはならないのだが、選定の儀式の打ち合わせに関してエレナが携わることは禁止されている。つまり今日のエレナの業務はこれで終わりだ。
「陛下、そろそろ移動のお時間です」
アイザックの執務室に入り、声をかける。
「ああ、そんな時間か」
アイザックは書類を書く手を止めて、顔を上げた。
「エレナは明日からお休みだったな」
「はい」
掛けてあった、アイザックの上着を渡しながらエレナは頷く。
「三日もエレナが傍らにいないなんて、何年ぶりだろうか」
アイザックが苦笑する。
「そんな大げさです」
エレナは答えるが、よく考えれば、この仕事についてからというもの、連続した休暇というものをとっていなかったように思う。
アイザック自身が保養地で休暇をとる時でも、常に傍らについていた。
エレナにとって、アイザックの側で仕事をすることは少しも苦痛ではなく、むしろ、傍にいないことの方が辛いようにも思う。実際、ちょっと業務から外されている今の状態ですら、辛いのだ。
「エレナがいない日常なんて想像がつかない」
「私もです。陛下」
エレナは苦笑する。仕事をしていない自分が想像つかない。
本当は儀式の最中も、アイザックの傍に控えて、その公務のフォローをしたいと思ってしまう。
「まあ、俺は今でも足らないと思っているけれどね」
アイザックは言いながら手を伸ばし、エレナの頬に触れる。
アイザックの瞳が優しく甘やかなことに気づき、エレナの心臓が早鐘を打ちはじめた。
「エレナが、本気で取り組んでくれると嬉しい。これは、命令ではなく、俺の希望だけれど」
「陛下?」
アイザックの顔が近づき、エレナの唇にアイザックのそれが重なる。
「それじゃあ、選定の儀式で」
アイザックは固まったままのエレナに微笑み、会議へ出るために扉を出て行く。
──私、陛下にキスを、されたの?
唇に残る感触を指でなぞりながら、エレナはしばらくそのまま立ち尽くしていた。
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