優秀な秘書

 財務に詳しい秘書が欲しい──エレナがアイザックに仕えることになった理由だ。

 財務長官のカリスからエレナを推薦されたとき、アイザックは内心舌打ちした。

 ベテランを紹介されると思いきや、財務局に入ったばかりの新人で、しかも若い女性だという。

 カリスと共にやってきたエレナを見た時、アイザックはカリスが、余計な気を利かせて『見栄えの良い』人間をセレクトしたのではないのかと疑った。

「エレナ・クライツルです」

 そう名乗ったエレナは多くの財務局の職員と同じように、上着にベスト、半ズボンにストッキングというスタイルだった。

 男ものではあるが、男性ではありえない体のライン。胸もとは大きく膨らみ、腰は折れそうに細い。ぴたりと肌に張り付く半ズボンは太ももの形をあらわにしていて扇情的だ。

 カーキ色の髪は後ろに結い上げていて、首筋のラインがなまめかしい。

 男のような格好をしているのに、否、男のような格好をしているからこそ、より女性を感じさせる。

 派手さはないが、非常に整った顔立ち。目には深い知性の光が宿っていた。

「アイザックだ。早速だが、ここ数年の貿易収支についてまとめてもらいたい」

 挨拶もそこそこにアイザックは仕事を命じた。

 見栄えだけの秘書なら、早々に首にしようと思ったからだ。

 しかし、エレナはあっという間にアイザックが求めていた資料を作り上げた。ほんの数日で、アイザックはエレナに対する考えを改め、信頼するようになっていった。

 エレナは財務に強いだけでなく、語学も堪能、地理や歴史にも詳しい。

 積極性こそあまりないが、各部署と連携するコミュニケーション能力も高い。

 働く女性だからだろうか?

 夜会でアイザックに寄ってくる令嬢たちと違って、上目遣いで身体を押しつけてくることもない。

 むしろ、アイザックの手が少し触れたりすると、赤面して戸惑う仕草を見せる。

 男性社会で男性以上に働いているにも関わらず、男慣れしていない。

 秘書になってからは、男の格好をやめ、服装は単色の地味なドレスをまとうようになった。女の武器を使わず、それでいて女性らしさを失わない。仕事は誰よりも早く的確だ。

 ──彼女以外は、考えられない。

 秘書としてはもちろん、女性としても。

 本来は皇太子の間だけの契約だったが、皇帝になってもアイザックはエレナを手放す気はなかった。



 婚約者の選定の儀式が行われることになり、周辺が騒がしくなっている。

 アイザックにとって、ラスコールの話自体も衝撃的であったが、エレナに『女性嫌い』と思われていたことが意外だった。

 確かに夜会などで女性を避けてはいる。だが、それは一部の女性が苦手なだけだ。

 そもそも、女性が嫌いなら、なぜエレナをそばに置いていると思っているのだろうか。

 事あるごとにエレナを必要としているアピールをアイザックはしてきたつもりだったが、それはビジネス面のことだと受け流されてきたことをはっきりとつきつけられたと言える。

「なんとか、彼女を参加させることができたようですね」

 アイザックの執務室に、選定の儀式のことで打ち合わせに来たラスコールは楽しそうだ。

 普段なら、秘書であるエレナも同席するところだが、参加者だからという理由で、ここにはいない。

「本人は、人数合わせのつもりみたいだが」

 アイザックはため息をついた。

「俺はそんなに魅力がないのだろうか」

「陛下を崇拝しているのは間違いないと思いますが」

 ラスコールは苦笑する。

「クライツル家は子爵家です。おそらく身分違いで無理だと考えてもいないのでしょう。彼女のようなタイプは、陛下の方からアピールしなければ、絶対に駄目だと思いますよ」

「いや、しかし、俺から迫ったら、エレナは絶対に断らないだろう? 好き嫌い関係なく」

 エレナはアイザックが望めば、よほど人としての道を外れない限り承諾するに違いないと、アイザックは思う。

「いっそ、手を出してしまえばよろしいでしょうに」

「……嫌われたくないんだ。俺は正式に結婚を申し込んで、彼女に受け入れられたい」

 命じて妻にすることは簡単だ。エレナはきっと拒めないし、拒まない。

 ただ、それはしたくなかった。

「クライツル子爵に断られたのは痛かったですね」

「ああ。側妃でなければ、許可できないとか、普通、言わないだろう? なぜ正妃はだめなのだ? 皇帝の俺が子爵家に縁談を断わられるっておかしいじゃないか」

 皇帝になってから、アイザックはひそかにエレナの父に自分との縁談を打診した。

 子爵は、『恐れ多い』の一点張りで、『娘の許可がなければ絶対に無理』『子爵家の娘が正妃なんてとんでもない』と突っぱねたのだ。

 実際、子爵家の子女であるエレナが皇妃になるとなれば、相当の反対が予想される。

 子爵に欲がないというよりは、娘をそんな荒波に放り込みたくないというのが本音だろう。

「しかし、何故、父親から手を回したのです?」

「貴族の結婚は親を通さねばまずいだろう」

「それはそうですが、政略結婚でもないのに」

 ラスコールは肩をすくめた。

「まあ、身分差の問題は儀式を勝ち抜けば解消しますよ。クライツル子爵も儀式で選ばれたのであれば、反対はしないでしょう。当然、議会もね」

 上から下までの令嬢を一堂に集めた上で選ぶのであれば、どこからも文句は出にくいだろう──たとえ、アイザックの気持ちが最初から決まっていたにしろだ。

「問題は、彼女が本気で挑んでくれるかどうかですけれど」

「それは……」

 儀式の審査内容は、エレナなら簡単にクリアできるだろう。ただし、あくまで本気ならば、だが。

「儀式までに、真剣に落としにかかった方がよろしいですよ、陛下。彼女が放棄しても、儀式で皇妃を決めますからご覚悟を」

「……わかっている」

 アイザックは婚約者選定の儀式のレジメに目を落とし、大きく息を吐いた。

 

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