準備って必要ですか?
婚約者選定の儀式の内容については、参加者には秘密ということになり、エレナは儀式に関する業務すべてから外れることになった。
本来ならば、会場や必要な物の手配などすべき事務は山ほどあるのだが、事前に内容を知ってはフェアでないということらしい。
「お前が参加すると聞いたのだが、本当か?」
「はい。参加資格がある以上、私も出るべきだと陛下はお考えなので」
宮廷に勤める者たちは、その身分にあわせて食堂で食事をとる。
エレナは皇帝付きの秘書なので、官庁務めの役人たちと同じ食堂だ。
今日はたまたま、外務局の高官である兄、ディックと時間が一緒になった。
ディックは、エレナの二つ上の二十七歳。そのたぐいまれな語学力を買われ、外務局で異例の出世を果たした男だ。顔は『見ようによってはハンサム』という程度、家柄もそれほど高くないが、その才能と社交性の高さもあって、かなりモテる。
先日ようやく伯爵令嬢と婚約し、社交界をにぎわせたばかりだ。
「思った以上に、例の噂のことを気になさっていて、参加者が少ないのではとご心配されているようです」
エレナはため息をつく。
エレナ一人参加したところで、賑やかしにもならないけれど。
「そんなはずはないだろう? むしろ既に婚約者のいる女性も参加しようとしていると聞くぞ?」
「ですよね」
アイザックは皇帝だ。しかも優秀で、外見も美しい。人間的にも素晴らしく、女性に忌避される要素などないのだ。
「それで、お前、準備は出来ているのか?」
「準備?」
「ドレスだよ!」
ディックに言われて、エレナはようやく気が付いた。
婚約者の選定の儀式ということは、夜会並みにめかしこむ必要がある。
「その家庭教師みたいなドレスで出るつもりか?」
ディックは呆れたような顔をする。
「……やっぱりダメですか?」
「当たり前だ。そんな格好で参加したら、いかにも数合わせだ。お前は陛下を笑いものにするつもりか?」
ディックは手帳を取り出すと、ブティックの住所を書いてエレナに渡す。
「その店に連絡しておくから、採寸しに行くように。ドレス代はオレが出すから」
「でも……」
「クライツル家に恥をかかせるな。お前がクライツル家の子女として参加するなら、フォローするのは当然だ」
ディックの言うことはもっともだ。
エレナとしても実家に迷惑をかけるつもりはない。ただ、他の令嬢と同じように美しいドレスを着ることにためらいがある。
女を感じさせない地味なドレスだから、皇帝の『秘書』でいられた。美しいドレスを着たら、エレナは他の令嬢の中に埋没してしまうだろう。その事実を認めたくないのだ。
「参加する限りは、本気で選ばれるつもりでなければ、陛下に失礼だろう?」
「それは、そうですが」
とはいうものの。参加する令嬢のほとんどは『想い出作り』なのではないかと、エレナは思う。
選ばれるのは一人だけなのだから。
「少なくとも学力の関係するところで手を抜くと、すぐばれるぞ」
ディックは大きくため息をつく。
「お前が国立学院の首席だったことは有名だ。噂ではペーパーテストもあるらしいからな」
「……はあ」
現在、国立学院の教授たちが試験問題を作っているらしい。ラスコールの指示だろうけれど、教授が作るとなると、かなり本気の学力テストになるだろう。
「少なくとも、今の仕事を続けたいのであれば、『誠意』を見せないと陛下の信用を失いかねないぞ」
「わかっています」
エレナは苦笑する。
「ひょっとして、兄さんは、私を皇妃にしたいと考えていますか?」
「……それはない。陛下が『義弟』になるなんて、恐れ多すぎる」
ぶるぶるとディックは身体を震わせた。
クライツル家は子爵家だ。どう考えても釣り合わない。身の丈に合わない『夢』を見ることは不幸の始まりだと、ディックは考えているようだ。
「お前の方はどうなんだ?」
「私ですか?」
エレナは考え込む。
普通に考えて、子爵家出身で、しかも地味で目立たないエレナが選ばれる可能性など無きに等しい。
「そんなこと、考えてもおりませんでした」
エレナはただの数合わせだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
「そもそも私が選ばれるハズなどありませんし」
アイザックは、エレナを女性だと思っていないはずだ。
「そうだろうか」
ディックは首を傾げる。
「少なくともお前は嫌われていない。お前は、陛下をどう思っているのだ?」
「どうって、言われましても」
エレナは戸惑う。
アイザックのことは誰よりも尊敬していて、全てを捧げても良いと思っている。ただ、妻になりたいかというと、わからない。そのようなことは、ずっと考えてはならないと自分自身に禁じていたことだからだ。
「私にとって、陛下は私の全てですけれど、だからと言って今以上の関係を望んでいるわけではありません」
「陛下がお前を望んだとしたら?」
「……仮定で話すようなことではありません」
エレナは頭を振る。
「お前は、欲がないな。自分の気持ちをごまかすのに慣れ過ぎているのかもしれないが」
ふうっと、ため息をつくと、ディックは、エレナの肩をポンと叩いた。
「儀式が終わって、仕事を続けるのが辛くなったらいつでも辞めていいからな。それから結婚したくなったらいつでも言え」
「私はもう適齢期を過ぎておりますよ」
「おれの人脈をなめるな。それに、お前は自分が思っているよりモテるぞ」
ディックの言葉にエレナは曖昧に頷く。
アイザックの隣に立つ女性が決まったとしたら、エレナの気持ちに変化が起こるのだろうか。
今まで、エレナはある意味でアイザックにとって『特別な女性』であった。ただ、エレナとアイザックの関係はビジネスだ。エレナの代わりはいくらでもいる。唯一無二の女性ではない。
唯一無二の女性の前で微笑むアイザックを見たら、本当の特別を得た女性の前で、自分はどう思うのか。
エレナにはまだ、想像がつかなかった。
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