#30.自他の境界・コダワリのはなし

 リワークの座学で『自他境界』という言葉を聞きました。ざっくり言うと自分と他者、その境界が曖昧になると大変ですよ、というはなし。


「ストレスや過労などにより、自分と他人の境界が曖昧になることは少なくありません。もちろん、頭では自分は自分、他人は他人と理解しているのですが、認識として曖昧になることがあります」


 工藤さんの説明を聞いてみたものの、ちょっと難しい感じ。自分と他人は違うもの、それは至極当然に思えます。それが曖昧になる……?


「例えば、自分ができることは他の人もできるハズ、或いは自分のことを分かって貰えない、という感覚でしょうか」

 ふむ、ふむ。

「結果、他者にコダワリりを強いてしまったり、自身も強いストレスを感じることになります」


 なるほど、そういう話もあるんだなぁ。僕にはよく分からないけれど。


「では、少しご自身を振り返ってみましょうか。例えば、人に対してこう感じた事はないでしょうか」


 そう言葉を続けながら、工藤さんはホワイトボードに書き込みました。


・なぜ、あの人はこんなことが出来ないんだろう?

・なぜ、あの人はあんな風に振舞うのだろう?

・それに対する強い不満や、怒りなど


 カバネくん思いっきり心当たりますよねってはなしでして、仕事で大いに不満だったのは目上の方、つまり上司や先輩の振舞いでした。いや、会社だけなく学生の頃からそうだったかも。


 上司や先輩に対して『かくあるべき』という考えが強い。これは自分自身に対しても。

 後輩や部下への接し方はもちろん、プロジェクト・マネージメントやリスク管理、判断力、責任感、組織力などなど……自分の思う水準に上司が至らないと、かなりのストレスを感じていました。


 一言でいうと『なんで先輩のクセにでけへんねん!』みたいな。うわぁ、なんだか改めて文章にしてみると怖い部下ですね。クワバラクワバラ。一方、後輩や部下にはそんな気持ちはなかったかも。失敗しようがミスをしようが『ええんやで』の精神、そこをカバーするのが僕の役割とさえ感じていました。


 つまり、僕は目上の方に変に求める水準があり、しかも厳しめ。もう少し踏み込んで言うと、自他の境界が曖昧だった……のかしら?


「実際、他者に不満や怒りを覚えることは誰でもあります。ですが場合によっては認知の歪みであったり、自他境界が曖昧になっているのかも知れません」


 そう、工藤さんは続けました。うむむ、まだ難しいけれど、頭では何となく理解できたかも。


「加えて自分自身のコダワリが強いと、それを相手に強いてしまうケースもあります。自分がどんなコダワリを持っているのかを、理解するのも一つです」


 この『コダワリ』という言葉には何か刺さるものがあり、自分でも考えてみることに。方法としては、認知行動療法でいう『価値観の掘り下げ』という取り組みで、心地良いと感じる言葉を羅列してみたの。例えば、


『義を見てせざるは勇無きなり』


 好きなんです、この言葉。

 そしたら今度はなぜ心地良いと感じるのか、を掘り下げてみる。流石に1人では難しくって、リワーク後にお時間をいただいて療法士さんに手伝って貰いました。例えばこんな感じ。


・なぜこの言葉が好きなのか?

 ↓

・自分の性格に合っているから?

 ↓

・正しい事への欲求が強いから?

 ↓

・本来の自分は正しくないから?

 ↓

・ダメな人間になるのが怖いから?


 実際にはかなりの時間を要したけれど、簡単に整理するとこんな感じ。

 どうも自分は『正しい事』へのコダワリりが強く、かくあるべきと考えすぎる傾向があるらしい。そしてそれは自身の弱さ、怖さから来ているのではないか。そんな『鉄のマイルール』が歳を重ねる毎に強化されていくとどうなるのか。


 そこにプラスして、ストレスや過労で自他の境界が曖昧になるとどうなるのか。

 正しくない上司や先輩に怒りや不満を覚え、積み重なるストレスが自身を苦しめる。そして自他の境界がぼやけ、更にストレスな負のループの出来上がり。


 自分は自分、他人は他人。例え親であろうと兄弟であろうと、それは揺るぎない事実です。しかし境界が見えなくなると、自分のマイルールを押し付けてしまったり、何でそんなことも出来ないんだとなってしまう。


 うむむ、考えるだに何のメリットも浮かばない。


 上司は部下に怒られて気の毒だし、僕は勝手にストレス溜めて気の毒だし、もうちょっと世の中ゆるゆる出来ないものか。自分のことなんだけれど。とは言えこう考えれば楽になれる、そんな対策はあるのでしょうか?


「一つは、自他の境界が曖昧だと認識することでしょうか」

 と、工藤さん。

「認識ですか」

「はい。人に対して、なぜこんなことができないのか、こうあるべきでないのか、そんな感情に気付くことでしょうか」


 なるほど……そんな激情が湧いて来たなら、その時点で曖昧になっている、或いはなりつつある可能性が。


「あとは、コダワリのデメリットを考えてみるのはどうでしょう」

「と、言いますと?」

「例えば、義を見てせざるは勇無きなり。これを否定するような言葉はありませんかか?」

「……『匹夫の勇』でしょうか。『君子危うきに近寄らず』とも言えますね」


 そんな要領で、コダワリのデメリットを洗い出す。そうすることで、人に求める必要性も薄らいでくる気がします。


「もう一つ、なぜ強いコダワリを持つかという点なのですが」

「ダメな人間になるのが怖いから、でしょうか」

「そうですね。ですがカバネさんはダメ人間でしょうか。そんなに気を抜いてはいけないのでしょうか? もっと自信を持って、気楽に考えても良いのではないでしょうか」


 と、工藤さんはそんな言葉を伝えてくれました。

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