#29.他己評価と自己評価のはなし

 ADHDやASDの傾向を照らし合わせ、徐々にではあるけれど、自身の特徴や傾向も見えてきた。


 けれどそれだけではまだまだ足りない。仕事で復帰しても同じ状態にならないために……再発を防止するにはまだ必要なものがある。そう感じるようになりました。


 中には障害に関係ないもの、つまり僕のパーソナリティに起因するものもあるのではないか。テンプレートに沿っただけではやはり足りない。なのでリワークでの取り組み、そして心理療法士さんや尾長先生に手伝っていもらいながら、自己分析を深めることにしました。自分の取扱説明書、それを更に充実させようという魂胆です。


 あるとき、療法士さんとの面談の中で『カバネさんは仕事のとき、達成感とかありましたか?』と聞かれることがありました。


「と、言いますと?」

「幾つもプロジェクトを担当していたそうですが、例えば、プロジェクトを終えた時ですとか」

「…………うん?」

「もちろん、他の場面でも良いのですが」


 タッセイカン?

 はて、それってどんな感覚なのだろうか。


「どちらかというとポジティブな感情ですね。嬉しいとか楽しいとか、そう置き換えても良いかも知れません」


 ウレシイ?

 タノシイ……?


「いや、なんというか、なかった気がします」

「全くですか?」

「ホッとするというのはあったと思います。プロジェクトを終えてホッとする」

「なるほど、少し違いそうですね」

「ですよね。タッセイカン……うむむ」


 仕事の山場を越えたときは『無事に終わった』くらいの感情で、何かを成し遂げたとか、やり切ったとか、そんな感覚はなかったと思う。


「例えばお客様に褒められたときとか、どうでしたか?」


 そう言われて思い出したのは、仕事のシーン。過集中や衝動性がイイ感じにブレンドされていたのか、大抵の仕事は(心身を犠牲にして)成功に終わり、僕はユーザーから多くの指名を貰うようになりました。このプロジェクトにはカバネを入れろ、みたいな。


 それはきっと喜ばしいことなのだと、頭で理解はしていました。


 なのに当時の僕は、もちろん実際には口が裂けても言えないけれど、本当に嬉しくなかったの。むしろダウンする前は『また指名かよスケジュールいつまで埋まるんだ』というウンザリした感情さえ覚える始末。


「報われた、やって良かったという気持ち。それが皆無というのは、ストレスだけがかさむのではないかなと」

「確かに……」

「では仕事以外でも良いのですが、達成感を得るようなことはありますか?」


 そこで思い当たったのは小説を書くこと。初めて感想を貰ったときのことは今でも鮮明に思い出せるし、あの時は脳内で何かがドバドバ出ていた気がする。楽しい、嬉しい、やり切った。そんな感情で溢れていて。


「その違いは何だと思いますか?」

「違いですか」

「えぇ。仕事と小説、その違いはどこにあるのかなと」


 そんなこと考えてもみなかった。違いも何も、そもそも比べられるものなのか?


「いや、済みません。ちょっと分からないかも……」

「少し難しいですね」

「う~ん、違いですか」

「あくまで私から見てなのですが、求められたのか、自発のものか、という違いはどうでしょうか」

「ど、どういう意味でしょう」

「人にもよりますが、ニーズに応えることに喜びを感じる人は多くいます。リワークで話に挙がった、他己評価という単語を覚えていますか?」


 ふ、ふむ……?


「周囲から認められる、信頼や尊敬を得る、そういったことが大切という基準です。反対の言葉が自己評価で、自身の価値に従うタイプを指します。その場合、基準はあくまで自分自身の中にあります」


 他己評価と自己評価。

 少し前、リワークの中で勉強した言葉を思い出しました。


 自分への評価基準として、他者を重視するタイプと、自分自身からの評価を重視するタイプがあるのだと。2つのバランスは人によるもので、0か1というものではない。みんな両方を持っていて、その割合いが違うのだそう。


「これはどちらが良い、という物ではありません。ですが、偏りが強いと問題を生じる場合があります」


 例えば他己評価ばかりに偏重してしまうと、人に流されやすい、他者に依存してしまう、評価が得られないとストレスになる、等。


 逆に自己評価偏重気味だと、それはもうここまで聞いて『僕のことじゃん』と気付いたわけだけれど、他者のニーズに応えても嬉しくならない等。


「この評価の特徴を、カバネさんの仕事に当てはめるとどうでしょうか」


 なるほど、なるほど。なんだか色々と見えてきた気がします。


 僕の仕事は基本的に、相手から求められて応えるものです。期限・予算・システム要件といったユーザーの要望に沿うことでお金を貰う。というか仕事全般ってそういうケースが多いとは思いますが。


 一方、趣味で書く小説は『こんなのを書いて欲しい』なんて要望はゼロベース。自分が書きたいと思ったことを書く。その時点で既に喜びがあり、結果として誰かが喜んでくれたなら、僕も喜びが倍々に膨らんでいく。


 この2つの違い、僕は目から鱗が大量に剥がれ落ちた気分でした。

 自分からやりたいのか、人に求められたものなのか。このが僕の感情に大きな影響を与えるのだと。


「なるほど……いや、かなり理解できた気がします」

「良かったです。ですが世の中の仕事は、ニーズにこたえて対価を貰うというケースが多いと思います」

「そうですね。アーティストでもない限り」

「ですので、どこで折り合いをつけるかが大事かなと」


 例えば、仕事は仕事と割り切って、小説の方で諸々を発散する。

 或いは、自発的な取り組みが求められる仕事を考えてみる。

 すぐに実践的な答えは出ないけれど、この『他己評価・自己評価』は、今後の僕にとって大きな気付きとなるものでした。ここ、人生のテストに出ますから。カバネの人生では特に。みたいな。

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