計画的犯行

「はぁ……はぁ……」

「ちょっと休む?」

「いや、平気……少し息が上がっただけだよ」


 今俺たちは急な坂を上っているところだ。どうやらひとつ前の駅で降りた場合、この道を通るのは必須とのことだ。逆にいつもの駅の場合、上る必要はないという。


「ごめんね、瑠夏。私が衝動的に駅を降りたせいでこんな苦労かけて。こんな坂があったこと、今まで忘れていたから……」

「いやいや、門矢さんのせいじゃないよ。そもそも、あのタイミングで停まる電車が悪い。後、こんなところに坂を作った人も悪い!」


 落ち込んでいる門矢さんを、俺なりに励まそうとしたが、いい言葉が思いつかなかった。


「ふふっ、瑠夏はやっぱり面白いわ」

「いやいや、無理して笑わなくていいから……それにやっぱりって」

「ううん。本当に面白いと思っているわよ! ありがとう!」

「な、ならよかった……」


と、こんな調子で歩いているうちに、険しい坂道も段々と緩やかになってきた。その緩やかになった坂をしばらく歩いていると、一軒の青色の屋根をした家が見えてきた。


「もしかして、あれが門矢さんの家?」

「ご名答! やっと見えたわね!」

「よ、よかった……」

「よーし! じゃあ、ラストスパート駆け抜けちゃうわよ!」

「えっ、ちょっと!?」


 彼女は急に走り出し、俺はそれに引っ張られた。


「ちょっ……ちょっとぉ!? 早いって!」


 でも、俺は彼女を止める気にはならなかった。なぜかというと……


「ほらほら! ラストスパートよ!」


 彼女のテンションの高い声が聞こえて来たからだ。楽しそうにしている人を止める理由はどこにもない。


「ほら、ここが私の家よ!」


 俺たちは青い屋根に赤色のレンガで作られた家の前に着いた。青と赤、二つの色がこの家をバランスよく成り立たせているようにも見えた。よく見ると屋根の近くにも窓がついているため、おそらく屋根裏部屋もあるのだろう。


「はぁ……はぁ……」


 走るのが相当早かったのか、あっという間に着いた。


「あっ、ごめんね。いきなり走り出しちゃって……疲れちゃった?」

「いや、いいよ。とりあえず、家についてよかった。じゃあ、俺はこれで」

「待って!」


 俺はおいとましようとしたが、彼女は俺の手を離さなかった。それどころか、さっき以上に腕を引っ張られた。


「えっ、なに?」

「瑠夏、せっかくだし私の家に上がりなよ」

「えっ、でももう夕方だし、帰らないと……」

「いいから、いいから! ちょっとお茶するだけよ」

「ま、まぁそれだけなら……」


 俺は言われるがまま、彼女の家にお邪魔することにした。そもそもまだ紫苑が目を光らせている可能性があるし、ちょうどよかったのかも知れない。


「入って、どうぞ」


 門矢さんはカバンからカードを取り出し、それをドアにかざした途端、カシャンと錠が解かれたような音が聞こえた。すげえハイテクだな……


「お邪魔します~」


 俺はお言葉に甘え、門矢さんの家に足を踏み入れた。


「私の部屋は二階にあるから、そこに案内するわ」

「うん。助かるよ」


 ――この時、俺は彼女がなにを企んでいたのか、知る由もなかった。


「ここが私の部屋よ」


 扉には『りおんの部屋』と書いてある名札が張り付けられていたが、もう一つ気になることがあった。


 ――それは、門矢さんの部屋の扉のすぐ隣にある部屋の扉だ。その扉には、『りおんの秘密の部屋』と書いてある名札がくっついていた。俺はそっちのほうをじーっと見つめていたが。


「瑠夏」

「えっ……あっ、はい」

「私の部屋に入りましょう。ね?」


 心なしか、彼女の笑顔から圧を感じた。その部屋には入るな。そもそも存在に触れるな。と言われているような気がした。手の握る握力も強くなってるし……


「わ、わかった……」


 俺はそれに屈し、秘密の部屋を見なかったことにして、彼女の部屋に入った。


「ここで待ってね。本とか好きに読んでいいわよ。ただ、クローゼットは開けないでね。……私の下着とか入っているから」

「あ、開けないから!」


 こうして俺は、付き合った翌日にして、彼女の部屋に招かれた。恋人にして憧れの人の部屋……さらには異性の部屋に今いるという事実を受け入れきれず、ガチガチに緊張していた。


「……」


 俺は緊張のあまり、きょろきょろと辺りを見回した。俺の目には少し無地の白い机に、赤色の布団がかけられた白いベッド、壁に埋め込まれているベージュ色のクローゼット、白い本棚と一般的な学生の部屋といってもいい。変に女子らしくもないスタンダートなものだが、悪く言えば無機質ともいえる。しかし一つだけ、気になることがある。


「なんか、いい匂いがする……なんかの花の香りかな」


 部屋中にただよう芳醇な香りのせいで、眠るように気を失いそうになった。


「はっ!? いかんいかん! なにか気を紛らわさないと!」


 俺はそう思い、本棚に近づいた。人様の家の本を読むのは少々気が引けたが、許可はとっくに取ってある。だから大丈夫!


「どんな本持っているのかな……」


 俺はじーっと本棚を見つめたが、そこに収納されているのは色々な問題集ばかりだった。


「ぜ、全部学業関連か……漫画とかラノベとか一冊もねぇ。もう門矢さんの趣味は勉強だけなのかな」

「あら? まるで私を勉強バカみたいに言わないでよ」

「う、うわぁ!? 門矢さん!? ご、ごめん勝手に本棚見て!」

「別にいいわよ。でもごめんね。つまらないものしかなくて」

「いや、そんなことはないよ……俺、勉強嫌いだけど、学べるものがあるかもだし」


 どうにか精一杯フォローしようとしたが……


「うん。それよりも、お茶持ってきたわよ」

「ああ、ありがとう」


 彼女は全く意に介してないようだった。

門矢さんはお茶の入った二つのコップを机の上に置いた。俺も本棚から離れ、机の方へ戻り、そこに腰かけた。


「あっ、水色の方が瑠夏のやつね」

「ああ、わざわざありがとう」


 俺は門矢さんから水色のコップを差し出され、一気にごくごくと飲んだ。さっきの坂道を登ったことと、緊張したせいで喉が相当渇いていたのだ。


「あらあら、いい飲みっぷりね」

「い、いやー……」


 門矢さんはなぜか嬉しそうに微笑みながらそう言った。正直、反応に困った俺は苦笑いしかできなかった。


「……」

「……」


 な、なんか喋ってよ……沈黙は気まずいって! 俺の反応がいけなかったのかな……と、とにかくなんとか話題を振らないと!


「あ、あのさ……今俺ら以外誰もいない感じだけど、親とか兄弟はいつくらいに帰ってくるの? さすがにそれくらいになったら、今度こそおいとましようかなって」


「お母さんは仕事で夜中までには戻らないわ。後、妹は離婚したとき、お父さんに引き取られたから、実質いないわ」

「……」


 や、やべえ……悪いこと聞いちゃった。


「あの……ごめん」

「いいのよ。瑠夏は私の家庭事情とか知らなかったんだし。ただ、私はお父さんのこと大嫌いだから」

「あっ、はい……」


 余計気まずくなったな。別の話題、別の話題……


「そ……そうだ。それにしても門矢さん、あの本棚を見る限り、本当に勉強が好きなんだな……さすが学年トップなだけあるよ」


「別に、GW中だけじゃなくて、入学前からも対策しただけよ。そうでもしないと、私が頭のいい女って証明ができないじゃない」


 証明……この言葉が俺の頭に引っかかった。いったい誰に証明を? 先生? 校長? それともライバルとか? 色々考えてしまう。


「でもまぁ、確かにあのGW後のテストがきっかけで、門矢さんの評判も綺麗だけじゃなくて頭もいいって言われるようになったし、結果的に証明できたと思うよ」


 相手が誰かは知らないけど……


「まぁ、確かにそうかもね。ただ、ずっと待っていたのに、全然告白されなかったから、悶々とする毎日が続いたわ」

「告白……? でも、成司先輩からはされたじゃん」

「違うわよ。むしろあんな自意識過剰な男、私から振ってやったわ。ああいう人間は女を自分のステータスとしか見てないのよ。あんなやつがモテモテなのが不思議なくらいだわ」


 さすがに言いすぎだろ……と、俺はほんの少しだけ成司先輩に同情した。


「だから痺れを切らした私は、自分から告白したのよ。あなたに」

「えっ!? 俺!?」

「だからそう言ってるじゃない。私が学年一位を取れたのは、あなたのお陰なのよ。私はあなたに相応しい女になろうと努力をしたのよ」

「いや、待って! 俺のお陰とか、相応しいとか。そもそも俺、頭悪いし……どういうことなの?」


 まるで理解ができなかった。俺のために勉強を頑張って成績を伸ばした? むしろ頭の悪い俺が門矢さんに近づくために勉強をしなきゃいのが一般的な見解だろう。


(……ダメだ。これ以上考えても本当に理解ができない)

「まぁ、普通こんなことを言っても混乱させるだけでしょうね。じゃあ、あなたの好みのタイプはなに?」

「……え? 美人で頭のいい人だよ。馬鹿な俺を支えて欲しいなってことで」

「そういうことよ。私はあなたの好みのタイプになれるように頑張ったのよ」


 さらに理解に苦しんだ。どうして彼女は俺のような馬鹿で冴えない男が好きになったのだろう。そもそもこの二ヵ月の間、どの日から俺のことが好きになったんだろう? そんなことを考えているうちに、ウトウトしはじめた。


「瑠夏、眠いの?」

「……うん。色々考え過ぎちゃったせいかな? 悪い、そろそろ帰るわ」


 と、立ち上がろうとしたが、足がふらつき、転びそうになった。


「おっと、危ない……」

「あっ、ありがとう……」


それを間一髪で門矢さんが支えたことで転ばずには済んだ。


「瑠夏、無理は禁物よ。私のベッド貸してあげるから、そこで寝なさい」

「いや、でもいきなり悪いよ」

「いいからそこで寝なさい」

「わ、分かりました……」


 どうしても俺をベッドに寝かせたい門矢さん。そんな彼女の圧と睡眠欲に負け、倒れるように彼女のベッドで横になった。


「おやすみ……」


 ぼんやりとした目の前には目が据わりつつも、口角が上がっている門矢さんがいた。


(俺の寝顔見るの、そんなにうれしいのかな……)


 俺はその疑問を残したまま、意識を手放した。


「ふふっ……思った以上に早く効いたみたいね」

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