恋人の料理

 ――結局、あれから一時間目の授業が終わっても二時間の授業が終わっても、紫苑が戻ってくることはなかった。授業が終わるたびに、ドアの開く音が聞こえ、そのたびに俺はそちらの方を見た。だが、そこにいるのは紫苑ではなく、他のクラスメイトのやつが出入りしているだけだった。

それは、以降の授業でも同じだった。さすがにここまでになると、心配でしょうがなかった。家に帰っているのだろうか? それとも保健室にいるのだろうか? そんなことを考えているうちに四時間目が終わり、休み時間になった。


「瑠夏」


 休み時間に入った瞬間、門矢さんは颯爽と俺の席まで来た。それにより、さっきまで気になっていた紫苑のことは一瞬で頭から吹き飛んでしまった。


「お、おお……か、門矢さん。な、なに?」


 付き合い始めてまだ数時間……未だに恋人としての実感がなかった俺からでた言葉は、ぎこちないものだった。


「実は今日、瑠夏のためにクッキーを作ってきたのよ!」


 と言いながら、彼女は箱を開け、俺にクッキーを見せてきた。


「……」


 そのクッキーはもはやクッキーと呼べる代物なのか? と思うくらい、真っ黒だった。ブラックチョコクッキーという言葉ではごまかせないほどに……

 そして次の瞬間、ヒソヒソしているような小さな声が俺の耳に入ってきた。よく周りを見てみると、男子たちが俺を睨みつけていた。おいおい、例え相手が美人でも、焦げたクッキーを渡されるなんて、そういいものじゃないぞ。


「瑠夏、食べてくれるかしら?」

「……」


 どうにかごまかして食べることを回避する方法も考えた。だが、俺は彼女の気持ちを無下にするのも違うと思った。もしかして、俺のために不器用なりに作ってくれたのかもしれない。わざわざ、俺のために……


「いただきます!」


 覚悟を決めた俺は、門矢さんの作ったクッキーを口に放り込んだ。


「うっ……うっ」


 まずい……焦げの味しかしない……だが、俺は門矢さんを傷つけたくない!


「うっ……まい!」


 無理に飲みこみ、冷や汗をかきながら、必死に笑顔を作り、偽りの褒め言葉を送った。


「そう、よかった。私、初めて作ったから、自身なくてね……」


 やっぱり、俺のために……


「でも、どうせなら初めて作ったやつを食べてもらうのが一番じゃない? だから、ぶっつけ本番で作ったのよ!」

「ぶ、ぶっつけ……」


 俺は門矢さんの得意げな顔に少しばかり恐怖を感じた。だが、それと同時に、今までクールな彼女しか見てこなかったため、そんな表情もするんだな……と見惚れてもいた。


「んっ……ぐっ」


それはそれとして、俺は料理という名の兵器を身体に流し込み続けた。

飲みこめる範囲のものは噛まずに飲み、なるべく舌に乗せないようにしていた。こうすれば味わうことは少なくなる。そえを繰り返すことで、どうにか最後まで食べきった。


「はぁ……はぁ……ご馳走様」

「お粗末様でした。って、大丈夫? 汗が凄いけど……」

「ちょっと暑いから?」

「なんで疑問形なのよ……」


 ごまかすの下手だな……俺。


「ほら、時期的にそろそろ暑くなるって感じなのかな?」

「時期って……今はまだ五月よ? 体調悪いんじゃない?」


 確かに門矢さんのクッキーのせいで体調が崩れかかっているのは本当だ。だが、俺は彼女を傷つけたくない!


「ああ。すまん……彼女の手作りを食べるのって、なんかカップルっぽいなって。だから、ドキドキしていたのかな?」

「!?」


 その言葉を聞いた途端、彼女は硬直した。あれ? 俺、かける言葉間違えたか?


「瑠夏! ありがとう! こんなこと言われるなんて、作った甲斐があったわ!」


 と、思いきやそうではなく、門矢さんは顔を赤らめながら微笑んだ。


「ふふふっ……」

「な、なに笑ってるのよっ!」

「いやー、昨日俺に迫った時も、クラスメイトに付き合ってると宣言した時もそうだったけど……門矢さん、色んな表情するんだなって」

「な、なによもう! まるで私に感情がないみたいに……」

「い、いや! そういうことじゃないんだよ! 確かに遠くから見た門矢さんはクールなイメージで、表情の変化も少ないなって正直思っていたよ。俺はそういうところに憧れていた。でも……」

「でも?」

「色んな表情を見せる門矢さんを見て、ますます好きになったなって思っちゃってさ」


 お、俺はなんでそんなくさいセリフを!? 引かれていないか? と思ったが、彼女はむしろ嬉しそうに微笑んでいた。


「ありがとう。でも、私がこんなにたくさん顔を見せられるようになったのは、あなたのお陰なんだよ」

「あ、ああ……それはどうも」


 おいおい。俺まで恥ずかしくなってきたよ。

 ーーそれに、クラスメイト達からの視線が……


「なんだよ、あいつら! イチャイチャしやがって!」

「俺たちゃ、いったいなにを見せられているんだ?」

「流川、許すまじ! 罪深き男ぉ!」


 ああ、とうとう嫉妬の眼差しだけじゃなくてその言葉も聞こえてきた。


「よし、明日も作ってくるわ!」


 やばい! こっちもやばい! 俺は今、挟み撃ち状態だ!


「待って門矢さん! 毎日はさすがに大変だろ?」

「ううん。大変じゃないわ。それに、作るのは私の分じゃなくて、瑠夏の分だけだから」

「いやいや、さすがに毎日作ってもらうのは悪いよ。だからその……週に数回かでいいから! で、なんなら俺も手伝うから!」

「週に数回……うん、分かった。というか瑠夏、作れるの?」

「まぁ、見様見真似ってところかな……」


 言えない。俺もこの前夕食を試しに作ったときに失敗して、紫苑や妹にドチャクソ怒られたこと……ただでさえ料理自体が難しいというのに、お菓子とか作れるかな?

 そういえば、小学生のころに食べた紫苑の作ったクッキー、美味しかったな。ご飯も美味しいし……


 そう。俺は門矢さんのアレなクッキーを食べたことで、あいつの料理スキルの凄まじさに改めて気づいたのである。


「ねぇ、瑠夏」

「えっ、あっ……なに?」

 やばい!? 紫苑のことを考えていたことがバレたか!?

「さっきから口もごもごしてどうかしたの?」

「えっ……? あっ、そっち!?」

「ん? そっちって?」

「あっ、いや……なんでもないよ」


 俺が口をもごもごさせていた理由。それは、歯の間になにかが挟まったからである。


「相手が妻である私だからよかったけど、他の人と食事するときはそこらへん気をつけなさい。行儀が悪いわよ」

「ご、ごめん……」


 なんか、お母さんみたいだな。というか今、妻って言わなかった? 関係性が飛躍しすぎだろ……


「それで、どうしたの? なんか詰まったの?」

「う、うん。そんなところだね。俺、爪楊枝とか持ってないから、舌とかで取ろうとしたんだけど……」

「私の爪楊枝あげるから、トイレとかで取っちゃいなさい」


 と言いながら、彼女は俺に爪楊枝を渡してきた。女子力高!


「ありがとう。行ってくる」


 俺は爪楊枝を受け取り、トイレへ向かった。

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