第17話 閉ざされる悲しみ。 生きているからこそ。
偏見で悩み苦しんできた私にとって、偏見や差別は実生活と地続きだった。入院時の外泊時に何度か、知覧特攻平和記念館に通い、何度も考えた。特攻隊員の澄んだ眼差しを目の当たりにしたとき、一筋の光をはっきりと見た。
日常があっという間に奪われていく。否応なしにあるはずだった未来が閉ざされていく悲しみ。張り付くような怒りと恐怖。
戦争は人の命を奪うことだ。戦争は決して他人事ではない。
戦争への最大の引き金である、差別や偏見も多くの人が時期を変えればその当事者になる可能性は大いにある。
マイノリティだから、マジョリティだから、の二者択一ではなく、いつ何時、自分が言葉の被害者にもなり、自分が言葉の加害者になる可能性は同じようにある。それは私自身の教訓でもある。展示を見るにつれてふっと我に返った。私たち発達障害の当事者に偏見を与え、罪を犯した彼ら・彼女らに対して。
同じ発達障害の当事者だったのか、知らないが、取り返しのつかない過ちを犯した彼ら・彼女らに対して、はっきりと言いたくなる今の私がいた。
人間の命は重いんだよ! 日常は当たり前じゃないんだよ! 戦争になれば誰もが奪い、奪われる立場にあるんだよ! 震災や災害、パンデミックでいつ何時、自分の命さえも失う惨事に見舞われるか、分かっているのか? と。
それはかつての私自身にも充てた言葉でもあった。何度も裏切られ、そのたびに死にたくなった十代の私。綺麗事でもない、命は一つしかないんだ、とコロナ禍の中、先行きが見えない絶望の中で死にたくなるすべての人たちに言いたい。生きたかっただろうな。
生きたかった。生きたかった。やまゆり園で命を落とした19人の私たちの仲間も、彼ら・彼女らに命を奪われた被害者の方々も、空や海へ旅立った特攻隊員の方々も、自ら命を絶った方々も、国内を問わず、あの戦争で命を落とした多くの市民、兵士たちも生きたかったはずだ。
雨宮氏の指摘の通り、あの戦争の引き金になった一つにナチスが行ったT4作戦にあるという。多くの障害者を生きるに値にする命ではない、という身勝手な主張の元に殲滅した作戦。
そのT4作戦が施工されたわずか数年後に日本では特攻作戦が行われ、世界各国で多くの人命が失われた。優生思想は決して障害者だけの問題ではない。T4作戦から発端となった優生思想は結果的に将来に有望な若者の命とかけがえのない人生を無造作に奪ったのだ。
現在、世界中がこのコロナという危機に直面している。毎日、命に関連したニュースが途切れる日はない。この時代を生きるすべての人々が同じような境遇を体験し、形を変えてもなお生きたい、と願っている。
偏見や差別、死にたくなる日が絶対にないとは言い切れない。何度も死のうと自暴自棄になっていた私。
コロナがいつ収束するかは誰にも分からない。
ただ私は生きたい。生きたいと思う。それは綺麗事ではない。綺麗事ではないのだ。生きたいと思うからこそ。
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