第2話 EMDRによせて
そんなとき、図書館で『ソトコト』という雑誌を見つけ、ラグーナ出版の存在を知った。
ラグーナ出版は精神障害の当事者が運営するという、ユニークな出版社だった。
ラグーナ出版の代表でもあり精神科医でもある、森越先生から、大学病院でのEMDRの治療法を勧められ、こうして、私は現在の主治医の下で、EMDRの治療を受けることになったのだ。
初めてEMDRの治療を受けた感想を今後、役に立つと思い、メモが残っている。
EMDRは最初、今までの過去を洗いざらい話し、整理した上で医師が専用の機械を使う。
その機械というのは座った位置までの高さの、縦棒の上に横に長い棒状のようなものが設置され、その表面にだいたい二十個くらいの点滅ライトがあり、ライトが左右に動き、その光点を両目で追うというもの。
目で光を追いながら過去のトラウマを医師が質問する。
「十六歳の詩歩子さんに何を話しかけたいですか」
先生が具体的にそのトラウマの記憶を探りながら私は言う。
「可哀想だと思う。十六歳でそんな目に遭うなんて」
とトラウマを掘り下げたカウセリングは続く。
「いちばん辛かった記憶は何ですか」
「高校を何度も変わったとき。成績だって悪くなかったのに先生たちは誰も見てはくれなかった」
EMDRを受けながら、過去の記憶の走馬灯が何度も浮かんだ。
ちょうど、映画のワンシーンを見ているかのようだった。
初回に受けたとき、その直後は無性に空腹になり、まるで頭の中の汚れを洗い落としたかのような、爽快感があった。
今までの憂鬱が一気に吹っ飛んだといえば、適切だろうか。
その日は爽快感が続いたのが三日後、今度は無性に腹が立ち、涙が止まらなくなった。
これもEMDRを受けたとあとにある症状の一つで、順調良く行っている、と母から言われ、数日間耐えていると、今度はさほど憂鬱がない日々が続いた。
解離性障害を発症する前の、子供の頃の心の状態に戻ったかのようだった。
もちろん、一日の中で多少の波はあるのだが、症状が格段に悪かった頃とは、正反対に良くなっていたのだ。
ちょうどその頃、年末にかけてコロナの新規感染者が増え、世界中が不穏な空気を纏っている最中だった。
精神疾患を持っていなくても、気が滅入るニュースが次々と溢れ出てくる。
そんな絶望に見舞われた世界であっても、私の精神状態は悪くなるどころか、ここ数年ではいちばん良くなっていたのだ。
EMDRを受けてからほかにも変化があった。
それは今まで感じられなかった味覚が敏感になって、薄味を感じられるようになったことだ。
そのほかにも体力が戻ってきたこと。
視界が明るくなり、鮮明に感じられるようになったこと。
今までかぶっていたフィルターを取り外し、生の状態を見られるようになったといえば、分かりやすいのかもしれない。
聴覚も敏感になり、イヤホンの音量も小さくてもよく聞こえるようになっている。
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