第29話 シルフィードの発展と成長
数ヶ月が経過して私が九歳になると配給の効果もあり、元ブロイデン王国の支配体制の構築が大方の予想より早く終わりを告げようとしていた。
戦争の為に重税を課せられていた農民や街の市民たちはデジタルツインにより兵糧も含めて食糧や物資が再配分されたことによりハイランド王国による統治をむしろ歓迎するという、実に皮肉な結果を生んでいる。
とりわけ、自領の景観を重視したエリスの手により魔道具を満載した上下水道インフラ完備の二階建てコンクリート住宅が立ち並ぶ全く新しい街や、考えられないほどに平らかに舗装された街道、大型船舶が入出港する港が建設されたシルフィード領の市民感情は、従順を通り越して崇拝の域にまで達していた。
今まででは考えられない品質の馬車と幅広く平らかに整備された交易路により、シルフィードを経由して、香辛料、砂糖、生活金物、ハイランド王国の特産品の数々がブロイデン王国の各地に送られるようになると、シルフィードは物流ハブとしてさらなる発展を遂げる。
「すごいわ! 大商会の課税だけで領内の税収が賄えてしまうほど繁盛しているじゃない!」
儲かりすぎて過度の税収は不要と税率を下げると、商会や人が集まってきてさらに儲かるようになって再度税率が下がるという好循環により、人・物・金がシルフィード領に集約されつつあった。
「しかし、エリスはよくそんなに早く計算ができるな。おかげでお兄ちゃんは楽でいい」
情報処理能力を神様にもらっているので、税率の再計算など脳内表計算の一カラムの数字を一つ変更するだけで済んでしまうし、予算組みも楽なものだった。
同等の処理能力を持った六万五千の情報処理ユニットを持つエリスにとって、計算ほど楽なものはない。前世のブラックIT業務はなんだったのかと思ってしまうくらい、記憶が完全に統合される六万五千人月の事務処理能力は圧倒的なのだ。
「この商会、収支が合わないから脱税しているみたいだわ。それから、この領官が税収を一部中抜きしていると思う」
「よし、まかせろ! しょっ引かせてくるぜ!」
そして、そんなエリスの領内で脱税や腐敗は不可能だった。ご丁寧にも理由と計算結果の証拠を公示として主要な街の掲示板にデジタルツインで貼り付けてまわることから、商会の大小に寄らずクリーンな勝負ができる商業都市として人気を博すこととなる。
「さて、お仕事も終わったことだし、今日はまた別の観光名所でも行こうかしら。ファルコ、次のおすすめを教えてちょうだい」
「フロイド渓谷がいいんじゃないかな。隠れた名所としておすすめだよ!」
そして、神様の計らいか自然の配置や名所になる予定地はファルコのデータベースに入っていたので、私は観光三昧の日々を送ることができた。
「領内の名所をまわり尽くしたら、次は他の領地にも行ってみたいものね」
そうして鼻歌混じりに自由奔放な生活を送っていた私の元に、お母様から教育係が送られてきたのは観光に出ようと考えた次の日のことだった。
◇
「奥様よりエリス様の淑女教育を引き受けましたアストリア家の傍流にあたりますカトリーヌと申します。来年には十歳になられるということで、そろそろ、国内の貴族の勢力や名前、ダンスなど社交に必要な知識と技能を身につけていただきます」
「わかりました、どうぞよろしくお願いします」
アストリア家から来たというからデジタルツインのスキルを使って複数人で教育を受けるわけにはいかないけど、あとで習ったことをデジタルツインで復習すればすぐに身に付いていくはず。
そう思っていたけれど、厳しいカトリーヌ女史の指導を何万回となく反復した記憶が統合されるのは割とキツかった。
「もう一度。菓子を摘む所作にも、指先から爪先まで気を抜いてはいけません。顎が一センチほど下がっていましてよ」
うぅ…一体、どこを目指しているというのか。同年代の貴族の女子にあったこともないからわからないけど、こんな厳しい教育を受けているとは思えないわ。
というか、まさか物理的に背中に棒を入れられたり頭に書類を乗せられたりするとは思わなかった。そりゃ、顎も下がろうというものだわ!
そんな内心の不平不満を押し殺して、反復練習をすればすぐに終わることと割り切って淑女教育に励んだ。
◇
一方のカトリーヌは、エリスの覚えの良さに感動していた。一度注意したら次の日には何千何万回と同じ所作を繰り返したかのように完璧な所作をしてみせるのだ。
イリス様から聞いていた自由奔放な娘というイメージとは裏腹に、よほど裏で隠れた努力をしているに違いない。
「これほどやる気をみせているからには、私の全てをあの幼い伯爵に叩き込んで完璧な淑女に仕立てて見せます!」
そんなエリスが聞いたらあまりの認識の違いに吹き出しそうなことを宣言するカトリーヌ女史は、王太子妃教育も顔負けの厳しい教育と、最高難度のダンスのステップをエリスに教え込むのだった。
◇
淑女教育の締めとして最後にダンスを踊り、満足したようにうっすらと涙を流すカトリーヌ女史を送り出して扉を閉めたあと、私とお兄様は同時に床に崩れ落ちた。
「ふう、悪魔は去りました…死ぬかと思ったわ」
「まったくだ。まさかこの年齢になってダンスで足に豆を作ることになるとは思わなかったぜ」
ダンスの練習相手としてカトリーヌ女史に担ぎ出されたブルーノお兄様は、連日、激しい特訓に付き合わされることになったのだ。元から運動神経がいい成人のブルーノお兄様でも音をあげるのだから、その激しさは苛烈を極めたというものよ!
「それにしても、随分と難しくて早いステップをするんですね。貴族が集まるパーティでは、あのようなダンスを踊っているのですか?」
「何を言ってるんだエリス、そんなわけないだろ。あんなの選ばれた踊り手が王覧のダンス競技会でのみ見せるようなステップで、全盛期のカトリーヌ女史が優勝した年に見せたスペシャリテだ。もうダンスでエリスに勝てる貴族令嬢はいないと断言できるぞ!」
「ガーン! なんということなの! なぜだかわからないけど、不必要なスパルタ教育を受けてしまっていたわ!」
驚嘆の表情を浮かべる私に更なる驚きの報がもたらされるのは、それから数日後のことだった。
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