第23話 南大陸の王子

「留学ですか? はて、ハイランド王国に学院なんてあったかしら」


 エリーゼの姿で南大陸の商業ギルドを訪れたエリスは、自国にない大型船舶に優れた金属加工品を輸出するハイランド王国に興味を持ったという貴人が、是非の子息を留学させたいという話をアーニャから聞いていた。


「ない場合は、しばらくの間、北の大陸で過ごされたいと…さる高貴なお方からの申し出です」


 なんだか面倒くさそうね。ここは一つ芝居をうって逃げてしまおう。


「五千キロにも及ぶ海の旅は危険です。そのような高貴な方にもしものことがあれば、一介の商人の私では責任が取れませんのでご容赦を」


 よし! もっともな理由で完璧な断り文句だわ!


「はあ、わかりました。エリーゼさん、この依頼は断れません。イストリア王家からの依頼で、渡航されるのは、マクレーン第二王子です」

「…は? そんな方は、ますます大航海に出ては駄目では?」

「今まで一度だって難破したことはないじゃないですか」


 そりゃないけど。中継島があるし、天気が悪ければ延期しているし、最悪、デジタルツインの魔法で風の結界を張れば安全だからね。


「一体、どうしてそんな物好きなことを」

「隠さずにいえば、エリーゼさんのせいです」

「私は普通の商売しかしてないわよ」

「はあ、鈍いですね。女性としてのが、目当てと言っているんですよ」


 はあ!? どこのロリ…いや、今は十七歳の姿だから普通か。こんなことなら、メイガス商会に土地建物の権利ごと譲渡して任せておけばよかったかしら。いや、さすがにそこまではできないわね。

 仕方ない、ここは包み隠さず本当のことを暴露してしまおう。


「ごめんなさい、実は今の姿は仮初めのもので、本当は八歳の幼女なのよ」

「知っていますよ、そんなこと。商業ギルドを舐めないでください」

「なん…ですって?」


 どうやらインゴットの鑑定をする際に、ついでに年齢もバレていたらしい。


「それなら、余計に不味いじゃないですか。自国の王子が八歳児目当てに危険な旅に出るのを止めるのは、臣民として当然の義務じゃないかしら?」

「臣民としては、八歳にして大陸間貿易を成し遂げた天才少女を縄で縛り付けてもいいからのがさないように祈るばかりです」

「…」


 私はデジタルツインだから安全だけど、ある日突然捕縛されそうな気がしてきたわ。


「わかりました。ということは、王子様は近い年齢なんですか?」

「はい、今年で十三歳になられます」


 はあ、お父様にどう知らせたものかしら。その前に、本体に呼び出されないうちに、自分自身か普通のデジタルツインに口頭で知らせる必要があるわね。こんなことなら、妹と称して普通のデジタルツインとペアで来るんだったわ。


 ◇


 渡航の日取りが決定してから数日後、ついに王子との対面の時がやってきた。


「はじめまして。ハイランド王国カストリア辺境伯が長女、エリスと申します。以後、お見知りおきを」

「マクレーン・ワイズマン・エス・イストリアだ。王太子ではない身軽な立場だし、マクレーンと呼んでくれ、エリス」

「かしこまりました、マクレーン様」


 商業ギルドで、改めて本来の姿で訪れ第二王子との挨拶を済ませると、旅の目的を尋ねる。


「表面的にはハイランド王国に父上から預かった親書を届けることで、本当の目的としては、そなたの父に婚約の直談判をすることだ」

「そうですか。でも五千キロもあるのですが、大丈夫ですか?」

「私に何かあっても、兄上がいるから問題ない」


 十三歳という話だったけど、やっぱり王家ともなると立派なものね。それに引き換え、チェスター王子は…ハイランド王国は大丈夫かしら。

 そんな内心を押し隠して、お付きの人たちと共にマクレーン王子をガレオン船の客室に案内する。


「こちらが客室になります。中継島が間に九つあり、それぞれ十時間ほどの距離となります。島には宿泊施設もありますので、十日の船旅となります。では、ごきげんよう」


 そう言って退室しようとする私に、後ろから声がかかる。


「待て、そなたも乗船しないのか?」

「私は魔法で一足先に島に到着し、マクレーン様を迎え入れる準備をしますので、夕方にまたお会いしましょう」


 こうして船出を見送っては島で迎え入れを繰り返すこと十日、マクレーン王子という新たなトラブルの種がカストリア辺境伯のもとに訪れることになるのだった。


 ◇


「それで、エリスを貴国に迎え入れたいと伺いましたが」

「貴国とは友好的な関係を築きたいとイストリア王は考えているので、無理強いはしない。ただ、考慮に入れてくれればと、まずは書状を持ってきた」


 マクレーン王子はそう言って、側近に王からのお父様に向けた書状を執事に手渡す。お父様は内容を確認すると、表情を崩さずにこう返答した。


「貴国の御意向はわかりました。国王とも相談の上、前向きに検討したいと思います」

「よろしく頼む。国王からハイランド王に向けた親書を携えてきたので、王都に案内してもらいたいのだが」

「わかりました。手のものに案内させますので、今日はごゆるりとお休みください」


 お父様とマクレーン王子が客室から退室すると、残された私とお母様はため息をつく。


「まさか隣国から話が来るとは思わなかったわ。あまり母を驚かせないでちょうだい」


 そんなこと言われても、私も想定外だったのでどうしようもない。それより、


「お母様、南大陸は暑いので嫌です」

「心配しなくても、エイベルも他国にエリスを嫁がせる気はないわ」


 さっき前向きに検討すると言っていたのは単なるポーズだったのね。外交というのは面倒なものだわ。


「どうやら向こうの商業ギルドを利用したときに鑑定で魔法の属性や錬金術、加護のことが知られてしまったようなのです」

「まあ。それでは、イストリア王国も簡単にはあきらめそうにないわね」


 お母様の見立てでは、王都に行くのは牽制のためだろうとのことだった。


「陛下には姫殿下はいないわ。手っ取り早く国家間で友好関係を築くのであれば婚姻外交が有効だから、ハイランド王国に姫君がいないことが知れたら、再度、エリスとの婚約を迫ってくるでしょう」

「お母様。それではどうにもならないという風に聞こえます」


 状況は詰んでいると言っていいじゃない。


「…凄いじゃない、エリス! イストリアで公爵夫人になれるわよ!」

「あきらめないでください、お母様! 大体、デビュタントは十五歳ですよ? 結婚話なんて早すぎます!」

「そうね。私でも十二歳くらいまではこなかったわ。でもエリスも希望を考えておくのよ」


 早いか遅いかの違いこそあれ、いつかその時は来る。その時に少しでもいい条件をと願うのは母親としては当然だという。

 そうか、私にとっての「いい条件」を決めておかないといけないわ。それは…


「やっぱり豊かで美味しいものを食べられて、新しい料理や便利な生活道具をどんどん開発させてくれるところかしら」

「エリス、それは辺境伯家でしかできないわよ。義理のお母様という存在が、末娘として甘やかされたあなたを厳しく躾けることでしょう」


 異世界でも嫁と姑の関係は健在なのね。早くも夢を持てなくなってきたわ。というか八歳の娘にする話じゃありません、お母様ァ!

 そんなことを内心で思っていた私は、まだ余裕があったと後日に振り返ることになるのだった。

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