第5話
『よくわかった。ありがとう、教えてくれて』
それでもまだ、恋鐘は態度を変えない。洋平少年は唖然とした様子で聞いた。『…………あんた、頭大丈夫か』
『? すこぶる健康体だけど。最近助っ人が入って、寝不足気味なのも解消されたし』
緑栄の頭の中で、想像上の洋平少年が絶句している光景が浮かんだ。彼にとって、こうまで反応が変わらない人間はきっと初めてではないだろうか。普通、クライエントとの関係は良好にしておこうという考えが差し挟まりそうなものだが、恋鐘は良くも悪くも忖度しないし迎合もしない。まさに暖簾に腕押しというやつだ。
『私の心配をしてくれるのはありがたいが、もう少し話を聞かせてほしい。さっきの言い方だと、全てのことにやる気を無くしてしまったように聞こえる。普段部屋の中では何をしているのかな』
『……ゲームしたり動画見たりだよ』
洋平少年はムスッとしながらも返事をする。何ら変わらない恋鐘に諦めの境地なのか、それとも不気味に感じたのか。早く会話を終わらせる方針に切り替えたか。
『飽きたりはしない?』
『そしたら違うゲームするだけだろ』
『限度があるじゃないか。人には慣れというものがある。受け身なままでは退屈な時間が来る。身に覚えはないかな?』
返事はない。ただその反応は、イエスだと言っているように感じられた。
『たとえばもし、自室に籠もったままお金を稼ぐ手段があったら、やってみたいと思うかい?』
『は?』
『お金を稼ぐということも暇つぶしにはなるだろう。それにほら、お金が欲しいと言っていたじゃないか。君がもし継続してその悩みを持っているのならば一石二鳥だろう?』
『いいのかよ、スクールカウンセラーの手伝いの人がそんなこと言って。もっと外に出なくなるだろ』
『さっきも言ったけれど、私の仕事は仮想認知療法を行うことで、それ以外のことには関知しない。君の悩みに私ができうるアドバイスをしている、ただそれだけだ。もう少し本音を言えば、会話を続けたいのさ』
『……なんで、そんなこと』
『君が私と似てるところがあるから、かな?』
また返事がなくなった。無音が続く。恋鐘も何も喋らない。まるで洋平少年に考える時間を与えているかのようだった。
『――それって、あんたも学校に行かなかったから、すか』
ようやく喋った彼は、ぎこちないながらも敬語を使っていた。
『別にそこが理由ではないよ。私の感性の部分によるところが大きいから、説明しても納得はできないだろう』
『……よくわかんねー、けど、まぁいいや。つまりあんたは、俺が部屋でできるバイトを紹介してくれって言ったら、それもアドバイスしてくれるんすよね?』
『ああ、いいよ』
『ふーん』
緑栄は信じられないものを聞いていた。そんな約束したら加藤にも佐野母にも怒られやしないか。
『でもその前に仮想認知療法は受けてもらうからね』
『あーはいはい。ダルいけど、約束なんでしゃあないっすわ』
『うん。さっき言った通り、私からお願いするのは一度だけだ。安心してくれ』
「一度?」
引っかかった言葉を呟くと、PC操作をしていた恋鐘が顔を上げる。「ああ、そうだよ」
「面談もVR映像を見るのも、私からお願いするのは一度だけだと言ったんだ」
「もしかして、それが条件?」
「他にもあるけどね」
しれっと返事をされて、緑栄は開いた口が塞がらなかった。
「一度で治療なんてできるんですか!?」
「できないよ」
これもしれっと返される。思考が一時停止して、次に疑問符が浮かび上がる。
「私が彼に提示したことは、面談もVR映像を見るのも一度だけしかお願いしない、ということ。一度の実施後、仮想認知療法を続けるかどうかは君の判断に委ねると言ったんだ」
「そ、そんなの、絶対に一回で止めますよ? 面倒だから一回付き合って終わりにしようって魂胆ですって」
「心理療法は本人の継続したい、変わりたいという意思が大事だ。それを持たない者に療法を押し付けたってろくな成果は出ないよ」
「それに」と続けた恋鐘は、タイピングを止めて目線を上げた。
「一度VR映像を見た彼は、次も私の作ったVR映像を頼るようになる。絶対にね」
絶対――恋鐘はそう言い切った。堂々としたその瞳の奥には、。揺るぎのない自信がある。
緑栄には理解ができなかった。治療に使う映像とはいえ、映像は映像だ。麻薬のように人を惹きつける効果なんてものは、ない。サブリミナル効果も立派な偽科学だと証明されている。一回の視聴で態度をガラリと変えさせる手法なんて存在するはずがない。
では、恋鐘はどうやって洋平少年の態度を変えさせるつもりなのか?
緑栄が考えている間にも面談は進んでいた。会話は、普段どんな動画やゲームをしていたのかということから、まだ学校に行っていた頃の話に戻っていた。
『でも頑張って受験したんだろう? 当時の君の成績では届かなかった高校に入れたと聞いている。親御さんもさぞ喜んだことだろう』
『どうでもよくなったんすよ。燃え尽き症候群ってやつ?』
『へぇ。難しい用語を知っているんだね』
『あのさ、いつまで続くのこれ』
安心して聞いていられたのも束の間だった。少年が横柄な物言いで面談を止めようとする。不登校のことを探られたくなかったのかもしれない。
『ああ、すまない。じゃあ最後の質問にしようか』
恋鐘があっさり折れた。このタイミングでしか不登校のことに触れられないだろうに、次で終わりにすると重要な情報なんてろくに取れないではないか。
『お母さんのことは好きかい?』
洋平少年の声が止まった。声しかわからない状況だったが、面食らったような気配を緑栄は感じ取った。
『――そんなん聞く必要あんの?』
『あるとも。だから聞いてる』
『はぁ……母親。嫌いだね。消えればいいと思ってるよ、あの人』
消えればいい。あまりにも辛辣な言葉に緑栄は瞠目する。
『ふむ。なるほど。じゃあ父親は?』
やはり恋鐘は狼狽えもせずに質問する。
また無言の時間が過ぎた。割と長めの沈黙だったが、ぽつりと声がした。『……あの人は』
『悪い人じゃない。前は割と旅行に連れて行ってくれたりとかしたしさ。話はつまんねーけど』
『今は連れて行ってくれない?』
『……忙しいからだろ。この年になってまで親と旅行とかキショいし。誘われても断るわ。まぁ普通だよふつー。たまに夜とかも話はしてるし』
『なるほど、わかった。じゃあこれで面談は終わりにしよう。録音も切るね』
恋鐘がそう言うと録音が終わった。本当にこれで、最初で最後の面談が終わってしまった。
「あ、あの。これでおしまい、ですか?」
「そうだよ。もう面談はしない。でも凄く色々な情報が取得できた。とても有意義な面談だったと思わないかい?」
同意を求められても、頷く要素がまったくない。
恋鐘は机に肘をついて顎を乗せ、露骨にため息を吐いた。
「その様子だと君はあまり手応えを感じていないようだな。この録音から何も情報を得られなかったのか? なにか感じたことは?」
どうやら見透かされていたらしい。まるで教師に、こんなことも分からないのかと怒られている感じだが、およそ万人が分からないような問題で怒られているようで、釈然としない。
とはいえ緑栄は素直な人間なので、無視することはできなかった。気になったことをまとめてみる。
「ええと……なんかやたらとお金に執着してた気がします。あとは、申し訳ないですけどお母さんの方はあんまり好かれてない感じでした」
あれだけ熱心に息子のことを思いやっているのに、当の本人からの印象は最悪だった。消えてほしいとまで思われていると知ったらさぞかし絶望するだろう。関係がこじれているのだから、これなら付き添いを父親と交代したほうがマシかと思えるほどだ。
「なるほど、君はそう感じたか。では問うけれど。なぜお金に執着していたと思う?」
「え? そりゃ、遊びのお金に困ってたからで――」
言いながら、違和感があった。
遊びというが、それはつまり他人との共同行為だ。引きこもっている間に誰かと遊びに出かけることはない。では一人の遊びという可能性はどうだろう。無くはない。趣味に散財することは誰だって身に覚えがある。
が、それも断言はできない。少なくとも母親に気づかれるほどの趣味らしい趣味はなく、金を注ぎ込んでいる様子もなさそうだった。
では、なぜそこまで金が必要なのか?
「もしかして、誰かにカツアゲされてたりした、とかですか?」
もしそうなら、逃げるために家に引きこもったという可能性も考えられる。
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