第4話

 洋平少年と面談した翌日。

 よく片付いた事務所では、恋鐘が自分のPCで洋平少年との面談記録を再生していた。


『――録音を承諾してくれてありがとう。ではここから会話を録らせてもらうよ』


 出だしの声は恋鐘からだった。


『さっきの話、嘘じゃないよな』


 くぐもった声が聞こえてくる。おそらく洋平少年の声だが、扉越しなので録音だと聞こえづらくなっているのだろう。


『もちろん。君との約束は守るよ』


 緑栄は眉をひそめた。話の文脈が読み取れない。この前に交わした話から続いているようだ。


「あの、約束ってなんですか?」

「洋平君は最初、録音どころか会話も拒否していた。だから面談の条件をつけると言って交渉したんだ。そうしたら了承してくれた」

「……条件とは」

「ひみつ」


 恋鐘は悪びれもなく言って、人差し指を唇につける。


「私と彼との約束だからね。まぁ知らなくても問題なことだよ」

「はぁ」


 また無茶なことしていないだろうかと一抹の心配が過ぎるが、相手は引きこもりの少年だ。接触できないのだから揉め事にもならないだろう、と思いたい。

 録音は続いているので、ひとまずは頭の隅に追いやった。


『では少しだけお時間を頂きます。これまで幾度も挨拶しましたが、もう一度挨拶を。私の名は龍造寺恋鐘。お母様やスクールカウンセラーから話があったとおり、仮想認知療法という心理療法を実施していす。今まで説明した通り、VR映像を通して患者さんが自分の本当の気持ちに気づいたり、気持ちの整理ができるようになる――我々はその手助けを行います』


 気づき、という言葉はここでも出てきた。やはり仮想認知療法のキーワードになっていることは間違いない。


『まずはVR映像を作るため、映像の参考となる情報を、面談を通して取得することが第一歩です。趣旨は理解していただけたと思いますので、ではこれから君に幾つか質問をします』


 相手からの応答はない。ドア一枚隔たりがあるせいか呼吸音もなく、微かなノイズが混ざっているだけだ。それでも構わず恋鐘は聞いていた。


『いつも何時に起きて何時に寝ていますか』

『…………そんなの関係あんの、映像に』


 か細い声だった。高校生らしい若さはあるが、少し掠れている。


『うん、大ありだよ』

『――まぁ別にいいけど。大体昼寝て、夜起きてる』

『なぜ?』

『なぜって、昼とかあちーし、退屈だし。あとババァがうるせぇから。寝てたら相手しなくて済む』


 ババァとは、もしかしなくても母親のことだろう。反抗期真っ盛りだ。


『なるほど。最初から昼夜逆転していた?』

『どうだったかな。なんとなく寝る時間が遅くなっていったから、自然に』

『寝付けなくなった?』

『まぁ』

『それは運動不足のせいかもしれない。身体を動かしてみるといいよ』

『だる。なんでそんなこと言われなきゃいけないわけ』


 余計な一言だったらしい。緑栄は少し焦ったが、録音されている恋鐘の声は平然としていた。『勘違いしないで』


『私は指導しに来たわけじゃない。困っていそうだからアドバイスしただけ。行うかどうかは君が決めたらいい。無視されても私はどうとも思わない』

『はぁ? 意味わかんねーんだけど』

『君は、私が君に対して何かを矯正する、あるいは説教をしにきた人間だと思っている節があるが、さきほども言った通り私は仮想認知療法を行う者であって、それ以上でもそれ以下でもない。頼まれてもいないことはしない主義だ。今だって映像を作るために会話をしているだけで、アドバイスもその一貫でしかない。理解してくれたかな?』


 一瞬の間があった。『……あっそ』という素っ気ない返事が返ってくる。だが洋平少年の声には明らかに困惑があった。

 それはそうだろう。今の発言はまるで職務放棄しているように聞こえる。というか実際は職務に忠実とも言えるから余計にこんがらがる。


『君は部活は入っていた?』


 緑栄の気も知らず(知るわけはないが)、恋鐘は調子を変えずに続ける。


『別に。何も』

『中学校は?』

『サッカー部』

『高校は入らなかったんだね』

『だるいし。バイトでもしようかなって』

『そうか。じゃあ腹筋や腕立て伏せは慣れてるわけだね』

『やれないことはねーけどさ、めんどくせーじゃん。そうまでして眠ろうとも思えないっつうか』

『なるほど。眠ることは人の三大欲求だが、その度合いは人それぞれだ。君は睡眠にあまり興味がないタイプだったわけだね。余計なお節介だった、すまない』


 洋平少年が黙る。たぶん緑栄が相手でも、なんと返事すればいいかわからなくて黙っただろう。独特すぎて会話が保たない。


『バイトをしたかったというけれど、どんなバイトをしたかったんだい』


 恋鐘は飄々と続ける。そう、龍造寺恋鐘はこういう空気の読めない人だった。会話が止まって気まずい、なんてことは思いもしないタイプだ。


『え? え、っと……別に何でも。働けりゃいいっつうか』

『働いてみたかった?』

『そういうんじゃなくて、金が欲しかった』

『お小遣いはもらっていなかった?』

『それはある。でも足りない』

『なぜ?』

『付き合いとか、欲しいものとか、色々』

『ふーん。そうなんだね。私は高校生の生活をしたことがないから、お小遣いだけで足りないのか実感が湧かないな』


 緑栄はそこで思わず恋鐘を見つめる。

 恋鐘は何の反応も示さず、音声を流しながらPC作業を続けていた。


『あんた中卒なの?』

『いいや。大学の院卒だよ』

『でも高校行ってないって』

『ああ、誤解を招いたね。君と同じさ、通わなかったんだ。なので高校生らしい生活というものが私には分からない』


 以前、恋鐘が話していたことを思い出す。龍造寺恋鐘は現在二十七歳で、約十年前に大学に入学して大月研究室に出入りしていたと述懐していた。後で調べたところによると、日本の大学は十八歳から入学が認められているため恋鐘が言うような十七歳入学はできない。ただ、特例として十七歳から飛び入学が認められている。

 計算すると、恋鐘は飛び入学制度を使って大学に入ったことになる。しかもこの話だと、高校に一度も通わずに実現していることになる。一体どんな青春時代を過ごしてきたのだろうか、この人は。

 恋鐘に対してますます謎が深まっていく。その間にも録音は続く。


『というわけで、私は高校生の交友関係を推測することができない。だから教えて欲しいな。そんなにお金が必要だったのは、交友関係が原因? 私の勝手なイメージだけど、高校生なら友人との遊びに使う資金が大半そうだが』

『それは……別に。何だっていいだろ』


 少しだけ。洋平少年が、今までと違う動揺を示した。


『ふむ、そうか。最初に話したとおり、君が話したくないことは話さなくていい。こちらもこれ以上の詮索は止めよう。じゃあバイトはしてみたのかな?』

『……してない』

『どうして』

『――ちっ。バイトはかったるかった。学校もアホくさくて行く気が失せた。勉強はやる気が出ない。誰かと会って喋るのも外歩くのも鬱陶しい。だから引きこもりました。これで満足か』


 急に発言が投げやりになる。機嫌を損ねてしまった。

 しかし、さっき恋鐘は彼の地雷を踏んだだろうか? 特に不機嫌になるワードはなかったように思える。

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