第3話 浦嶋太郎③

 バスの揺れに目を覚ますと司馬太郎は時計を見た。バスに乗ってから15分が経っていた。ふと車窓に視線を移すとそこには見慣れた風景が映った。次の停留所で降りなければならない。

 少し慌てて司馬太郎は荷物を握り直し、降りる準備をはじめる。


 ――ん?


 そのとき何か違和感を覚えた。

 もう一度車窓に目を遣る。そこにあるのはいつも風景に違いない、のだが…。

 バスを降りいま来た道を引き返すかたちで歩き出す。停留所はウチを少し通り過ぎたところにあるのだ。

 違和感の正体はなんだろう? 司馬太郎は歩きながら考えたのだがわからない。きっと6日近くもウチを空けたから感覚が戻ってないのだろうと納得しようとした。

 バス通りから裏通りに入った。するとまた、なにか違和感が…。ハッとなり司馬太郎は早足になって通りを進んだ。進むにつれ違和感はではなくなり、紛れもない現実になった。


 ――な…い? ウチが…ない…。


 違和感の正体はこれだった。司馬太郎の家がなくなり、整地されていたのだった。夢を見ているようだった。司馬太郎は辺りを見回した。しかしそこには見慣れた隣家に見慣れた塀に見慣れた木があった。ないのは司馬太郎の家だけだ。違う場所に来たわけではなかった。

 司馬太郎はうろたえ、視点の定まらない目でなおしばらく周りをキョロキョロと見回していたが、整地された土地にプレハブ小屋が建っていることにようやく気付いた。建築現場でよく見かけるような小屋だ。


 ――なにか事情を知ってる人が中にいるかもしれない。


 司馬太郎はプレハブ小屋に走り寄るとノックもせずにスライドドアを開けた。

 中は気の抜けるようながらんどうで、ひとつだけあった机に恰幅の良い背広姿の中年男性がヒマそうに座っていた。


「少し遅かったですね、うらさん。おかげでだいぶ待ちましたよ」

 

 中年男はそう言うとウーッと唸りながら立ち上がった。


「え? あなたは…なんで私の名前を?」

「だってあなた、ここに建って家に住んでいたうらさんでしょ。お渡ししなきゃいけない書類があるんで待ってたんですよ」

「は? 書類? なんの? っていうか、私のウチはどうなったんです? あなた、何かご存じなんですか、知ってるんですよね!」

「そんな詰問口調で責められても困りますなぁ。それにと仰いますが正確には借家でしょ、しかも家賃がタダの」

「それはそうですが…。それでも私には借地権が」

「おやおや、オツな言葉をご存じだ。確かにあなたの母上とここの地主は借地権設定時に存続期間30年の契約を結んでいますね。いまから27年前です。契約を更新すればその後さらに20年は有効になりますが。法律は借地権者側を強く守るようにできてますからな、地主側の更新拒絶、建物明け渡し、更地返還などは正当事由なしでは認められていない。もっともこの期間中に、その建物が住めなくなるほど老朽化した時には借地権は消滅しますがね」

「ウチはボロだったけどちゃんと住めてましたよ。それを許可なく壊したのなら法律違反じゃないですか。あなたは地主の弁護士かなんかですか。訴えますよ!」

「ずいぶんと威勢がいい」


 中年男はそう言ってニヤリと笑うと、高価たかそうな革のバックから三つに折りたたまれた紙を取り出した。


「許可はあるじゃないないですか、あなたが署名した許可が」


 中年男の手からその紙が突き出された。


「署名? ウソだ、そんなのに署名なんかしてない!」


 司馬太郎は紙をひったくるように取り、紙面を見た。


「あっ、これは…」


 指宿の旅館で一般的な禁止事項の確認書だと言われた紙だった。

 あのとき司馬太郎は朱美さんといい感じであったため時を惜しみ、なにも読まずに署名してしまったのだった。…朱美さんも署名してたから、まさかそんな書類だったなんて思いもしなかった。


「これはこの土地の借地権を放棄し、建物を処分することに同意した文書ですよ。浦さん、これ、あなたの署名ですよね、間違いなく。疑義があるなら筆跡鑑定、取りましょうか」

「…いえ、私の署名です。でも、騙されたんです。そんな内容だとは知らなかったし、説明もされなかった。私は騙されたんです! これは詐欺だ! 詐欺です!」

「なにをいまさら。あなたは責任ある成人の社会人なのですよ。内容を読まずに署名しました、それで騙されました、なんて通用しないんですよ。それにねぇ、じゃぁあなたはいったいなんで指宿の高級旅館に何泊もして接待を受けたんです? 同意したからでしょ、借地権の放棄に」

「ちが、ちがう、それは鶴亀っていう老舗の京菓子屋の…鶴亀万年って人を助けたからそのお礼にと」

「老舗和菓子屋の鶴亀? 聞いたことありませんねぇ。亀屋万年堂なら知ってますが。ただし東京の老舗和菓子屋さんですがね」

「そうだ、スナックのママに訊いてみてください。それからホステスの朱美さんにも。彼女たちは最初からの事情を知ってるし、私が嘘をいていないと証言してくれるはずです。えーと、住所は、」

「彼女たちは消えましたよ。それに鶴屋万年なんて男もいません」

 

(④につづく)

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