第2話 ウサギとカメ

 とある運送宅配会社の採用試験。

 なだらかな丘の頂上から麓のゴールまでの競争が課題として提示されている。

 亀井は運動が大の苦手だ。不利な戦いになると思ったが諦めることなく、一生懸命に走ろうと思った。

 その競争相手となる兎山うさやまは、不遜にも見えるくらいに余裕しゃくしゃくで、横目でチラリと亀井を見ると口角をクイと上げて笑った。


 採用担当者が手を叩くのを合図に二人は走り始めた。

 スタートして5秒で15メートル、10秒で30メートルの差がついた。もちろん前を走るのは兎山だった。

 兎山は陸上をやっていたらしく、大きなストライドで跳ねるようにグイグイ走る。

 一方の亀井はジョギング程度の速度しか出ていない。亀井は途中で諦めるようなことはしたくなかった。故に完走するにはこのペースが精一杯なのでる。


 あっという間に兎山はゴール手前、20メートル付近にまで到達した。亀井はと後ろを見ると、まだ遥か彼方の後方にいる。その姿は米粒大にも見えないほど小さい。実力の差は歴然としている。

 そこで兎山の心に意地悪な思いが湧いた。亀井に追い抜かせてから20メートルをダッシュし、ゴール直前で再度追い抜くという余興だ。だってこのまま勝っても当たり前すぎて面白くもなんともない。

 兎山はその場に体育座りをして亀井を待った。待ったが米粒大の姿はなかなか大きくならない。ようやく豆粒大になったと思ったところで意識が遠のいた。昨夜は友達と深夜まで飲んだ。眠気が急激に襲ってきたのだった。兎山は睡魔に敗れとうとうマジ寝してしまった。


 亀井の姿はやがてスイートサファイア(ぶどう)粒大になり、おはぎ大になり、コッペパン大になり、ついに等身大となったがマジ寝の兎山は気づかない。

 眠りこける兎山を尻目に、亀井は疲労困憊の苦悶の表情でよろよろとゴールのテープを切った。彼は膝から崩れ落ち両手を地面について肩でせいせいと荒い息を吐いた。汗がぽたぽたと地面に落ちている。

 そのころになってようやくハッと目覚めた兎山は、しばし辺りをキョロキョロと見回すと、夢のような現状を把握して立つことも出来ずにうな垂れた。


「兎山さん、立てますか? 可能ならゴールしてください」


 採用担当者にそう促されやっと立ち上がるとしかし、兎山は猛烈なダッシュで20メートルを駆け抜けてゴールし、そしてその場に崩れ落ちて泣いた。

 

🐇 🐢 🐇 🐢 🐇 🐢


 採用の合否はその日の夕刻に本社社屋の会議室で行われた。

 

「今回は兎山さんを採用とします」


 ――えっ!?


 亀井は耳を疑った。勝負に勝ったのは亀井なのだ。


「そ、それはどういう…。私が何か違反をして失格になったとか?」


 亀井は思わず立ち上がって採用担当者に言った。


「いいえ、違反はありませんでした」

「じゃあ、勝ったのは私ですよね」

「はい。勝ったのは亀井さんです」

「だったら採用されるのは私、ではないのですか?」

「いいえ、今回は残念ながら」

「おかしいじゃないですか、そんなの。では何のための試験だったのです。何のための競争だったのです」

「勝ったかたを採用するとは申し上げておりません」

「そっ、そんなの詭弁でしょう。本当は最初から決まってたんじゃないんですか? さ、詐欺じゃないですかっ」

「詐欺とは穏やかではありませんね。私どもは当社の求める人材として、その適性の有無を判断するためにあの試験を実施致しました。環境条件は公正ですし、お二人についても事前情報を排除して公正な目で拝見しておりました。ですからどこに訴えられようとも、当社に悪意や欺瞞などないことを証明できます」

「わ、私は、足は遅いですし運動も苦手です。でも諦めずリタイアすることなく一生懸命に走りました。兎山さんのことはわかりません、が私は結果的にも先にゴールをしたじゃないですか。このうえ私のどこが悪かったと…」

「悪い、という言葉は適切ではありません。著しく不足していた、ということです」


 採用担当者はそう言うと会社のパンフレットを左手でかざした。


「当社は運送宅配業者です。航空便、船便、トラック便、バイク便、自転車便、いろいろと取り扱っています。社の教育方針として社員には現場実務を経験していただき、その上で配属先を決定しておりますが、そこにはひとつの必須条件があります。体力とスピードがあること、です」


 亀井はわかったようなわからないような気持ちでなんとなく頷いたが。


「でも、それって社員全員に、ですか?」

「そう、全員に。運送宅配業の肝は早さと正確性です。あまたある運送宅配業者の中で、当社が他社と比較して優位性を保っているのがその早さです。いまどきアナログなと思われるかもしれませんが、当社は早さとそれを持続する体力で勝負しておるのです。優位性を維持するためには誰がいかなるときに配達しても、一定のクオリティが保たれなければなりません。ある程度の基準は必要なのです」


 「でも」と言って亀井は兎山をチラリと見た。


「いくらスピードと体力があっても、配達中にサボるようでは…意味がないのでは」

「もちろんそうです。しかしそれは入社後の教育で矯正が出来ます。しかし…亀井さんと兎山さんのスピードと体力の差は、教育では埋めがたいほどの差があります。今回、採用を見送らせていただいたのはそういう理由です」


 ならば最初から求める人材の要項にそう書いておいて欲しかった。であれば応募もしなかったしあんなに必死に走らずに済んだ。亀井はそう思い、落胆といくぶんかの怒りを感じて不貞腐れ顔になった。


「卒爾ながら」


 採用担当者の右後ろにずっと立っていた中年の男が一歩前に出てきた。口の周りから顎にかけてびっしりとヒゲをたくわえた大男で、およそ会社員には見えない。


「亀井さんを否定しているわけではないんですよ。ただこの会社の要求に適合しなかっただけで、亀井さんには亀井さんの特性が活きる場所が必ずあります。例えば役所とかね。軽薄なフットワークが評価される世界もあるし、愚鈍なまでにじっくりと歩む仕事ぶりが評価される世界もある。ウサギがダメとかカメが良いとか、一方的に道徳的評価を下せるほど世の中は単純ではなくなった。そういうことではないですかな。適材適所の細分化とでも言おうかね。はっはっはっは、そう気を落とさんでください」


 ――適材適所の細分化、か。


 亀井はわかったようなわからないような気持ちで、またなんとなく頷いたのだった。


(了)

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