現代社会の昔ばなし

乃々沢亮

第1話 雪女

 雪景色を楽しもうとキャンプを計画し、とある雪国へ来た辰巳たつみ折茂おりも

 とはいえ雪上にテントを張って夜を過ごせるほどのキャンプ上級者ではないので、夜はキャンプ場施設のロッジに泊ることにした。

 雰囲気を壊さないようにロッジとロッジの間隔には距離をとっており、また木立が互いを隠すよう配置されているところも配慮が行き届いている。おかげで二人は雪山の静かな夜の気分を十分に味わうことができた。


 夜も更けた。

 23時を回って、窓の外の雪が激しくなっているのが見えた。吹雪いていると言ってもいい。


「なんか、ますます雰囲気がいいな」


 折茂が窓を見ながら言った。

 辰巳もゆっくりと頷いた。


「こんな夜に深夜まで起きて騒いでるっていうのも情緒に欠けるね」

「そうかもな」

「もう寝るか。雪の音が聞こえるくらいの静謐に包まれながら」

「にわか詩人か? ガラにもない」

「おまけに似非えせキャンパーだしな」


 二人は目を合わせると声を出して笑った。


「しかしキャンパー気取りでテントなんて張ってたら、今ごろ情緒とか言ってらんなかったぞ」

「そりゃそうだ。似非キャンパーに乾杯」

「にわか詩人にも」


 辰巳と折茂はグラスをカチリと合わせ、残り少なくなっていたブランデーを飲み干した。


 心地の良い軽い疲れとブランデーのせいか、二人は程なくして深い眠りに落ちたのだった。

 


 ……トゥルルルル…トゥルルルル…トゥルルルル


 辰巳は遠くで鳴る電子音に目を覚ました。それが電話の呼び出し音だと気づくのに数秒を要する。

 起き上がろうとしてやけに顔が冷たいのを辰巳は感じた。暖房が故障したのだろうか、それとも夜間は暖房が切れるシステムにでもなっているのだろうか。覚醒しない頭でそんなことを考え、ふと横を見た。


 ――ひっ、


 ベットに寝ている折茂に白い着物の女が覆いかぶさっていた。肌も抜けるように白く、まるで発光しているかのようだった。

 女は折茂の顔に「ふううう」と息を吹きかけていた。その息は白く細かい雪のようで、折茂の顔は異様に青白くなっていた。

 辰巳は目にした状況が整理できず、ただ顔をこわばらせそれを凝視していた。

 女はゆっくりと瞬きをし、再び開いたその目が辰巳を見た。


「見てしまったんだね」


 辰巳は咄嗟に首を横に振ろうとしたが、恐怖に身体が硬直し動けなかった。


「怖いのかい。そう、この男と同じ目に遭いたくなかったら、いま見たことは決して誰にも喋らないことだ。約束できるかい? もし約束を破ったらお前も…」


 ――ガッシャーン

 

 突然、玄関の方から破壊音が聞こえ、続けて足音が寝室に迫ってきた。

 女も辰巳もびっくりして絶句する。


「お客さんっ、お客さんっ、大丈夫ですか!」


 野太い声とともに二人の男が寝室のドアを蹴破る勢いで侵入してきた。一人は口の周りから顎にかけてびっしりとヒゲをたくわえた大男で、もう一人は銀縁のメガネをかけた優男だ。この二人はキャンプ場のセンターハウスからこのロッジまで辰巳と折茂を案内した男たちであった。


 女はなお絶句している。


「お連れさんですか?」


 ヒゲ男の問いに辰巳はようやく首を横に振った。


「不法侵入の現行犯および殺人もしくは殺人未遂の容疑で身柄を拘束する」


 ヒゲ男はそう言うが早いか女に飛びかかって折茂から引き剥がし、後ろ手に女を縛り上げ床に座らせ抑えつけた。その間、銀縁メガネは折茂の頬を(比較的)乱暴に叩いていた。


「防犯ブザーが発報して監視カメラに白い着物の人影が映ったんでね」


 そう言ってヒゲ男は辰巳に微笑みかけた。


「デカ長、大丈夫です、息してます。意識もあります」


 銀縁メガネがホッとした顔で言った。

 辰巳はハッとしてベットから飛び起き、折茂の傍に寄って手を握った。氷のように冷たいが、握り返してくる感触が伝わった。


「ベットごとリビングに運びます。暖炉にも火を入れましょう。まずは身体を暖めないと」


 銀縁メガネはベットの縁を掴むと思いがけない力強さでベットを引き摺り、折茂をリビングに連れて行った。

 辰巳は色々と驚くことが多発しまだおろおろとしていたが、ヒゲ男に向き直ると取り敢えずの疑問を訊ねた。


「あの、『デカ長』って、…警察の方ですか?」

「いや、警官です。キャンプ好きが高じて警察を退官し、いまはここに勤めてます」


 朗らかにそう答えたヒゲ男は、しかし一瞬にして表情を消して女に向かった。


「で、あんたはなんだ? 雪女かなんかか?」


 ――なるほど、確かに雪女のように見える。しかしさすが元警官だ。こんな時でも動揺せず冗談が言えるとは。


 辰巳は感心した。


「雪女かなんかか、じゃない。雪女だ」


 女はそう言うと「ふうううう」と息を吐いた。その息が細かい雪となってヒゲ男の膝に吹き付けられ、そこに白い霜を作った。


「へっ?!」

「ほお」


 辰巳は驚愕したがヒゲ男は依然として泰然としている。


「あたしは雪女だ。人間じゃあない。日本の国籍にも他のいかなる国の国籍にも入っていない。権利もないかわりに義務もない。だから人間が作った法律に裁かれることもない。不法侵入? 殺人容疑? そんなのあたしには関係ないんだよ」

「まぁまぁ、それは警察署で言ってくれ。おれは今は民間人なんで判断できん。警察に身柄ガラを引き渡すだけだ」

「イヤだね。なんで人間の理屈に従わなきゃならない。あたしは雪女だ。つべこべ言ってると凍え殺すよ」


 「ふん」ヒゲ男は鼻で笑った。


「どうぞどうぞ、やれるんならやってみな。お前、みたいに一瞬で俺を凍らせることなんて出来んのか?」


 雪女が声を詰まらせる。


「二秒で俺を凍らせることが出来るのか? もしそれ以上かかるなら俺はあんたを完全に制圧できるが」

「…あ、あたしは人間じゃない。人間じゃないあたしを人間の法で裁けるものか。裁判所も検察も困惑するだけだ。お前は元警官なんだろ? それをわかっててあたしを脅してるだけさ。騙されないよ」

「あんたはそれを主張するつもりか? 自分は人間じゃないと」


 ヒゲ男はヤレヤレというように首を左右に振った。


「わかってねぇな、俺はあんたを脅してるんじゃない、むしろ救ってやろうと思って言ってるんだぞ」

「救ってやる? それってどういうことですか?」


 思わず辰巳が口を挟んだ。


「人間じゃない。だったら人間の法では裁けない。じゃあ釈放、ってなると思うか? 被害者が出てんだぞ、実際に。『人間じゃない。じゃあなんだ。人間に危害を加えたモノ』そう認定される。つまり害獣。害獣は人として裁かれることはない、もとの自然に返されるか…駆除される」

「駆除…」


 雪女の瞳が揺れた。


「駆除。殺処分されるってことだ。あんたはどうだ? 自然に返すって言ったって生息域はどこだ。言えるか? 言えたとしてもこんな危険な害獣をまた野に放すなんて、きっと猛反対する人たちが出るだろう。つまるところあんたは…」

「わかった。あたしを警察に連れていけ。人間として裁かれる。あたしは殺されない限り寿命で死ぬことはない。さっきの男はどうだ? 死んでないか」

「命に別状はない」

「そうか、なら殺人未遂罪で死刑になることはあるまい。懲役刑などあたしにとっては一瞬だ」

「法廷で口から冷気を吐いて凍死させようとした、なんて言うなよ。精神鑑定の結果、無罪、なんてなったら俺が許さねぇからな。そんときはあんたを探し出して俺が駆除してやる」

「あたしにもプライドがある。雪女と自称して狂人扱いをされるつもりはない」

「よし。交渉成立だ」


 ヒゲ男は雪女を立たせると「念のため」と雪女の口にガムテープを貼ろうとして、はたとその手を止めた。


「ところで雪女。なぜあんたは人間を襲う」


 雪女は目を伏せると口ごもった。


「喰うのか?」

「喰わぬわ。あたしの身体は食わねば死んでしまうような不便な仕組みにはなっておらん」

「じゃあなぜ」

「…伴侶探しの手段だ。本当の雪女を見ても口外しないほどに口の堅い男をさがしておる。…前に見つけたのは良い男だったが、二人きりになったときにふと目撃談を話しおった。あたしがその目撃談の雪女とは思いもしないでな」

「その男を…どうした?」

「言わぬ。言ったところでもう時効が十分過ぎるくらいに成立しておる。こう言えば法律に関心がある者ならそれが殺人ではないことがわかるであろう。殺人罪に時効はなくなったからな」

「ずいぶんと法律に詳しいんだな」

「人間と夫婦めおとになるには人間の常識を知らねばならん。場合によっては仕事に就く必要もある。学問は必須だ」

「なるほどな。学もある、美貌もある。才色兼備といったところか。雪女じゃあなければかなりいい女だ」

「お前もなかなかの男ぶりだ。どうだ、あたしと一緒になる気はないか。いい仕事をするぞ」


 雪女が僅かに顎をあげ、切れ長の目からヒゲ男に流し目をくれた。その立ち姿は怖ろしく妖艶で美しい。

 

「そうだな」


 ヒゲ男はまんざらでもないという顔をしてニヤリと笑った。


「俺はすでにもう鬼と結婚しているが、鬼と闘う覚悟があんたにはあるのか?」


 雪女は口角を引き結ぶと首を巡らせ窓の外を見た。


「いま吹雪を止めた。もうここに用はない。連れていけ」


(了)

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