音色探しの日々


 練習開始から一週間が過ぎた頃、ようやく師匠から返事が来た。

『忙しいから直接見てやるのは難しいけど、録音くらいなら空いた時間に聴いてやるよ』

 僕はそれに喜んで返事をした。そして何通も録音データを送り付けたのだが、再び返事が返ってくるまでには時間がかかった。

 同時進行で音無さんも演奏を再開し、僕たちは交代でピアノを弾くことが多くなった。音無さんの演奏は、分かっていたけど凄まじい。

 まるで本当に別の世界にいるような心地。気を抜くと演奏の世界だということを忘れてしまいそうなくらいに。彼女の内包する想像力や曲への自由な解釈が直接流れ込んでくるようだ。しかもそれが曲毎に、演奏する毎に変わる。音楽の可能性を無限に開拓していくように。純粋に、僕の再現より色濃く密度の高い世界に誘われる。が、途中で現実に引き戻されてしまう。

「大丈夫?」

 水谷さんが駆け寄る。

「うん、平気。また少し休んでから弾こうかな」

 音無さんは震える両手を互いに抑え合いながらピアノを離れる。

 音無さんはやはり、まだ弾けるようにはなっていなかった。長くて1分。短いと30秒も持たない。辛いだろうけど、音無さんはピアノに向き合うことをやめなかった。そして弾いている時は、誰よりも楽しそうだった。


 お互い改善が見られないまま1か月が経った頃、師匠から電話があった。突然のことで僕は驚いた。

「はい、もしもし!」

『あの子と何かあったの?』

「はい、実は」

 僕は音無さんとのことを話した。

『そっか。じゃああの子を超えるために、自分の音を探すんだね』

「はい。……いえ、僕は自分の為に弾きます」

 音無さんのためというのもあるが、あくまで自分のための音色探しだ。

『…そっか。録音は聴いたけど、まだまだ先は長いよ。折れないように頑張りな』

「ありがとうございます」

『あ、あと』

「はい?」

『色んなところで、色んな人のために弾きなさい』

 師匠はそう言ってすぐに電話を切った。誰かのために演奏をすること。それは確かに、音無さんにはあって、僕には足りていない要素の一つのように思えた。師匠がくれた貴重なアドバイスを、僕は忘れないように急いでメモした。



 月日は過ぎて行く。練習の日々は濃密であっという間だ。僕も音無さんも目立った変化のないまま春が来て、僕たちは2年生になった。代々木さん、音無さんは特進コースで同じクラスになった。そして僕と水谷さんは普通コースで同じクラスになった。

 水谷さんはこんな僕の演奏でもいいという人からの依頼をとってきてくれた。これまで通りSNSで演奏を載せ、事情を説明し今の僕でもいいかという交渉をしてくれた。とてもありがたいことだ。公民館での演奏も再開し、僕は師匠の教え通り色々なところで、色々な人のために演奏をするよう心掛けた。

 そして少しずつ、少しずつだけど自身の音色を掴めるようになってきた頃だった。


僕は文化祭への出場を決めた。大人数を相手にする舞台は久しぶりだし、まだまだ去年のように会場を沸かせることはできないだろう。けど、成功させることはできずとも少しでも自分の音色のためになればいいと考えていたのだが。


「去年の演奏の!」

 文化祭実行委員にそう言われ、流れが変わった。昨年の大盛り上がりを知っている人たちに半ば強制でトリにされてしまい、僕は有志の目玉として大々的に扱われてしまったのだ。


そしてその大舞台で、僕は大コケした。もちろん、やれるだけのことはやったと思う。けど、周囲の期待値があまりにも高すぎた。悔しいけど僕の演奏ではそれに応えることはできなかった。途中音無さんから楽譜の使用を促されたが、さすがにそれはプライドが許さずに断った。僕は今までで一番じゃないかというくらいに落ち込んだ。


 それでもどうにか、自分の音色探しを続けた。そして少しずつではあるが、僕の音は色づき始めた。半年ほど経ってようやく、自分でも微かに分かるくらいだったが、進んでいると分かるのは気持ち的に大きいものだ。この道は間違っていない。そう自分を励ましながら、ピアノを弾き続けた。

 音無さんは依然、長時間ピアノを弾くことができなかった。


 夏休みが迫った休日、師匠から呼び出しがかかり急いで向かった。

「今日から少し暇になったから、ちゃんと見てあげる」

 師匠はそう言って、音楽教室で僕の演奏を聴いてくれた。こんな機会はめったにない。僕は必死に演奏をし続けた。師匠はビシビシと厳しい意見を出してくれた。

「だめ」

「今の音はひどい」

「何で今の流れでそんな音鳴らすの」

 厳しいのは構わないがもう少し配慮はしてほしいと思う……。


「前より良くなってはいるけど。……薄いね」

 色の薄さ。それが僕の音色の致命的な欠点だった。音無さんや師匠のような絶対的な色の濃さがないと、誰かの心に響く演奏というのはできない。しかしどうすれば音色を濃くできるかは師匠にも分かっていないようだった。

「まあ、おそらく先天的なものも多少はあると思う。不器用さ、感情の希薄さ、理由は様々ね。それに加えてあんたはピアノを始めた最初から真似に特化した演奏を目指した。真似するのに自分の音色は邪魔になる。だから、無意識のうちに自分の音色を出さない演奏が染みついてしまった」

 師匠の言うことはよく理解できた。実際僕は時間をかけて技術を身につけただけで元は不器用だし、感情の起伏も乏しい方だ。

「それならどうすれば……」

「改善していくしかないでしょうね。…いい? 音っていうのは自分を出すことなの。あんたにだって感情や思考がある。ピアノを、音を通してそれを観客に伝えることがピアニストのやることなの。勝手に音に感情が宿るわけじゃない。まず、何をイメージして弾くか、それをしっかり詰めてから演奏しなさい。今はもしかしたら、ピアノより曲とか自分と向き合う時間を増やした方がいいかもしれないね」

 師匠のそのアドバイスは僕の間違った考えを消し去ってくれた。師匠や音無さんはいつだって自分の感情や思考、あるいは曲への解釈を音に乗せていた。代々木さんも、沢渡さんもそうだった。僕はいつからかそれを忘れて、才能の力だと思い込んでしまっていた。そう、音色だって、高度に練られた感情や思考で現れるものなのだ。

「まずは基礎からやり直しましょう。技術や指の動きを意識していたらいつまでも音は濃くならない。とにかく表現を最優先に演奏できるようになること。それが第一条件ね」

 僕はその日から、初心者用のメニューを始めた。基礎の練習をやるなんて普通なら楽勝だが、一音一音に感情を乗せるのは難しかった。少しでも抜けてしまうと師匠は目ざとくそれを指摘する。

 しかしこの練習が効果てきめんで、僕は文字通り一から自分の演奏を作ることができるようになった。今までの技術を重視した演奏ではない。表現を最優先にした演奏を。



 それからも試行錯誤の日々は続いた。


 僕たちは3年生になった。



「これ、お願いします」

 6月初旬の放課後、僕は生徒会室を訪れた。有志の申し込みをするためだ。僕の顔と申込内容を見て、去年の大敗を知っていたのであろう受付の人はぎょっとしていた。気にせず書類を提出し、いつも通り音楽室に向かった。水谷さんと代々木さんは、僕を待ってくれていた。

「やろうか」

 僕が言うと二人は頷いた。音無さんは5月になってから音楽室には来ていない。いや、正確に言うと僕らが来ないようにとお願いしたのだ。僕らは高校最後の文化祭を、音無さんを超えるため、そして復活してもらうための一つのゴールとして設定した。そのために音無さんに僕らの音を隠しておきたかったのだ。二人とともに曲を決め、そして二人とともに自分の音色を、今できる最高の演奏を模索し続けた。最近は師匠からも高い評価をもらえることが多くなってきた。

 音無さんを超えるため、僕は今日までピアノを弾き続けた。

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