真白創真③
「じゃあ、二人ともありがとうね。今日は帰るよ」
「うん、またね」
音無さんと代々木さんは二人で帰って行った。二人の表情は爽やかだったけど目は真っ赤で、帰り道に誰とも会わなければいいなと願った。
「さて、じゃあ私たちも帰ろうか」
二人が帰った数分後、水谷さんが立ち上がった。僕も帰ろうと思うが、何かが引っ掛かっているようで、ずっと思考が止まらない。
「真白君?」
僕はずっと、何かを見落としている。
これで良かったのだろうか。これで音無さんは復活するのだろうかと。
確かに、音無さんの復活のためには彼女をピアノに向かわせること、そのための障害となっていた恐怖を取り払うことは必要不可欠だったと思う。代々木さんの演奏は確かにそれを取り払った。
けど、それだけでいいのか?
僕は何かに気付いているはずだ。無意識のうちに。いや、どこかで意識したことがあったはずだ。具体的な言葉を、どこかで聞いたことがあった。…思い出せ。記憶を探れ。音無さんとの出会い。公民館での演奏。結婚式。文化祭。……吉原さん。
『使命感?きっとそのせいなのよね……』
演奏後の吉原さんの言葉を思い出す。音無さんをイップスにまで追いつめた原因。それは彼女の大きすぎる使命感なのではないか。
「真白君ってば!」
肩を叩かれ思考が途切れる。水谷さんは不貞腐れた顔で僕を見ていた。
「帰らないの?」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してて」
「考え事?何?」
水谷さんは隣に座った。
「水谷さんは、音無さんはピアノを弾けるようになると思う?」
「うーん、どうだろう。イップスが治るかどうかは奏ちゃん次第なんじゃないかな。あかりちゃんもそのための一歩として奏ちゃんをピアノに向かわせたわけでしょ?」
「そうだよね。考えたんだ。音無さんのイップスの原因」
吉原さんに言われたこと、これまでのことを鑑みると、使命感がイップスの原因、というのはかなりの信ぴょう性を持っていた。話すと、水谷さんも納得した様子だった。
「確かにそれはあるかもしれない。奏ちゃん、演奏の為なら無理しようとすること多いし、一人で抱え込んじゃうところはあるよね」
野球応援の時もギリギリまで僕らに助けを求めなかったこと。吉原さんの件でも一人で楽譜作りに集中していたこと。そして演奏依頼を始めようとした時も、本気で毎日受けようとしていたこと。思い当たる節を上げ出すときりがない。
「うん。あれだけの才能を持っていたら、音無さんの性格ならそれを活かそう、少しでも広めようって気持ちになるのは分かる。だけど、それは同時に代々木さんの演奏にはないものに思えた」
今日の代々木さんの演奏は、恐らくその使命感が生まれる前の音無さんの音色だ。音無さんに宿った使命感は音無さんの音色を確かに成長させたのだと思う。けど次第にそれが蓄積して重荷になってしまって、圧し潰されて、イップスという結果につながったのではないか。
「でももしそうだとしてもどうすればいいのかな。自分の為だけに弾いて!とか言っても解決はしないよね」
「うーん」
それで済むなら楽だが、現実はそう簡単にいかないだろう。思考、感情を消し去るのは難しい。しかも何年もかけて培われた使命感だ。それを消す、あるいは弱めるには、その基になっている考え方や価値観を破壊しなければならない。
「そもそも何で音無さんはそんな使命感を抱くようになったのかな」
「そりゃ……。褒められて、頑張ろうって気持ちになったからでしょ?」
「そうだよね。頑張ろう。自分が、って思い過ぎているのかも」
「じゃあ誰かが奏ちゃんを超えればいいんじゃない?」
水谷さんの言葉にハッとする。
「奏ちゃんはきっと、良く言えば自信と責任感から、悪く言えばちょっとの過信から使命感を抱いてるわけでしょ。だから奏ちゃんを超える人が現れれば」
「使命感はなくなる……」
「のかな?」
水谷さんも自信なさげだが、何となくそれが答えだと僕は理解した。
「じゃあ、音無さんを超える人を探さないと」
真っ先に思い浮かんだのは師匠だけど、音無さんはファンと言っていた。ということは何度も演奏を聴いているだろうし、今イップスが治っていないということは効果がないのだろう。というかプロが音無さんを超えていたところでそれは当然というか、音無さんの精神にはあまり響かないのだろう。とすると、近しい人や同年代の人に絞られる。そうなるとさっき素晴らしい演奏をした代々木さんや、ポテンシャルで言えば沢渡さんなら……。
「真白君が奏ちゃんを超えればいいよ」
「は?」
水谷さんの軽い口調のハードな提案に、僕は驚きすぎて思わず強い声が漏れた。
「いや、だって真白君はこれから自分の音色を探すんでしょ?ならちょうどいいじゃん。奏ちゃんの代わりをやめたなら、超えるくらいの気持ちでいなきゃ!」
「いや、僕なんかじゃ」
「できるよ」
水谷さんは僕の否定を遮るように肯定する。
「真白君ならできるよ。ううん、きっと誰にでもできるんだと思う。真白君が動かなくてもきっとそのうち奏ちゃんを超える誰かが現れて、奏ちゃんはいつかイップスを克服すると思う。でも、奏ちゃんを超えるのは真白君がいいな。二人のマネージャーとして。二人のファンとして……私はそう思うな」
水谷さんは将来の夢を語るように、訥々と語る。そこには何の根拠もない。けど純粋な願望があった。その願望と、以前の沢渡さんの言葉が僕に勇気をくれる。そうだ、限界を超えると決めたんだ。音無さんを超えるくらいにならないと。
「うん。やるよ。僕が音無さんを超える」
僕がそう決意すると水谷さんは嬉しそうに笑った。僕たちは夜遅くまで練習をしてから帰った。
「使命感、か…。確かにその可能性は高い気がする。うん、そうかも」
代々木さんに僕たちの考えた仮説を話すと概ね理解し、賛同してくれた。僕らより音無さんに詳しい代々木さんに賛成してもらえたことで、この仮説の信ぴょう性も大幅に上がった。
「それにしても、奏を超える、か…」
代々木さんは天を仰ぐ。
「まあ、真白君ならそれがどれだけ難しいのかは分かってのことだよね。私も協力するから頑張ってね」
「ありがとう。頑張るよ」
代々木さんの協力も得ることができた。そして返事はないが師匠にも連絡は入れた。
僕はそれからすぐに、自分のピアノを変えるための練習を始めた。
のだが。
「何も感じない、かな」
と代々木さん。
「無味無臭」
と水谷さん。
「えっと、頑張ろう?」
と苦笑いの音無さん。
三人からはぼろくそに言われてしまう。がっくりと肩を落とす。
「おかしいなあ。この前聴いた時は確かに真白君の音が入ってたのに」
代々木さんのそんな言葉に驚く。
「この前っていつ?」
「ほら、公民館で演奏してくれた時。だから聞いたでしょ?最近何か演奏について言われなかったか、って」
「ああ、あの時…」
思い出すけど、あの時何か特別な状態だった記憶はない。
「奏の音と混ざってたから目立ってただけかな…」
「ああ、それはあるかも。私もここ最近違和感はあったから」
代々木さんの言葉に音無さんも共感する。
僕は何となく、公民館で演奏した時のことを思い出しながら同じ曲を弾いてみた。
「やっぱり違うなあ」
案の定の結果だった。そう簡単にいくとは思っていなかったが、現実は想像よりも厳しい。
「二人はどうやって演奏しているの?」
聞くと、二人はうーんと少し考える。
「何か、ぐわーって感じ?」
「ピアノに自分の気持ちをぶつけるの。自分の中にある思いとか曲への解釈を指から鍵盤に、足からペダルに伝える感じかな」
音無さんの相変わらずな説明に、代々木さんの分かりやすい説明。とりあえず代々木さんの説明を念頭に置き、めげずに何度も試行錯誤するが、中々上手くいかなかった。
……僕の音色探しは、まだまだ始まったばかりだ。
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