代々木あかりと音無奏①
トランペットを置くとすぐに勉強の支度を整えた。夏休みとはいえまだ野球部は勝ち進んでいるし、先輩たちにとって最後のコンクールも近い。足を引っ張るわけにはいかないと空いた時間での練習は欠かさなかった。時計を見てついついやり過ぎたと慌てていると、インターホンが鳴った。予定より10分早い。学校に行くときはいつも時間より遅れるくせに、遊んだりするときは早く来るのだ。
「おじゃまします!」
私がドアを開けると、奏は元気に言った。今日は二人で夏休みの課題をする予定だ。奏が私の家に来るのは久しぶりな気がする。
ほどほどに会話をして、二人で勉強を始めた。奏は一見バカっぽいけど成績優秀で、勉強も嫌いではない。取り掛かり始めてすぐはペンの走る音しかしなかった。のだけど、途中から奏のペンの音が止まった。飽きてしまったようで、問題集以外のものを開き始めた。ちらりと見ると、五線譜が見えた。
「楽譜?」
「そう。息抜き」
明らかに勉強より集中して楽譜と向き合う奏を見て、私も問題集を閉じた。
「真白君、すごいね」
私は呟いた。
「うん。あんなに再現できるなんて私も想像以上だった」
「文化祭で聴いた音、間違いなく奏の音だったもん」
「そうでしょ」
奏は自慢げに言う。
「今度他の曲も聴かせてね」
「もちろん。今はあの時よりもっとすごいよ」
「……そっか」
複雑だった。私は奏の音を再現できる人が現れるなんて思ってもいなかったし、正直願ってもいなかった。奏の代わりが現れるということは、奏はもう自分では弾かなくなるということだから。そう思うとどうしようもなく悲しかった。けどこうやって楽しそうな奏を見ていると、また無理はしてほしくないとも思う。私がしていることは正しいのか、エゴなのではないかと考えてしまう。いや、と私はその考えを振り切る。私がしたいのは、奏を無理やりピアノに向かわせることじゃない。奏にまた、自分からピアノに戻ってもらうことだ。そのためにも、私は迷うわけにはいかない。
奏が帰ると、私は再びトランペットを吹き始めた。
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