吹奏楽部からの依頼

 

 本格的に夏が始まり、気温が上がると同時に蝉が忙しく鳴き始める。衣替えでワイシャツ登校になったとはいえ普通に演奏しているだけでも汗が出てきて、べたべたして気持ちが悪い。しかし夏はコンクールに野球部の応援と吹奏楽部にとっては一番活動が盛んな時期だ。弱音を吐くわけにはいかない。…文化祭での演奏は大成功に終わった。私のトランペットは顧問からも高く評価してもらえたし、私自身これまでの楽器で培ってきたものが活かせたと手ごたえも感じていた。これなら今度こそ奏を…。そんなことを考えていた矢先、私は部長に呼び出された。

「お手伝い、ですか?」

「うん、ぜひ頼みたいんだ」

 吹奏楽部の部長、佑子先輩は言った。ベリーショートの髪にきりっとした目つき。ボーイッシュな見た目の彼女は、その見た目に違わずはきはきとした口調で話す。

「この前の文化祭での演奏、代々木さんも聴いたよね?」

「はい。真白君、ですよね」

 奏の代奏。文化祭の話題は彼で持ちきりだ。確かにすごい演奏だった。あれは私の知っている奏の演奏、いや、それ以上のクオリティだった。

「そうそう。代々木さん、彼と知り合いだったりしない?」

「ああ、まあ知り合いといえば知り合いですね」

 一応お化け屋敷の時に顔は見ている。けど、言ってから私が一方的に知っているだけだと思った。

「それなら良かった。実は彼に野球応援の曲をアレンジしてほしくて」

「あー、なるほど…」

 真白君が演奏していたのはポップスのアレンジ曲だ。そのアレンジの独自性、そして盛り上げることに特化した演奏は応援に向いているだろう。

「もし知り合いなら一緒に来てほしいんだ。その方が彼も話しやすいだろうし」

「分かりました」

 真白君とは話したことがないが、部長の言う内容だと恐らく交渉相手は奏になる。それなら私が着いて行った方が話は早くなるかもしれない。

「代々木さんは何で吹奏楽部に入ったの?」

音楽室に向かう最中、佑子先輩がぽつりと言った。その表情は特に明るくも暗くもない。何の変哲もない、ただの雑談だろう。

「元々楽器が好きだったので」

「そうなんだ。これまでは何の楽器を?」

「色々やりました。ピアノ、バイオリン、太鼓にギター、ベースも」

「へえー。どおりでトランペットも素人とは思えないわけだ」

「いえ、私なんてまだまだです。…佑子先輩はどうして?」

 私も特に理由なく聞いた。

「私は甲子園で演奏するのが夢だから」

「甲子園で?」

「うん。小さい頃に見た甲子園で、試合に挑む選手たちより、私は応援してる吹奏楽部に目が行っちゃったんだ。…それから私はずっと甲子園を目標にやってきた」

「素敵な夢ですね」

 率直にそう思った。

「ありがとう。今年が最後のチャンスだから、応援もいいものにしたいんだ。私を甲子園に連れてって、ってね」

 佑子先輩はそう言って笑った。そうだ、3年生にとっては今年が最後なのだ。佑子先輩の為にも、俄然頑張らなくてはという気持ちが湧いた。

「お、いるね。いい音がする」

 音楽室を覗き込むと真白君と奏、カレンちゃんが三人で何やら話をしていた。真白君は話しながら有名な練習曲を凄まじい速さで弾き続けていて、すごい技術だと思わず感心してしまった。

「失礼します」

 佑子先輩と続いて音楽室に入る。奏とカレンちゃんは私に気付くと喜んで迎えてくれた。

「今日は頼みがあって来たの」

 はしゃぐ二人を諫めて佑子先輩に会話をバトンタッチする。

「実は…」

 佑子先輩は依頼の詳細を三人に話した。野球部の夏の大会の応援は吹奏楽部の大きな活動の一つだ。学校によってはコンクールよりも力を入れているところもあると聞く。うちの学校もそこまでではないがかなり力を入れていて、選手ごとの好きな曲をベンチメンバーまでの人数分、そして全体応援歌3曲を練習する。

「この人数分の好きな曲の演奏、そのアレンジをできれば1か月以内に頼みたいんだけどどうかな?」

「いいですよ!やります!」

 奏はあっさりと引き受けた。しかし佑子先輩は奏の答えに何だか複雑そうな表情をしていた。いや、これは奏が答えたことに疑問を抱いているのだろう。誤解を解かないと。

「部長」

 真白君は演奏者、そして編曲は奏であることを伝えた。

「そうだったんだ!二人組だったのか」

「はい。もっと言うと三人組ですけど」

「奏ちゃん…」

 奏の言葉に、隣のカレンちゃんは目をうるうると震わせた。

「とりあえずその依頼は引き受けます。曲目とかはまだ分からないんですよね?」

「うん。これから野球部に訊きに行こうと」

「あ、じゃあそれ僕がやりますよ」

 そう言って手を上げたのは真白君だった。

「え、真白君珍しい。そういうこと嫌がりそうなのに」

「いや、今回は僕ができそうなことあんまりないからさ。これくらいは手伝おうと思って…。あと音無さんの楽譜を演奏するなら少しでも練習は多い方がいいと思うから」

「うわ、経験者は語るってやつだ…。じゃあ私も行く!理子もいるから話しやすいと思うし!」

 カレンちゃんも続けて手を上げた。

「じゃあお願いしようかな。1曲大体30秒くらい、サビの辺りの楽譜を作ってほしい」

「分かりました!任せてください!」

 奏の快活な返事で交渉は終わった。


「あ、あかりちゃん!」

 2日後、吹奏楽部の部室に向かう途中、カレンちゃんから声をかけられた。

「カレンちゃん、どうしたの?」

「これ!最初の楽譜だって!」

「え、もうできたの?」

 30秒程度の楽譜とはいえもう少し時間がかかると思っていたので驚いた。文化祭の時の盛り上げ方、そしてこの速度。奏は編曲者として成長している。それは私にとっては少し複雑だった。

「中身、見てもいい?」

「うん」

 周囲に人がいないのを確認して、廊下を歩きながら楽譜を見る。相変わらず滅茶苦茶な量の指示。しかしそれらにちゃんと意味のあることも理解できるから不思議だ。しっかり楽器ごとに役割分担されており、一人当たりの負担は少ないようだ。

 そもそも奏の楽譜を弾きこなすのは普通の人には不可能だ。奏が作れる楽譜は奏の音色でしかない。それを別の人が弾こうものなら色が混ざり奏の思い通りの音色にはならない。だからこれは簡易版といったところだろう。100%ではなく80%の音色。余白を残しておくことでその人の音色と混ざり過ぎないようになっている。本当にすごい技術だ。

 部室に入ると早速受け取った楽譜を皆に見せた。最初は喜んだが、その楽譜を見るとみるみるうちに表情が曇っていった。

「何これ…」

 そういう言葉が出るのも無理はない。奏の楽譜の指示は常人からすれば鬼のように多い。これ以上を弾きこなしている真白君が異常なだけだ。

「とりあえずやっていきましょう。難しいけどその分再現できればすごい楽譜なので!弾けば分かると思います」

 私は憂鬱そうな皆を励ますよう、努めて明るく言った。

 楽器ごとの練習が始まる。トランペットは私含めて5人。私はまず一人で楽譜の音色を何音か鳴らし、皆の猜疑心を払った。その効果は絶大だった。この楽譜がすごいものだと分かると、目の色を変えて練習に打ち込み始める。それだけの魅力が奏の音色にあるということだ。しかし中々指示の全てをこなし切るのは大変だし、ところどころにある意味不明な指示の解釈とも格闘しなければいけず、いつも以上にハードな練習が続くようになった。いつもは19時に終わっていた部活も、20時過ぎまで続くことが多くなっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る