文化祭③



 二日目の朝、真白君は最後の調整を済ませた。昼過ぎから有志の発表が始まり、トリである真白君の出番は夕方近くだ。私と奏ちゃんは午前中、外部からの入場者で賑わう自分たちのクラスで接客の仕事をした後、少し遅めの昼食をとってから舞台袖に向かって真白君と合流した。

「今日は緊張してない?」

「うん、大丈夫。指も動くし問題なさそう」

 真白君は楽譜を読みながら指をわきわきと動かしていた。

「頑張ってね。真白君」

「うん、頑張るよ」

 気合十分といった感じだ。結婚式のような緊張もないようで安心した。

 前の組の演奏が終わり、撤収作業とピアノの運搬が忙しなく行われる。

「では真白さん、お願いします!」

 実行委員に呼ばれ、真白君は楽譜を奏ちゃんに渡した。

「じゃあ行ってくる」

「うん、頑張ってね」

「頑張って!」

 二人でもう一度エールを送る。真白君は力強く頷き、スポットライトに照らされたピアノに向かって行く。

「トリは!ピアノを演奏してくれます!1年A組の真白創真君です!」

 司会が高らかに真白君をコールする。盛り上がっていた会場が若干落ち込んだのが分かった。ピアノというと盛り上がるイメージはないだろうし、1年生で知り合いが少ないからだろう。

しかしそんな空気の中でも真白君はいつも通りだ。ゆっくりと落ち着いた動きに、私は何だか成長を感じて嬉しかった。真白君の演奏が始まる。

弛緩していた空気が一気に張り詰めた。開幕からノンストップの超絶技巧。奏でられる聞き覚えのあるメロディーと、それによって生じる未知の興奮。ざわつきはやがて歓声に変わる。そしてその瞬間、私は演奏が完成したと理解した。練習でも十分な感動と興奮をもたらしてくれていた演奏だけど、歓声が加わることでよりそれが大きくなっている。そして歓声も演奏の一部にして、参加させることでより一体感を出している。本当にお祭りのようだ。聴いてもらうことで、喜んでもらうことで初めて完成する演奏。いつもの別の世界にいざなう演奏とは違う、ピアニストと観客が共に心を奮わせる音色だ。

 私は会場の盛り上がっている様子を目に焼き付けるように眺めた。すごい。より嬉しい。が勝った。結婚式の時に抱いた微かな思いは大きくなり、確信へと変わる。私はほんの少し手伝っただけだけど、それでも、やっぱりこの光景を作るのに1%でも関われていることがたまらなく嬉しい。私は自分がやりたいことに、夢中になれることに、ようやく出会えた気がした。

真白君もノっているのか、身体をいっぱいに使って音を鳴らす。湧き上がる歓声に負けないよう高らかに力強く弾いていた。弾いている人も、聴いている人も皆楽しめる。そんな素敵な舞台を作り上げた二人を、友達として誇らしく思う。


 最後の一音の余韻まで聴き終えると、体育館は揺れた。拍手はたちまちアンコールの声に変わるが、規定時間は終わっている。進行のためにと司会が慌ててアンコールを断ち切った。

 袖に戻ってきた真白君に奏ちゃんはドリンクを渡し、お疲れ、と声をかける。もう見慣れたやり取りだ。

「あの楽譜すごかったよ。演奏始めたら会場がわーって盛り上がってくれて。それで完成する演奏だなんて」

「でしょ?狙い通り大成功だった。…カレンちゃんはどうだった?」

 奏ちゃんの問いかけに、私はぽつぽつと自分の心の中を吐き出した。

「…すごかった。二人の演奏はずっとすごいけど、今日もすごくて。私、曲を選んだだけなのに。録音しただけなのに。何だか自分のことみたいに嬉しくて。だから、これからも二人の力になれるように頑張るね」

二人は私の謎の宣言にびっくりして一瞬沈黙した。やばい、と自分でも分かった。何を言っているのだろう。演奏での興奮が残っているのかもしれない。

「いや、待って今のは」

「よろしくね」

私が自己弁護を始める前に、奏ちゃんはそう言って微笑んでくれた。その言葉がたまらなく嬉しかった。私がやりたいことを認めてもらえたようで。

「うん。雑用でもなんでも任せて!」

 私が言うと、二人は笑った。何だか靄が晴れたような新鮮な気持ちになる。私がやりたいこと。それはこれから先、どんどん変わっていくのだと思う。いずれは手伝いじゃなくて、自分で何かをやりたくなる時が来るのかもしれない。でも今は。この二人の手伝いが、私の一番やりたいこと。そう自信を持って言える。


 有志の演奏は大熱狂のまま幕を閉じた。翌日の文化祭最終日にはそこかしこで真白君の演奏が噂になっており、本人を探している人もいた。しかし肝心の真白君はその頃布を被ってお化け役をしていたので、誰も真白君を見つけることはできなかったという。

 文化祭の終わり、帰る前に私と奏ちゃんは音楽室に来ていた。

「真白君、すごい噂になってたね」

「うん。これがきっかけでモテ始めたりして」

「あり得るかもね。でも本人は嫌な顔しそう」

「確かに」

 二人で話していると、コンコンとドアが鳴った。

「はーい」

 奏ちゃんが答える。一瞬真白君かと思ったけど、真白君ならノックはしないだろう。

「あ、やっぱりここにいた」

 ドアを開けたのはあかりちゃんだった。

「あかり、どうしたの?」

「いや、今日部活休みだから、二人とどこか寄り道でもしたいなと思って」

「お、いいねえ。行こう行こう」

 奏ちゃんがノリノリで答える。

「私も行きたいな。あ、そういえば閉会式での演奏もすごかったよ。さすがあかりちゃん」

 閉会セレモニーで行われた吹奏楽部の演奏は圧巻だった。中でもあかりちゃんのトランペットソロがすごかったのは、素人の私にも理解できた。

「ありがとう。みんな頑張ったからね」

 あかりちゃんは上品に笑った。

「……ここでいつも真白君?が弾いてるんだよね」

 あかりちゃんはジッとピアノを見つめながら言った。

「そうだよ。あ、真白君の演奏はどうだった?すごかったでしょ」

 奏ちゃんの言葉に、ピアノから目を離さずこくりと頷く。

「うん、すごかった。本当に奏を再現していた」

「でしょ。やっぱり私の目に狂いはなかったよ」

「……そうだね」

 奏ちゃんは誇らしげに言う。……気づいていないのだろうか。あかりちゃんの声色は今まで聞いたことのないくらい真剣そうで、私は二人の温度差が少し怖いくらいだった。

 数秒、沈黙が続いた。日が傾いてきている。薄暗い音楽室、逆光でピアノを見ているあかりちゃんの表情は窺えない。

「奏は、弾かないの?」

 あかりちゃんはこちらに向き直って言った。正確には、私の隣にいる奏ちゃんに。奏ちゃんの肩がびくりと震えたのが分かった。また、少しの沈黙が続く。

「……私はもう弾けないから」

 奏ちゃんはそう言って目を逸らした。叱られている子どものようだった。硬直した空気を割くように、ちょうどよくチャイムが下校時間を知らせた。

「行こうか」

 奏ちゃんは困ったように、恥ずかしそうに笑いながら言った。

「そうだね」

 あかりちゃんが答えて小さく息を吐く。いつも通りのあかりちゃんの声だった。何事もなかったように話を再開する二人についていく。私は振り返って、夕闇に染まる音楽室を見つめた。

 さっきの会話は、一体どういうことなのだろうか。


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