初依頼
「ありがとう、カレン!」
理子は私の姿を捉えるなり駆け寄ってきて、ぎゅっと手を握った。理子は昔から明朗快活な子だ。常に笑顔で、一緒にいると幸せになれる感じ。私の中では太陽みたいなイメージ。
「いいよ、私は紹介するだけだし。で、こっちの二人が」
「編曲の音無です」
「伴奏の真白です」
奏ちゃんは人懐っこい笑顔で、真白君は淡泊に自己紹介をする。
「カレンの友達の園田理子です。演奏見ました。すごく感動しました!」
理子は本当に感動したようで、二人に羨望に近い眼差しを向けていた。
「ありがとう。それで、お姉さんが結婚するんだよね?」
「はい、そうなんです。もうすぐ結婚式で、何かしてあげたいなーとは思っていたんですけど私何も特技がなくて。どうしようかなって思っていた時にカレンの動画を見て。私、ほんとに感動しちゃって、ちょうど家にいたお姉ちゃんにも見せたんです。そしたらお姉ちゃんもすごく感動してて、これだ!と思って!」
理子は熱心に事の経緯を語った。
「なるほど……」
奏ちゃんはそれを嬉しそうに聞いた後、ちらりと真白君を見た。
「私はぜひやりたい」
「……僕も大丈夫」
真白君は目を逸らしながら言った。渋々、というわけではなさそうだ。真白君は単に見られたりするのが苦手なだけなのだろう。
「よし、じゃあやろうか。式はいつ?」
「5月の10日の予定です。あの、お金とかは……」
「お金なんていいよ!私たちは大勢の前で弾かせてもらえるだけでありがたいし!それに同い年だしため口でいいよ!」
理子はそれを聞いてほっとしたように胸を撫で下ろした。確かに、有名なピアニストを呼ぶとなったらきっと私たちなんかでは払えないような料金が発生すると思うし、そこを無料でいいと言ってもらえるのはとてもありがたいことだ。
「ほんとですか?じゃない、ほんとに?…ありがとう!」
理子は言い直すと大きく頭を下げた。
「楽譜作りに使うイメージが欲しいから、今度お姉さん達の好きな曲とか話とか聞かせてね!」
「うん、分かった!」
私たちは理子と別れて、そのまま音楽室へ向かった。
「奏ちゃん、真白君、ありがとうね」
改めて言うと、奏ちゃんはにこりと微笑んで、真白君もうんと頷いた。
「さっき理子ちゃんにも言ったけど、大勢の前で弾けるチャンスなんて滅多にないからね。これをきっかけにどんどんファンを増やしていかなきゃ」
いつもの純粋で上品な微笑みとは違う、不敵な、挑戦的な笑い方だった。
「結婚式で弾く曲かー。やっぱり主役の二人が好きなポップスとかがいいよね?あ、でも教会ならクラシックの方が雰囲気出るかな。いっそのこと複合のメドレーとか……」
奏ちゃんは既に意識を演奏へと向けているようだった。そんな奏ちゃんとは裏腹に、真白君はいつも通り淡々とピアノに向かって指のウォーミングアップを始めた。結婚式までは3週間。私はこの二人が曲を作っていく様を初めて見る。どんなふうに作るのか、どんな曲になるのか、楽しみは膨らんだ。
翌日、理子を音楽室に呼び出して奏ちゃんは演奏に必要な情報を伝えた。私たちが話をしている間も真白君はピアノを弾き続けていた。楽譜作りは完全に奏ちゃんに任せているらしい。奏ちゃんは理子に沢山の質問をして、その答えをメモし続けていた。人柄。二人の出会い。これまでの人生のこと。すぐには答えられないことの方が多く、理子もそれらを後から聞くためにメモをしていた。
「よし、とりあえずこんなところかな」
「分かった。お姉ちゃんたちに聞いてくるね」
「うん、よろしく」
「じゃあまたね!」
理子が音楽室を去ると、やるかーと呟いて奏ちゃんは五線譜の書かれた紙に何かを書き込んでいく。邪魔しちゃ悪いかなと思い少し離れた場所に移動する。真白君のピアノに耳を澄ませた。こうなると私は暇人だ。帰ってもきっと二人は何も言わないだろうけど、この二人の作業を見逃したくないとも思う。どうしたものかとしばらく音楽室の中をフラフラしていると、ピアノの音が止まった。真白君を見ると目が合った。
「どうしたの?」
「いや、もし暇だったらでいいんだけど」
「何々?」
絶賛暇な私はすぐにピアノの近くに向かった。真白君はポケットから小さな機械を取り出した。
「これ、録音機。今から弾くのを録音してほしいんだ」
「いいよ!任せて!」
私は喜んでその作業を引き受けた。真白君は簡単な動作を教えてくれた後、またピアノに向き直った。視線で合図が来るので、すぐにボタンを押した。私はこの日から録音係になった。
数日後、理子がすべての質問に答えると、奏ちゃんはあっという間に楽譜を作り終えた。
「やっぱりメドレーだね。結婚ってそういうものだと思うし」
奏ちゃんの結婚観はよく分からないが完成した楽譜はまだメドレーの一つ目らしく、それを真白君に渡すとすぐに次の楽譜に取り組み始めた。相変わらずすごい量の書き込みがされていて、紙はほぼ真っ黒だった。
「すごいよね、それ」
真白君は頷いた。
「本当にすごいと思う。この弾き方をしてどうしてああなるのか、僕にはさっぱり分からない。……やっぱり音無さんは天才だ」
真白君は言いながらもずっと、楽譜と戦うように睨んでいた。真白君が演奏をしないと録音係の仕事もなくなる。ふらふらと音楽室を歩いて、ぼーっと音楽室の後ろから偉人たちと一緒に二人の作業を見ていると疑問がわいた。
二人はどうやって出会ったのだろう。そして、お互いのことをどう思っているのだろう。思えば私は二人のことを何も知らない。お互い旧知の仲というほどではなさそうだし、若干気を遣い合っているのも感じる。真白君から見た奏ちゃん、奏ちゃんから見た真白君。二人はお互いのことをどう思っているのだろうか。それともう一つ。
奏ちゃんはなぜ自分で弾こうとはしないのだろうか。楽譜は作れるけど下手で弾けないとか?
そんな考えは真白君が奏ちゃんを呼ぶ声でかき消される。
「ここの指示だけど」
真白君が聞くと、奏ちゃんがんーと唸る。
「シュバーって感じだね」
「シュバー……」
真白君は頭を抱えていた。この件が終わったら少し聞いてみようかな、とピアノと二人の様子を眺めていた。
「ごめん、水谷さん。いいかな?」
呼ばれてすぐに録音機を取り出した。真白君は試す様に一音を鳴らした。大丈夫、と言われてすぐに録音を終了させる。そうして一音ずつ試して、確かめてと繰り返していく。地道な時間だ。細かい技術は分からないけど、何となく音に差があるのは私にも理解できた。そして一音、完璧だと思える音が鳴った時にはビビッと心に電気が走った。地道な作業を繰り返して、完璧になった一音ずつが繋がり始め、どんどん曲の体を成していく。そうやって出来上がっていく様は裁縫みたいだった。細い糸を何重にも重ねて、形を作っていく。音と糸。何だか響きも似ているなと思った。私は録音しているだけだけど、曲が少しずつ、でも着実に完成していく様子は見ていてとても楽しかった。
結婚式まで残り1週間、ついに奏ちゃんが最後の楽譜を作り終えた。真白君も必死にそれを読み込んで、いよいよラストスパートという感じだ。最初はぎこちなくて、素人の私でも分かるくらいのミスをしていた真白君だったけど、日に日に精度が上がっていった。私はもう終盤ともなると心を揺さぶられっぱなしで、感情が現実と演奏の世界を行ったり来たりで心が溶けてしまいそうだった。この演奏を聴いて感動する理子のお姉さんやその旦那さんの表情を想像すると、自分のことのように楽しみだった。
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