カレンの提案


 月曜日、私は奏ちゃんと二人で音楽室に向かった。真白君は既にピアノを弾いていた。

「こんにちはー」

 言うと真白君はちらりとこちらを見て会釈をした。その間もピアノの音は鳴り続いていた。パソコンのブラインドタッチのようなものだろうか。私は鞄を置いて、真白君に近づいた。真白君は横目で私を見て、居心地悪そうにすぐに鍵盤に向き直った。近くで見ると指がすごく動いているのが分かった。けれどこの前のような感動はない。

「今日の演奏は感動しないね」

「これは練習用だから。指の運動のためだけで、感動とかはしないと思う」

「そうなんだ。色々あるんだね」

 私は感心した。真白君の凄まじい指の動きは、喋りながらでも一切止まることがなかった。あまりに動きが激しいから、長時間見ていると酔ってしまいそうだった。

「よし、そろそろやろうか」

 ふらふらと音楽室を歩き回っていた奏ちゃんが言った。私は近くの椅子に座って見学を始める。二人は楽譜を見て何やら相談しているようだった。真白君は完全に楽譜を見て、奏ちゃんと話しているにもかかわらずピアノの音も未だ忙しなく鳴り続けていた。奏ちゃんは見るからに天才って感じだけど、そんな光景を見ているとやっぱり真白君も天才だなと思った。

 私は天才にも人並みに憧れがあると思う。でもそれ以上に、私は二人のピアノへの熱意が羨ましかった。夢中になれることがあるというのは、才能があることより憧れる。そんな憧れもあって、私はこの二人のことが気に入ったのかもしれない。

 コンプレックスを拗らせているだけかもしれないけど。

「はあ」

 二人と何にも夢中になれない自分に差を感じてしまって、思わずため息が漏れる。

「どうしたの、カレンちゃん」

「あ、ううん、何でもない」

 心配そうに様子を窺ってくれる奏ちゃんに慌てて返事をする。いけない、邪魔にならないようにしないと。

 二人が会話を終えると、同時にピアノの音も止まった。奏ちゃんが離れて、音楽室の後ろに行く。真白君はそれを見てから再び鍵盤に向き直る。一音を奏でると、恐怖にも似た感動が押し寄せてきた。この前公民館で弾いていた曲だ。この土日、何度も記憶の中でリピートしていたそれと、実際の演奏はやはり別物だった。二度目にも関わらず、鮮烈な感動が身体を走る。私の心は、以前同様素敵な感情でいっぱいになった。

「おおー!」

 私は最前列特等席でそれを聴いて、大きく拍手をした。後ろからも拍手が聞こえてくる。真白君は弾き終えると重そうに腕を下げて、覚束ない足取りで倒れこむように椅子に座った。さっき練習をしていた時は全然疲れていなそうだったのに、今の曲だけでそんなに疲れるものなのだろうか。鞄からタオルを取り出して汗を拭う。呼吸も乱れていた。

「すごい汗だね」

「うん。体力がないから音無さんの楽譜を弾くとすぐ疲れちゃうんだ」

 そう言ってから、立ち上がってまたピアノに向かった。呼吸はまだ荒いままなのに、すぐ弾く姿勢に入る。

「もう弾くの?」

「うん。体力をつけるにはこれが一番だと思うから」

 真白君は再び弾き始めた。今度は小さい頃にピアニカで弾いたことのあった、きらきら星だった。もちろん演奏のクオリティは私が知っているそれとはもはや別次元だ。この曲も私の感情を揺さぶり、一瞬で虜になった。

 一曲が渾身の出来、とかではない。今聴いたきらきら星も、この前聴いた曲(後から奏ちゃんに聞いたらくるみ割り人形だった)と同じくらい感動できる。この二人は狙ってこんなに感動する曲を作り出している。やっぱりすごい、ともう何度目かも分からない賛辞を心の中で送った。二人はまた会話を始める。

「ここはもっと、シャーって感じで」

「シャー、ね」

「うん、シャーで、その後がドドーって」

「ドドー、ね」

 奏ちゃんの言葉を納得するように聞いているけど、真白君は理解していなそうだなと思った。

「あ」

 そこで、この前の夜に考えていたことを思い出した。

「どうしたの?」

「この前の演奏聴いて思ったんだけどさ、SNSに投稿してみない?」

「おー!いいね!」

 私の提案に、奏ちゃんの表情は明るくなった。裏腹に、真白君は眉間にしわを寄せて険しい顔をした。

「えー……」

 腹の底から出た声は陰鬱そのものだった。真白君はやっぱり嫌みたいだ。

「いいじゃん、やろうよ。沢山の人に聴いてもらえるチャンスだよ」

「うーん、まあ顔とか映らなければ……」

 真白君は奏ちゃんに押し切られる形で渋々承諾した。

 椅子の上にスマホを置き、ペンケースなどで角度を調整して上手く顔が映らないようにした。

「じゃあ撮るよー」

 真白君が頷く。ポン、とスマホが撮影開始を告げる。真白君が演奏を開始すると、私は撮影のことなんて忘れてまた演奏に没頭してしまった。演奏が終わっても余韻で動けない私を見かねてか、奏ちゃんが撮影終了ボタンを押した。

「オッケー!」

 奏ちゃんが言うと、真白君はすぐに椅子に倒れこんだ。

「ねえ、バズるかな。バズるかな」

 奏ちゃんはうきうきして子供のようだ。

「どうだろう。再生さえしてくれれば話題にはなると思うけど……」

「そんな甘くないよ、きっと」

 真白君は冷静に言った。私もそう思う。ピアノの動画なんて、興味のない人には再生までのハードルが高い気がする。

「そっかー。『みんな、再生して!』とか書いたりできないの?」

「うん、それはできるよ」

「じゃあそれ書いて投稿してもらっていい?」

「分かった。って、今更だけど私が投稿しちゃっていいの?」

 二人のアカウントの方が音楽に興味がある人が多いのではないか、と思う。私が言うと、二人は顔を見合わせた。

「SNSやってる?」

 真白君が首を振る。

「私も」

 奏ちゃんが手を上げる。そもそもできる人が私しかいなかったらしい。

「じゃあアップしておくね。長いから何個かに分けるけど大丈夫かな?」

「大丈夫。一つ再生してもらえれば全部再生してもらえると思う」

 奏ちゃんは自信満々だ。私は自分のアカウントで、3つに分けた演奏を投稿した。

『友達の演奏がすごい!絶対感動するのでぜひ聴いて拡散してください!』 動画

 これでいいかな。私が投稿すると、二人はおー!と驚いたような感心したような声をあげた。現代でSNSを見て驚く高校生と言うのもかなり珍しい。

「それにしても、何で水谷さんはSNSに投稿しようなんて思いついたの?」

「あー、いや、この前の演奏聴いた時私すごく感動しちゃって。こんなにいい演奏ならもっと色んな人に聴いてもらわないと、って思って最初に思いついたのがSNSだったの」

「なるほど……。私もどうやって広めようか考えたけど、SNSの発想はなかったな……」

 奏ちゃんはふむふむと頷いて、ハッとする。

「ねえ、私たち有名になったらどうしようか」

「ないない。そう簡単になれるものじゃないよ」

 うきうきしている奏ちゃんを真白君が窘める。私も正直、真白君派だ。もちろん二人の演奏はすごいけど、私のアカウントからの発信力なんてたかが知れている。もし拡散されても、そこそこで終わるだろうと思っていた。

 予想を裏切り、その日の夜から私のスマホには膨大な量の通知が届いた。



「奏ちゃん!奏ちゃん!」

「どうしたの、カレンちゃん」

 朝から慌てている私を見て奏ちゃんは困惑気味な表情を浮かべる。

「昨日の動画、すごいバズってる!」

「ほんと?やった!」

 奏ちゃんは飛び跳ねて喜んだ。私も正直驚いていた。投稿してから一日も経っていないのに、いいねの数も拡散数も万を超えている。コメントも沢山だ。英語やよく分からない言語まである。早く次の曲を!とかこの曲を弾いてください!みたいなリクエストもある。真白君の顔を映さなくて正解だった。こんなに拡散されると特定などもされかねない。制服はどこにでもある学ランだし、ばれる心配はないと思う。私は通知を切ったスマホを奏ちゃんに見せた。未だに拡散は続いていて、更新する度に山ほどの通知が来る。

「こんなにたくさんの人が私たちの演奏を聴いてるんだね。…何か嬉しいなあ」

 奏ちゃんは画面をジッと見て、感慨深そうに言った。


 昼休みにスマホを開くと、膨大な通知の中に、別のクラスの友達からのメッセージが来ていた。

『あの動画の人って、うちの学校?』

 まずいことになった。どう答えるべきか少し考えて、とりあえず真白君に会いに行った。

「そんなことに…」

 真白君はSNSの話をすると頭を抱えた。

「いいじゃん。広めようって言ってくれたでしょ?」

「まあそうだけどさ。まさかこんな形でなんて……」

 奏ちゃんに言われて、真白君はばつが悪そうに頭を掻いた。

「で、友達のことなんだけど……」

「あー。絶対に他の人に言わないって約束なら」

 真白君は条件付きだけど承諾してくれた。友達にその旨も合わせて返事をする。

『分かった。約束する。それで少し相談っていうか頼みたいことがあるんだけど』

 頼みの内容を聞くと、すぐにメッセージが送られてきた。

『今度お姉ちゃんが結婚するんだけど、その結婚式で弾いてもらうことってできないかな?もちろんお金は払うし、無理なら諦める』

 私はそのメッセージを奏ちゃんに見せた。

「よし、放課後にそのお友達に話を聞きに行こう!」

 奏ちゃんは即決した。私はその友人、園田理子に放課後に教室に向かうと返した。


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