第2話
音楽部、というものに
活動内容は読んで字の如く「音を楽しむ」ことであり、より公式には「広く良い音楽に接することによって精神を
ここでポイントとなるのは、「音楽に接する」という記述である。「演奏する」ではなく、「学ぶ」でも「創作する」でもない。あくまで、「接する」。
また「広く良い」という修飾句にもあわせて注意する必要がある。それは西洋の古典音楽や日本伝統の雅楽といった狭いジャンルには限定されないということだ。「良い」ものである限り全てが対象となる。
そして何を「良い」と感じるかは各人の心の問題であり、良心の自由は憲法によって保障されている権利である。
かくして、西棟三階にある広々とした音楽室、に付設された窮屈な音楽準備室において、太一が取り組んでいる部活動の内容とは、一万円でお釣りのくる機器で誰の持ち物とも知れないCDを聴く、というものだった。
より正確には、CDをかける、または音楽を流すというべきかもしれない。
自在に
「ふわぁ」
欠伸が洩れる。
火曜は活動日のはずだが、部室には太一以外誰の姿もない。
──まったく、みんなたるんでる。
など太一は思わない。
元々特に音楽が好きというわけでもない。
自発的からはほど遠く、強引に勧誘されるまま入部しただけなのに未だ辞めずにいるのは、この適当極まりない活動実態が案外気に入っているからだった。
お湯を入れてから四分半が過ぎたカップ麺みたいな、でろんとした雰囲気。それこそが音楽部の最大にして唯一の価値だった。少なくとも太一にとっては。
「遅えな、あいつ」
雑誌を閉じて不満げに呟く。CDの演奏もちょうど止まった。
面倒だな。帰るか。
目的もなくだらだらと過ごすのは好きでも、誰かを待つことで時間を無駄にするのは気に入らない。
やっていることは大して変わらないのに、シチュエーションが変わると気分も違ってくるのは不思議なものだ。
しかし太一はそんな哲学だか心理学だかの命題に心を
プレイヤーの電源を切り、座っていた椅子を折り畳んで部室の隅に寄せる。空の楽器ケースの上に置いてあったバッグを取り上げ、あとは出入口脇のスイッチを消していざ撤収、というところで。
「ごめん、太一、待った……?」
向こう側から扉が開いた。
「待った。じゃな」
スイッチに伸ばしかけた手を引っ込め、口を半開きにした
「ちょっ、待ったー! 何で待っててって言ったのに帰っちゃうのー?」
直子がワイシャツの背中にすがりつく。
「お前が来ねーからだよ。いつまでもいたってしょうがないだろ」
「だって今来たのに」
「だから来るまで待ってただろ」
「うっ確かに」
「ってことで」
「……あ。もーやだ、待ってってばー」
一瞬納得しかけた隙を衝いて離脱しようとしたのだが、さすがに途中で気付いた直子が腰に抱きついてくる。
力ずくで振り解くことを太一は二秒ほど考えた。
「放せ。動きづらい」
「やだ。そしたらター坊帰っちゃうもん」
「帰らねえから」
「ほんとに?」
「ほんとに」
前に回された手をぺしぺしと叩く。束縛が緩むと、太一は身体の向きを変え、直子を子供のようにかかえて部室に戻った。
* * *
「──ごめんね太一。お掃除が長びいちゃったの」
これで「なんで勝手に帰ろうとするのよっ!?」などと怒って詰め寄って来るようなら即行で切り捨てるのだが、根っこのところで素直な奴なのは太一にはよく分っている。
今プレイヤーにかかっているのは、直子が選んだにしては珍しいクラシックものだ。穏やかで牧歌的なメロディは太一にも聴き覚えがあった。
「もういいって。それよりなんか用事あんだろ」
「あっ、うん。えっとね、今度の日曜なんだけどさ、太一、その、ヒマ……かな?」
直子がおずおずと切り出してくる。しかしそれは太一には予想の範囲内だ。
「まあ今んとこは」
「じゃあさっ」
太一のおざなりな返答とは対照的に、直子の声は跳ね上がる。
「一緒にコンサート行こうよ! チケット買ったの! 太一誕生日でしょ、そのプレゼントだよ。ね、せっかくこういう部にいるんだしさ、たまにはクラシックとかも聴いてみようよ。こういう機会でもないとなかなか行かないもん」
そういうわけか。オーケストラの音を鳴らすにはいかにも出力不足のスピーカーを太一は乾いた目で眺めやる。
確かに、クラシックのコンサートなど自主的に行こうとは思わない。嫌いだからとかいう以前に興味がない。
「別に行きたくねえな」
だから正直に答えた。
「えっ」
しかしそれは直子には全く心外なことだったらしく。
「……どうして? あたしとじゃいや? 誕生日、一緒にいたくない?」
「ああ。だいたい」
クラシックとか途中で飽きそうだし、というメインの理由を口にする間もなく。
「そうなんだ……。そうだよね、別にあたし達ただ幼馴染みってだけだもんね。子供の頃みたいに二人で遊んだりなんかしないよね。馬鹿みたいだね、あたし」
直子は一直線に沈んでいく。
そういうわけじゃない、とフォローの一つも入れるのが優しさというものなのだろうが、残念ながら太一の半分は冷たさでできている。少なくとも他人からはよくそう言われる。
自分ではただ淡白なだけだと思っているのだが、評判を改めるために意に沿わない行動を取るつもりもなかった。
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